人は育てられたようにしか育てられない、と聞いたことがある。
だからこそ虐待は繰り返す、という悲劇も生まれるのだろう。わが身の子育てを振り返り、本当にそうだ、と思う。
自分の子どもの頃を思い出すと、哀しいことにあまり褒められて育った記憶がない。「そんなんじゃダメだ!」といつも言われることで、逆に「なにくそ・・・」と思ってなんとか褒めてもらえるように頑張ってきたように思う。今思えば、厳しくしつけられたことで結果として良かったこともあるけれど、明るい嬉しい思い出があまりないのも確かだ。
一人っ子だったから、家族の中で他の兄弟姉妹と比べられる、ということはなかったけれど、容姿端麗でなんでも器用に上手に出来た年上の従姉と比べられることが子供心にとても辛かった。両親からはいつも「なぜか私たち二人の悪い所ばかり似て、いい所を似ればもっとずっと可愛かったのに・・・」と言われていた。 不細工だから勉強だけは頑張らなくては・・・、と真剣に悩んでいたこともある。もちろん親も親戚もそれほど深い意味をもって言っていなかったのだろう、と今になれば思うけれど、残酷である。
両親の目が届くので、いつも逃げ場がなかった。
特に父にはいつも「愚図で鈍臭くて不器用で無造作だ。」と言われていた。その父が折に触れて母に「お前が何もさせないからだめなんだ。」と言うのを聞いて育った。両親とも末っ子だったし、我が家は核家族だったので、他に行き場がないから、親に見放されたら・・・、といつも親の顔色を窺って大人のご機嫌をとろうとする嫌な子供だった。祖父母の家に遊びに行っても外孫かつ一番ちびの味噌っかすだったから、「あんたどこの子だっけ?」と言われる始末。
もちろん子供心にはとても傷ついており、私は鈍臭くて無造作でダメなんだ、と思って長いこと委縮していたのも事実だ。今思えば、子供なんてものは当然のことながら、大人に比べて不器用で無造作で無神経なものなのだけれど、(大人より器用で造作がしっかりしていて神経が細やかだったら子供らしさなんかかけらもないではないか!)一人っ子だと身近に比較できる子供がいないから、親も子供のレベルでものが考えられなくなる。子供のほうは子供のほうで、周りが大人ばかりだから耳年増になって、実際には何もできない割に口ぶりだけは生意気に一丁前になり、実像とのギャップでますます分が悪くなるのだろう。
それでも年を重ねていくにつれ、他の皆が皆、私よりずっと器用で気が利いていて私より何でもできる、というわけでもなさそうだな・・・、と気付いた。だいぶ大きくなってからだったけれど。自分のペースでやればいいじゃない、と肩の力が抜けると、とても楽になったし、だんだんと自信もついていった。
そんな育ちをしたので、何の心配もない自慢のお兄ちゃん!と崇められ、初孫の内孫として祖父母からも父母からも全面的に肯定されて育ってきた夫とは、どうもわが子である息子に対しての接し方に大きな違いを感じる。
両親にとってもある程度年をとってからようやく授かった一人娘。彼らにとっては最初で最後の子育てだった。
一人っ子だと、親が亡き後、兄弟姉妹に頼ることも出来ず、自分一人でしっかりして生きていかなければならない、そういう子どもに育てなければならないという気負いのようなもの、絶対に失敗は出来ない、という切羽詰まった気持ちが両親にもあったのだろう。一人っ子イコール我儘で自分勝手、そういうレッテルを張られないように人一倍厳しくきつく仕込んだのだろう、とも思う。
私も今、祖母になる年まで生きていられないであろうという焦りとともにその思いを強くしているので、実によくわかる。自分がいなくなっても他人様から笑われずに、他人様に迷惑をかけずにきちんと前を向いて生きていってくれなくては困る、と。まあちゃんとしてくれないと、後で笑われるのは私なんだから・・・、という気持はそれほどないけれど。
特に息子のような“なんとかもおだてりゃ木に登る”タイプは間違いなく褒めて育てないとだめだ、ということが頭では分かっている。それなのにどうしても自分が育てられたときのように「(これじゃあだめだ、君はもっときちんと、ちゃんと出来るはずなのだから)もっと頑張れ!もっとしっかり!」と言ってしまう。
「ママはちっとも褒めてくれない・・・」と言われる。
ちゃんとやって当たり前で、ダメなときだけしっかり怒られる、それでは確かに大人だってやる気がなくなる、そんなこともよくわかっているはずなのに。大人だって褒められたいのだから。好きな人に認めてもらいたい。当然のことだ。
“褒めて育てる”を心していきたいと思う。
だからこそ虐待は繰り返す、という悲劇も生まれるのだろう。わが身の子育てを振り返り、本当にそうだ、と思う。
自分の子どもの頃を思い出すと、哀しいことにあまり褒められて育った記憶がない。「そんなんじゃダメだ!」といつも言われることで、逆に「なにくそ・・・」と思ってなんとか褒めてもらえるように頑張ってきたように思う。今思えば、厳しくしつけられたことで結果として良かったこともあるけれど、明るい嬉しい思い出があまりないのも確かだ。
一人っ子だったから、家族の中で他の兄弟姉妹と比べられる、ということはなかったけれど、容姿端麗でなんでも器用に上手に出来た年上の従姉と比べられることが子供心にとても辛かった。両親からはいつも「なぜか私たち二人の悪い所ばかり似て、いい所を似ればもっとずっと可愛かったのに・・・」と言われていた。 不細工だから勉強だけは頑張らなくては・・・、と真剣に悩んでいたこともある。もちろん親も親戚もそれほど深い意味をもって言っていなかったのだろう、と今になれば思うけれど、残酷である。
両親の目が届くので、いつも逃げ場がなかった。
特に父にはいつも「愚図で鈍臭くて不器用で無造作だ。」と言われていた。その父が折に触れて母に「お前が何もさせないからだめなんだ。」と言うのを聞いて育った。両親とも末っ子だったし、我が家は核家族だったので、他に行き場がないから、親に見放されたら・・・、といつも親の顔色を窺って大人のご機嫌をとろうとする嫌な子供だった。祖父母の家に遊びに行っても外孫かつ一番ちびの味噌っかすだったから、「あんたどこの子だっけ?」と言われる始末。
もちろん子供心にはとても傷ついており、私は鈍臭くて無造作でダメなんだ、と思って長いこと委縮していたのも事実だ。今思えば、子供なんてものは当然のことながら、大人に比べて不器用で無造作で無神経なものなのだけれど、(大人より器用で造作がしっかりしていて神経が細やかだったら子供らしさなんかかけらもないではないか!)一人っ子だと身近に比較できる子供がいないから、親も子供のレベルでものが考えられなくなる。子供のほうは子供のほうで、周りが大人ばかりだから耳年増になって、実際には何もできない割に口ぶりだけは生意気に一丁前になり、実像とのギャップでますます分が悪くなるのだろう。
それでも年を重ねていくにつれ、他の皆が皆、私よりずっと器用で気が利いていて私より何でもできる、というわけでもなさそうだな・・・、と気付いた。だいぶ大きくなってからだったけれど。自分のペースでやればいいじゃない、と肩の力が抜けると、とても楽になったし、だんだんと自信もついていった。
そんな育ちをしたので、何の心配もない自慢のお兄ちゃん!と崇められ、初孫の内孫として祖父母からも父母からも全面的に肯定されて育ってきた夫とは、どうもわが子である息子に対しての接し方に大きな違いを感じる。
両親にとってもある程度年をとってからようやく授かった一人娘。彼らにとっては最初で最後の子育てだった。
一人っ子だと、親が亡き後、兄弟姉妹に頼ることも出来ず、自分一人でしっかりして生きていかなければならない、そういう子どもに育てなければならないという気負いのようなもの、絶対に失敗は出来ない、という切羽詰まった気持ちが両親にもあったのだろう。一人っ子イコール我儘で自分勝手、そういうレッテルを張られないように人一倍厳しくきつく仕込んだのだろう、とも思う。
私も今、祖母になる年まで生きていられないであろうという焦りとともにその思いを強くしているので、実によくわかる。自分がいなくなっても他人様から笑われずに、他人様に迷惑をかけずにきちんと前を向いて生きていってくれなくては困る、と。まあちゃんとしてくれないと、後で笑われるのは私なんだから・・・、という気持はそれほどないけれど。
特に息子のような“なんとかもおだてりゃ木に登る”タイプは間違いなく褒めて育てないとだめだ、ということが頭では分かっている。それなのにどうしても自分が育てられたときのように「(これじゃあだめだ、君はもっときちんと、ちゃんと出来るはずなのだから)もっと頑張れ!もっとしっかり!」と言ってしまう。
「ママはちっとも褒めてくれない・・・」と言われる。
ちゃんとやって当たり前で、ダメなときだけしっかり怒られる、それでは確かに大人だってやる気がなくなる、そんなこともよくわかっているはずなのに。大人だって褒められたいのだから。好きな人に認めてもらいたい。当然のことだ。
“褒めて育てる”を心していきたいと思う。