今日は月初めの採血。6月のカレンダーを見ると、先月は連休もあり3回の通院だったが、今月は水曜日が5回ある。
また50人待ちかな・・・、と覚悟して行ったが、思いのほか空いていて、受付後15分ほどの待ち時間ですんだ。その後内科受付、採血結果が出るまでいつものように小一時間かかる。
診察室に入ったのは11時。採血結果は腫瘍マーカー以外特に変わらず、とのこと。炎症反応の数値が赤字になっていたが、特に心配はないとのこと。前月は診察時にマーカーも含めて採血結果が全部わかったのだが、先生がおっしゃるにはタイミングの問題のようだ。先週看護師さんから「点滴が終わって帰る頃には(マーカーの結果も)わかるでしょうから、先生に予め頼んでおいて頂ければ結果だけお教えできますよ。」と教えて頂いたので、1週間待つよりも精神衛生上良いだろうということで、お願いした。
この1週間は息切れや痛みなどは特に変わったことはなく、相変わらずではあるが、また上顎の口内炎のため、のどから耳にかけて痛みがあることを一応ご報告。来週は水曜日に会議があるため、木曜日に変更して頂き、レントゲンの予約も入った。あわせてアロマシン2週間分(レントゲンの結果いかんで薬の変更もありうるため)とお守りとして痛み止め(ロキソニン)を処方して頂いた。
処置室に移動して、針刺・血圧測定後、点滴が始まったのはお昼を回っていた。無事終了して帰り際、看護師さんから採血結果が渡された。お顔を見るなり「上がったんだな・・・」とわかった。前回2割減で正常値に戻ったCA15-3がまた2割強の増で4月より若干アップ。「この数値をどう読むかについては来週先生から・・・」ということで処置室を後にした。
会計後、薬局に寄って、なんだかこれではおやつの時間という感じのランチをして帰宅した。
今日は3冊読めた。
1冊目は香山リカさんの「親子という病」(講談社現代新書)。「親子」という古くて新しい問題にもう一度光を当ててみたい、という前書きのとおり、親を殺す子供たち、「なぜ生まれたのか」と問い続ける子どもたち、母に依存する娘・娘を支配する母親、母の愛は無償なのか、母性が加害性を持つとき、理想の家族にひそむワナ、「親子という致命的な病」への処方箋、親子という病のために「まだできること」の章立てでさまざまなケースを取り上げながら考える。私も子どもの頃、確かに「(跡継ぎになる息子でなくて)娘でごめんなさい。」という気持ちはあったし、母の「あなたのために・・・」という言葉は実に重たかったし(だから息子には言わないようにしている。)、息子を出産したときにはやけに“お手柄”とか“男孫をありがとう”とか微妙な台詞を沢山聞いた。
巻末の「“お父さん、お母さん”以外の時間として最良なのは、本来は夫婦の時間であることを最後に付け加えておきたい。“お父さん”ではなく夫として、“お母さん”ではなくて妻として、それぞれパートナーとして対峙する時間を持つことは、自分たちのためだけではなく子どものために必要なのだ。それは今の日本では、ある意味では、子どもの自立以上に難しいテーマとなっているのも事実だ。親子関係を健全な姿に持っていくために努力するエネルギーを、それぞれが自分の自立のために使う。そして、自立した大人同士が横の関係を結び外に眼を向ける。そう心がけることだけで、家庭内の風通しはぐっと良くなるはずだ。」に大きく頷いた。
2冊目は岩村暢子さんの「普通の家族がいちばん怖い 崩壊するお正月、暴走するクリスマス」(新潮文庫)。実に耳の痛い本ではあったが、一気読み。「これまで誰も言及しなかった、まったく新しい現代家族論」と裏表紙にあったが、「223世帯を対象に実施された“フツウの家族の実態調査”が顕かにしたのは、破滅する食習慣と歪な親子関係だった。」のとおりだ。松原隆一郎さんの解説でも「怖い本である。不快とすら、いう人がいる。どうしてこんなことを書くのか、と憤る人もいる。なぜか、多くの人がそう思いたくない自画像が、ここには書かれているから。」とあったが、1960年以降生まれを対象とする調査なので、私とて他人事ではない。我が家では夫の宴会以外は毎日3人で夕食を囲むことは続けているが、確かに食卓では(私が作るのだから、と)自分の好みを優先していることをちょっぴり反省。実にいろいろ考えさせられ、笑えない本だった。
3冊目は手持ちがなくなったので、処置室の本棚からお借りした太田光さんと奥仲哲弥さんの「禁煙バトルロワイヤル」(集英社新書)。お笑いコンビ「爆笑問題」の太田さんと肺がん外科治療、レーザー治療が専門の奥仲先生との対談集。ああ言えばこう言うヘビースモーカー太田さんと先生とのやりとりに苦笑。それにしても我が家の愛煙家(夫)にも「肺がんより怖い死ぬに死ねない苦しい病気―COPD(慢性閉塞性肺疾患)」は知ってほしいものだ。
また50人待ちかな・・・、と覚悟して行ったが、思いのほか空いていて、受付後15分ほどの待ち時間ですんだ。その後内科受付、採血結果が出るまでいつものように小一時間かかる。
診察室に入ったのは11時。採血結果は腫瘍マーカー以外特に変わらず、とのこと。炎症反応の数値が赤字になっていたが、特に心配はないとのこと。前月は診察時にマーカーも含めて採血結果が全部わかったのだが、先生がおっしゃるにはタイミングの問題のようだ。先週看護師さんから「点滴が終わって帰る頃には(マーカーの結果も)わかるでしょうから、先生に予め頼んでおいて頂ければ結果だけお教えできますよ。」と教えて頂いたので、1週間待つよりも精神衛生上良いだろうということで、お願いした。
この1週間は息切れや痛みなどは特に変わったことはなく、相変わらずではあるが、また上顎の口内炎のため、のどから耳にかけて痛みがあることを一応ご報告。来週は水曜日に会議があるため、木曜日に変更して頂き、レントゲンの予約も入った。あわせてアロマシン2週間分(レントゲンの結果いかんで薬の変更もありうるため)とお守りとして痛み止め(ロキソニン)を処方して頂いた。
処置室に移動して、針刺・血圧測定後、点滴が始まったのはお昼を回っていた。無事終了して帰り際、看護師さんから採血結果が渡された。お顔を見るなり「上がったんだな・・・」とわかった。前回2割減で正常値に戻ったCA15-3がまた2割強の増で4月より若干アップ。「この数値をどう読むかについては来週先生から・・・」ということで処置室を後にした。
会計後、薬局に寄って、なんだかこれではおやつの時間という感じのランチをして帰宅した。
今日は3冊読めた。
1冊目は香山リカさんの「親子という病」(講談社現代新書)。「親子」という古くて新しい問題にもう一度光を当ててみたい、という前書きのとおり、親を殺す子供たち、「なぜ生まれたのか」と問い続ける子どもたち、母に依存する娘・娘を支配する母親、母の愛は無償なのか、母性が加害性を持つとき、理想の家族にひそむワナ、「親子という致命的な病」への処方箋、親子という病のために「まだできること」の章立てでさまざまなケースを取り上げながら考える。私も子どもの頃、確かに「(跡継ぎになる息子でなくて)娘でごめんなさい。」という気持ちはあったし、母の「あなたのために・・・」という言葉は実に重たかったし(だから息子には言わないようにしている。)、息子を出産したときにはやけに“お手柄”とか“男孫をありがとう”とか微妙な台詞を沢山聞いた。
巻末の「“お父さん、お母さん”以外の時間として最良なのは、本来は夫婦の時間であることを最後に付け加えておきたい。“お父さん”ではなく夫として、“お母さん”ではなくて妻として、それぞれパートナーとして対峙する時間を持つことは、自分たちのためだけではなく子どものために必要なのだ。それは今の日本では、ある意味では、子どもの自立以上に難しいテーマとなっているのも事実だ。親子関係を健全な姿に持っていくために努力するエネルギーを、それぞれが自分の自立のために使う。そして、自立した大人同士が横の関係を結び外に眼を向ける。そう心がけることだけで、家庭内の風通しはぐっと良くなるはずだ。」に大きく頷いた。
2冊目は岩村暢子さんの「普通の家族がいちばん怖い 崩壊するお正月、暴走するクリスマス」(新潮文庫)。実に耳の痛い本ではあったが、一気読み。「これまで誰も言及しなかった、まったく新しい現代家族論」と裏表紙にあったが、「223世帯を対象に実施された“フツウの家族の実態調査”が顕かにしたのは、破滅する食習慣と歪な親子関係だった。」のとおりだ。松原隆一郎さんの解説でも「怖い本である。不快とすら、いう人がいる。どうしてこんなことを書くのか、と憤る人もいる。なぜか、多くの人がそう思いたくない自画像が、ここには書かれているから。」とあったが、1960年以降生まれを対象とする調査なので、私とて他人事ではない。我が家では夫の宴会以外は毎日3人で夕食を囲むことは続けているが、確かに食卓では(私が作るのだから、と)自分の好みを優先していることをちょっぴり反省。実にいろいろ考えさせられ、笑えない本だった。
3冊目は手持ちがなくなったので、処置室の本棚からお借りした太田光さんと奥仲哲弥さんの「禁煙バトルロワイヤル」(集英社新書)。お笑いコンビ「爆笑問題」の太田さんと肺がん外科治療、レーザー治療が専門の奥仲先生との対談集。ああ言えばこう言うヘビースモーカー太田さんと先生とのやりとりに苦笑。それにしても我が家の愛煙家(夫)にも「肺がんより怖い死ぬに死ねない苦しい病気―COPD(慢性閉塞性肺疾患)」は知ってほしいものだ。