物心ついた頃から「私は一生働きたい」と思っていた。それは、専業主婦だった母が、何か物入りがあると父にいちいち「○○があるので、○万円おろしてもいいでしょうか。」とお伺いを立てているのを見てきて、子ども心にも引っ掛かり、それが今の私に棘のようなものを残しているからだ。
以前このブログで、「30年前のロングスカートを綺麗に仕舞っていたエコな母」と書いたことがあるけれど、決して裕福ではなかったにせよ、それほどまでに切り詰めなくても大丈夫だったはずなのに、根っから贅沢が出来ない人だったのだ、と思う。自分では思い切って自分のものが買えない。小さいからサイズがあわない、というのもあるが(今やさらに縮んで149センチ、38キロだそうだ。)、洋服は手作りで、今でも誕生日等に何か贈っても、「もったいなくて着られなくて(仕舞っている)」という実になんとも甲斐のない母だ。
思えば父も「贅沢は敵だ」の時代の人だし、血液型がO型のわりに実に細かい(よく言えば几帳面)ので、それに比べれば大雑把な母(なぜかA型)は、具体的にどう節約するかよりもとにかく自分からは決して贅沢はしない、専業主婦たるもの外食も店屋物を取るのもいけないこと、という感じだった。
そんな両親を見つつ育ったので、私も時間があって財力がなかった学生時代までは、マメに足で稼いで如何にバーゲンの山からお値打ち品を見つけるかには長けていたつもりだし、身の丈にあわないブランド品だの高級品には目もくれずにきた、地味な女子大生だった。そして就職して以来、結婚しても引き続きこつこつと天引きで貯蓄に励み、住宅財形を元手に今の団地を手に入れた。
公務員だったから、勤め始めた当初は本当に薄給で、一人暮らしをしていた頃には、家賃を払って、光熱水費を払って、残りはこれだけ・・・新聞やめようか、と途方にくれたこともあった。けれど、長く勤めていれば少しずつでもそれなりにお給料もあがり、今では自分でどうしても欲しいものがあれば(もちろん金額にもよるけれど)いちいち夫に相談することなく買えるほどになった。それでも、ここに至ってもまだ母の「○○があるので○万円おろしてもいいでしょうか・・・」が耳から離れず、何となく後ろ暗い気がしてしまう自分がいて、それがなんだか情けない。
一方、さすがに70歳を超えるまで現役で働き続けた義母は、自分で稼いで病弱の義父の代わりに生計を支えていたというくらいだから、とても気前が良い。これは夫や義妹のお金の使い方を見ていても実にそう思う。皆が喜んでくれるならばとサービス精神旺盛で、あまり後々のことは考えずに大判振舞いをする。
果たしてどちらが幸せなのかなあ、と思う。お金を貯めてみたところで棺桶にまで積んでいけないし、子どもに残しても碌なことはなさそうだし、その時その時が楽しい方が人生愉快に決まっているけれど。ほどほどに、あまり無理して我慢しすぎることなくきちんと日々を楽しむ術も大切にして、というバランスは結構難しい。
今や1回の点滴に数万円を払っているゴクつぶしのようながん患者の身で、100円単位、10円単位でスーパーの安売りを探すアンバランスな自分が妙に可笑しい。
“ケチ”と“モノを大切にする”ということは違うと思うけれど、息子が小学生の頃、私は自分がしていたように、短くなった鉛筆に長いキャップをして使わせたり、短い2本をセロテープでドッキングして使わせていた。
それを見て夫は嫌な顔をして、息子に「そんなの、しみったれているからやめろよ。」と言ってゴミ箱に捨てたそうだ。
さて、そんな私たち2人の間に生まれた息子は筋金入りのケチだ。(モノを大切にしている、とは思えない。いろいろ無くすし、忘れ物は多いし、傘も雨が降るたびに毎度壊してくるし。)幸か不幸か一人っ子だから、何でも自分のものになっている。父母にとっては一人娘の最初で最後の孫であり、義母にとっては初めての姓を継ぐ男孫であったから、シックスポケットならぬファイブポケットで何でも潤沢に与えられてきた。
にもかかわらず、本人曰く「他の人がこれが欲しい、と言ったらたとえゴミでももったいなくなってあげたくなくなる。」のだそうだ。・・・絶句である。
いつであったか義母が来訪した時、近くに住む曾孫(義妹の息子の長男)に息子の部屋に溢れているぬいぐるみ(中3男子、いまだにぬいぐるみと一緒に寝ている。)を「1つお土産にもっていきたいんだけれど、もう要らないのをあげてくれない?」と言った所、「どれもこれも全てに思い出があって、1つとして要らないのはないから絶対にあげられない。」と拒否したそうだ。
義母は顔をくしゃくしゃにして口をとがらせて思いっきり「誰に似たのか・・・ケチ!」と言っていた。(って、私のこと?)
以前このブログで、「30年前のロングスカートを綺麗に仕舞っていたエコな母」と書いたことがあるけれど、決して裕福ではなかったにせよ、それほどまでに切り詰めなくても大丈夫だったはずなのに、根っから贅沢が出来ない人だったのだ、と思う。自分では思い切って自分のものが買えない。小さいからサイズがあわない、というのもあるが(今やさらに縮んで149センチ、38キロだそうだ。)、洋服は手作りで、今でも誕生日等に何か贈っても、「もったいなくて着られなくて(仕舞っている)」という実になんとも甲斐のない母だ。
思えば父も「贅沢は敵だ」の時代の人だし、血液型がO型のわりに実に細かい(よく言えば几帳面)ので、それに比べれば大雑把な母(なぜかA型)は、具体的にどう節約するかよりもとにかく自分からは決して贅沢はしない、専業主婦たるもの外食も店屋物を取るのもいけないこと、という感じだった。
そんな両親を見つつ育ったので、私も時間があって財力がなかった学生時代までは、マメに足で稼いで如何にバーゲンの山からお値打ち品を見つけるかには長けていたつもりだし、身の丈にあわないブランド品だの高級品には目もくれずにきた、地味な女子大生だった。そして就職して以来、結婚しても引き続きこつこつと天引きで貯蓄に励み、住宅財形を元手に今の団地を手に入れた。
公務員だったから、勤め始めた当初は本当に薄給で、一人暮らしをしていた頃には、家賃を払って、光熱水費を払って、残りはこれだけ・・・新聞やめようか、と途方にくれたこともあった。けれど、長く勤めていれば少しずつでもそれなりにお給料もあがり、今では自分でどうしても欲しいものがあれば(もちろん金額にもよるけれど)いちいち夫に相談することなく買えるほどになった。それでも、ここに至ってもまだ母の「○○があるので○万円おろしてもいいでしょうか・・・」が耳から離れず、何となく後ろ暗い気がしてしまう自分がいて、それがなんだか情けない。
一方、さすがに70歳を超えるまで現役で働き続けた義母は、自分で稼いで病弱の義父の代わりに生計を支えていたというくらいだから、とても気前が良い。これは夫や義妹のお金の使い方を見ていても実にそう思う。皆が喜んでくれるならばとサービス精神旺盛で、あまり後々のことは考えずに大判振舞いをする。
果たしてどちらが幸せなのかなあ、と思う。お金を貯めてみたところで棺桶にまで積んでいけないし、子どもに残しても碌なことはなさそうだし、その時その時が楽しい方が人生愉快に決まっているけれど。ほどほどに、あまり無理して我慢しすぎることなくきちんと日々を楽しむ術も大切にして、というバランスは結構難しい。
今や1回の点滴に数万円を払っているゴクつぶしのようながん患者の身で、100円単位、10円単位でスーパーの安売りを探すアンバランスな自分が妙に可笑しい。
“ケチ”と“モノを大切にする”ということは違うと思うけれど、息子が小学生の頃、私は自分がしていたように、短くなった鉛筆に長いキャップをして使わせたり、短い2本をセロテープでドッキングして使わせていた。
それを見て夫は嫌な顔をして、息子に「そんなの、しみったれているからやめろよ。」と言ってゴミ箱に捨てたそうだ。
さて、そんな私たち2人の間に生まれた息子は筋金入りのケチだ。(モノを大切にしている、とは思えない。いろいろ無くすし、忘れ物は多いし、傘も雨が降るたびに毎度壊してくるし。)幸か不幸か一人っ子だから、何でも自分のものになっている。父母にとっては一人娘の最初で最後の孫であり、義母にとっては初めての姓を継ぐ男孫であったから、シックスポケットならぬファイブポケットで何でも潤沢に与えられてきた。
にもかかわらず、本人曰く「他の人がこれが欲しい、と言ったらたとえゴミでももったいなくなってあげたくなくなる。」のだそうだ。・・・絶句である。
いつであったか義母が来訪した時、近くに住む曾孫(義妹の息子の長男)に息子の部屋に溢れているぬいぐるみ(中3男子、いまだにぬいぐるみと一緒に寝ている。)を「1つお土産にもっていきたいんだけれど、もう要らないのをあげてくれない?」と言った所、「どれもこれも全てに思い出があって、1つとして要らないのはないから絶対にあげられない。」と拒否したそうだ。
義母は顔をくしゃくしゃにして口をとがらせて思いっきり「誰に似たのか・・・ケチ!」と言っていた。(って、私のこと?)