ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.4.26 患者会との距離感に思うこと

2016-04-26 22:32:54 | 日記
 昨夜帰宅すると、患者会のニュースレターが届いていた。年4回春夏秋冬に届く読み応えのあるピンクの冊子である。
 早いもので入会してこの6月で丸7年になる。そう、再発治療が一段落して職場復帰早々入会したのだった。
 会費を振り込み、ピンクカードに書かれた会長さん直筆の「ようこそ!」のメッセージを受け取った時、本当に嬉しかったことを覚えている。
 その後紆余曲折はあったが、会には随分助けてもらったと思う。このブログも会の後押しがあって始めたものだ。沢山の患者仲間も出来た。少しでも恩返しをしなくては、と依頼があれば原稿を書き、大会等で話をさせて頂くという貴重な機会にも恵まれた。

 このところ、とんとご無沙汰しているけれど、こうして送られてくるニュースに眼を通し、時折HPを見ながらまだ会とは繋がっているのだということでどこか安心して日々を送っている。
 とはいえ、最初の頃のように毎月のイベントを優先順位1番にして出かけることはなくなっている。8年以上の時間をかけて、病気や治療について自分なりに気持ちの折り合いのつけ方を身につけることが出来るようになったからかもしれない。会のイベントに出かけて気持ちを吐き出さないと心の澱をうまく取り除いて前を向くことが出来ないということもなくなった。自己完結できるようになったということか。
 そして、この間随分沢山の先輩や仲間たちを失った。

 今回、何度もイベントでご一緒していたOさんが2月末に亡くなったということを知り、心が塞いだ。
 3年ほど前、夏の再発イベントの時に久しぶりにお姿を拝見して、あまりに小さく痩せてしまわれたことにショックを受けたのを覚えている。それでも果敢に治療を続けておられた。20歳近く年長でいらしたので、ライフステージは異なり、プライベートでお目にかかるということはなかったけれど、いつも前向きで熱心にメモをとりながら会に通っておられる姿を尊敬していた。このブログもお読みくださっており、ヘルプマークのことを書いた時には「こんなバッジもありますよ」と送ってくださったり、爪囲炎が酷くて、と書けば、便利なのよ、と小さな絆創膏を送ってくださったりと何かと気にかけて頂き、もったいなくも有難く思っていた。

 私はごく単純で現金だから、体調がうまく管理出来ていればあれもこれもやりたいクチだ。一日中ずーっと病気のことで考え込むことは殆どない。普段も仕事をし、趣味に奔走し、病気のことを忘れている時間が長いのだけれど、こうして訃報に接するにつけ、やはりこの病は甘くはないのだ、という厳然たる事実を突きつけられる想いだ。
 だからこそ、今出来ることを、今やりたいことを、という突き上げてくるような思いに駆られるのだとも思う。

 虫のいい話かもしれないけれど、今の私にとって、患者会との距離のとり方は付かず離れずの感じが一番心地よいのだと感じている。
 とはいっても、老兵は消え去るのみなどと言うつもりはない。どんなステージの会員にとっても当人が必要だといった時にいつでも開かれている場所があるーそう思えるだけでどれだけ有難いことか、と思う。
 望むべくは駆け込む所がなくて本当に困って切羽詰った患者さんの数があまり増えないことなのだけれど・・・。

 昨年は両親の介護で参加出来なかった秋の大会。今年はどうかしら、と日程を見たら、同じく昨年介護で練習に通えず参加を断念した母校の校友音楽祭とバッティングしていた。
 10月からは今通っている瞑想ヨーガ講師養成コースの後期も始まる。まだ日程はオープンになっていないけれど、土日が2回だから、バッティングする可能性は50%だ。
 と、相変わらずあれもこれもと予定を詰め込みそうな私だけれど、身体はひとつ。その時に自分にとって一番必要なものに参加出来るに違いない、と考えている。


コメント
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