今日は、母の直腸がん術後6カ月後診察。先週のCT検査と採血は私自身の治療日とバッティングしたため、一人で頑張ってもらったが、今日は休暇を頂いて結果を一緒に聴くことにした。
夫を送り出してすぐに家を出たが、最寄駅の私鉄が3分遅れ。更にJR乗換駅では急病人発生の為、10分近い遅れ。乗ろうと思っていたバスに乗ることが出来そうにないと母に連絡を入れる。余裕を持って早めに到着する予定がすっかり待ち合わせ時間に遅刻してしまった。
母は一人で結果を聴くのが心もとなかったようで、家族の者が遅れているので、と言って順番を後にしてもらって1階の待合で待っていた。
私が到着してからほどなくして外科の中待合に入り、20分ほど待ったところでT先生が顔を出された。
ご挨拶すると、既に血液検査の結果がPC画面に出ており、「CTも採血の腫瘍マーカーも合格ですよ。」と言われる。母はほっとして「どうもありがとうございます」と言って、その後の細かい話は私にお任せといった感じ。
「CTでも再発の兆候はないし、ヘモグロビンが8ほどで貧血気味ではあるけれど、特に悪化しているわけではないので様子見でいいでしょう。2種類の腫瘍マーカーCEA、CA19-9も問題なし」とのこと。
「再発の可能性は時間が経てばどんどん減ってくるので(何年経っても再発しないと言い切れない乳がんとは随分違うのだな、と思う。)まずは安心でしょう」とのこと。先生はすぐに採血結果をプリントアウトしてくださったが、当の本人である母が手も出さないので、しばし空をさ迷って私の手の上に回ってきた。苦笑である。次回は3カ月後、7月の上旬に採血で腫瘍マーカーのチェックだそうだ。
「いかがですか、困ったことはありませんか」の問いに「まだ夜中にお手洗に何度か起きて眠れないので、なかなか疲れやすくて。眠剤をお願いします」などとしょぼくれた風情で言っている。「夜にお通じがありますか。便通はあまり止めてしまわない方が良いので・・・」とのことだが、「なんとも気持ちが弱いので・・・」と私が言うと、「そんな大手術をしたわけではないのですから、大丈夫ですよ、もう元気ですよ。」と励ましてくださるが、頼りなさげな母に「何かあったらいつでも電話してくださいね」とフォローするのも忘れないT先生。若いけれど頼りがいのある方、良い主治医に恵まれたと思う。ご挨拶して診察室を後にする。
処方箋と次回の予約表が出るのを待ち、1階に降りて会計を済ませる。外は今にも降り出しそうなお天気だ。歩道を渡って薬局に入ると結構な混雑。ここでも20分ほど待っただろうか。3か月分の眠剤と軟膏を頂いて今日の付き添いは終了。
ランチにはちょっと早かったので、カフェでお茶をして母の話し相手になる。「先生には大手術じゃないのね、でも私にとっては一大事だった」と面白くなさそうに言う。
まあ、それはそうでしょう、80歳を超えて全身麻酔の手術をするとは本人が一番青天の霹靂だったのだろうから。とはいえ、切除した腸がトカゲのしっぽのように再び生えてくるわけでなし、肝臓のように再生されるわけではないから、今まで通り、全く元通りになる筈もない。なんとか折り合いを付けて行かないといけないのだ、と話す。
週4日デイサービスに出かけている父は相変わらずの様子で、母の退院後せっかくポットからお茶を淹れる習慣をつけたのに、母が元気になってきたら、また逆戻りだそうだ。じっと座って「自分で淹れるとお茶はまずい。ママ(母のこと)に淹れてもらうのが一番」と。
家にいる時はひたすらウトウトしているか座っているだけという。まあ、母がそれを許しているわけだからどっちもどっちなのだけれど。
ということで、一つの心配事が無事クリア。
明日の夫の入院支度は今しがた終えた。明日は都心定例会議の出張後、職場に戻ってガイダンスを開催しなければならないので、入院手続きに付き添うことが叶わない。
仕事を終えてから病院に様子見に向かうことになる。こちらも早く無事クリアといきたいものである。
夫を送り出してすぐに家を出たが、最寄駅の私鉄が3分遅れ。更にJR乗換駅では急病人発生の為、10分近い遅れ。乗ろうと思っていたバスに乗ることが出来そうにないと母に連絡を入れる。余裕を持って早めに到着する予定がすっかり待ち合わせ時間に遅刻してしまった。
母は一人で結果を聴くのが心もとなかったようで、家族の者が遅れているので、と言って順番を後にしてもらって1階の待合で待っていた。
私が到着してからほどなくして外科の中待合に入り、20分ほど待ったところでT先生が顔を出された。
ご挨拶すると、既に血液検査の結果がPC画面に出ており、「CTも採血の腫瘍マーカーも合格ですよ。」と言われる。母はほっとして「どうもありがとうございます」と言って、その後の細かい話は私にお任せといった感じ。
「CTでも再発の兆候はないし、ヘモグロビンが8ほどで貧血気味ではあるけれど、特に悪化しているわけではないので様子見でいいでしょう。2種類の腫瘍マーカーCEA、CA19-9も問題なし」とのこと。
「再発の可能性は時間が経てばどんどん減ってくるので(何年経っても再発しないと言い切れない乳がんとは随分違うのだな、と思う。)まずは安心でしょう」とのこと。先生はすぐに採血結果をプリントアウトしてくださったが、当の本人である母が手も出さないので、しばし空をさ迷って私の手の上に回ってきた。苦笑である。次回は3カ月後、7月の上旬に採血で腫瘍マーカーのチェックだそうだ。
「いかがですか、困ったことはありませんか」の問いに「まだ夜中にお手洗に何度か起きて眠れないので、なかなか疲れやすくて。眠剤をお願いします」などとしょぼくれた風情で言っている。「夜にお通じがありますか。便通はあまり止めてしまわない方が良いので・・・」とのことだが、「なんとも気持ちが弱いので・・・」と私が言うと、「そんな大手術をしたわけではないのですから、大丈夫ですよ、もう元気ですよ。」と励ましてくださるが、頼りなさげな母に「何かあったらいつでも電話してくださいね」とフォローするのも忘れないT先生。若いけれど頼りがいのある方、良い主治医に恵まれたと思う。ご挨拶して診察室を後にする。
処方箋と次回の予約表が出るのを待ち、1階に降りて会計を済ませる。外は今にも降り出しそうなお天気だ。歩道を渡って薬局に入ると結構な混雑。ここでも20分ほど待っただろうか。3か月分の眠剤と軟膏を頂いて今日の付き添いは終了。
ランチにはちょっと早かったので、カフェでお茶をして母の話し相手になる。「先生には大手術じゃないのね、でも私にとっては一大事だった」と面白くなさそうに言う。
まあ、それはそうでしょう、80歳を超えて全身麻酔の手術をするとは本人が一番青天の霹靂だったのだろうから。とはいえ、切除した腸がトカゲのしっぽのように再び生えてくるわけでなし、肝臓のように再生されるわけではないから、今まで通り、全く元通りになる筈もない。なんとか折り合いを付けて行かないといけないのだ、と話す。
週4日デイサービスに出かけている父は相変わらずの様子で、母の退院後せっかくポットからお茶を淹れる習慣をつけたのに、母が元気になってきたら、また逆戻りだそうだ。じっと座って「自分で淹れるとお茶はまずい。ママ(母のこと)に淹れてもらうのが一番」と。
家にいる時はひたすらウトウトしているか座っているだけという。まあ、母がそれを許しているわけだからどっちもどっちなのだけれど。
ということで、一つの心配事が無事クリア。
明日の夫の入院支度は今しがた終えた。明日は都心定例会議の出張後、職場に戻ってガイダンスを開催しなければならないので、入院手続きに付き添うことが叶わない。
仕事を終えてから病院に様子見に向かうことになる。こちらも早く無事クリアといきたいものである。