昨日はなんとか定時迄働けたけれど、疲労困憊は明らかで、帰宅後、生協のお届け品を取り入れてDMや洗濯物等最低限の片づけをしたら、電池が切れたように突然動けなくなった。
夫が帰宅するのを待って、夕食が出てくるまでじっとしているという主婦にはあるまじきふてぶてしい態度である。
夫は茄子のキーマカレーがお勧めだったよう(挽肉を使ってしまいたかったらしい。)で、それを頂く。気持ち悪くて苦しい、と同時にお腹が空いてたまらない。昨日あたりまでは会話もろくに出来ず、実に無愛想だったが、大分喋れるようになってあれこれ言いたい放題を言うので夫は苦笑(を通り越して眉間のあたりの青筋がピキッとしている)である。
曰く、私は少し調子が悪いくらいの方が大人しくて良いらしい。まあ、私の我儘のなせる業だから、仰るとおりなのだけれど。
食後もまだなんとなく頂けそう(暴走する食欲!)だったので、自分から台所に立って梨を剥いた。「(包丁の使い方)忘れていなかった?」と一言言われたが、この1週間はそのくらい食べ物に触れるのも台所に立つのも嫌だった。
食後はダラダラとソファで横になってビデオを視、時間を浪費する。吐き気はあるし、眠くならないうちにベッドに行ったところでそのまま悶々と過ごすことになるので、ギリギリまで粘ってから入浴した。
さて眠れるかと思ったけれど、やはり気持ちが悪い。寝返りを打ちながら少しでも楽な位置を探そうとするが、どちらを向いてみてもどうにもお腹が苦しく胃も痛い。吐き気と痛みがせりあがってくる。
1時半近くまで眠れず、ようやく眠ったかと思ったら2時間もせずにお手洗いで目が覚めた。その後はまた明け方まで、気持ち悪さとお腹の苦しさで眠れなかった。合計4時間も眠れていないのではないか。不思議なことに、こんなに気持ち悪いのに食べることばかり考えている。今日のお昼はあそこに行こうとか、今晩はあれを食べようとか・・・飢餓状態にして且つ卑しいのである。
朝食は青汁以外ほぼ普通通り。2,3日お腹が全く開通せずにウサギさん便がちょっぴりという状況が続いている。これこそお腹がぐるんぐるんする気持ち悪さの原因だろう。ずっと腹痛なのに排出されない。そろそろ酸化マグネシウムの出番かと薬袋に入れて出勤した。
今日も涼しい。台風が東に逸れて直撃を免れたのは有難いことだった。風はあるが雨は降っていない。長袖のブラウスに薄いコートを羽織っただけ。
出勤しても腹痛は続いたが、無事普通便が排出出来て良かったと思ったのも束の間。ほどなくしてまた刺し込むような腹痛。待ったなしに下痢になった。お手洗いから出られずに脂汗。本当に極端から極端である。
でも、薬を飲まずに自力で開通してくれて良かった。昼食を摂った後もまた下痢だったけれど、これで少しお腹の調子が落ち着いてくれたら気持ち悪さも収まるのではないか。
こうして目一杯体調が悪いのは丸々1週間で、ようやく投与翌週後半(すなわち今日)から少しずつ回復し始め、週末にはなんとか動き出せるのがエンハーツのパターンか。8割に減量したけれど、目立った身体の楽さは感じない。昨朝で吐き気止めのデカドロン2㎎も飲み終わったので、コンスタントな吐き気止めは処方されていないけれど、食べ物を口に入れるにはナウゼリンを飲んでからでないととても無理だ。
猛暑だった第2、第3クールの吐き気と疲労は本当に死ぬ思いだったけれど、大分涼しくなってきたせいで、それが少し軽減したように感じる。これが暑さ負けの疲労感が収まっているのか、それともエンハーツ減量のなせる業なのかわからないが・・・。
さて、実家の母のことを少し。
昨日は母の外科と泌尿器科の経過観察通院日だった。今回の4連休、敬老の日を祝うこともなく、お彼岸でお墓参りに同行することも出来ず、ただただ自分の不調とだけ向き合い、母には日々の短い電話で生存確認をしつつ叱咤激励をするだけの不肖娘である。
本当なら介護休暇を取得して通院付添もしたかったが、昨日は仕事を休むわけにはいかなかったので、一人で行ってもらった。
当初、外科と泌尿器科とそれぞれずらして2回CT撮影をすると聞き、驚いた。どうせ頸部から骨盤なのだから1回で十分ではないかとお話しして、結局、変更してもらった。1か月も空けずに造影CT検査をするなんて無駄な被爆で、連携が悪すぎるではないか。結局1日で検査が済むことになったという。
外科は2015年9月末に手術した直腸がんの5年目検診。これでOKが出ればひとまず卒業というタイミングだった。オペを執刀してくださった先生からもう3人も主治医が変わっており、春に変わった現在のドクターとはいまだお目にもかかれていないのだけれど、他臓器への転移も再発もなく、無事卒業のお墨付きが出たという。良かった、良かった。
思えば、母のこの時の入院手術で止む無く父をショートステイに送ったことで、父はすっかりしょげてしまい、結果体調を崩し、その翌夏急逝するというきっかけにもなった。
それまでなんとか2人で大過なく暮らせていた両親にとっては、その生活環境を大きく変えた病だった。
父が亡くなって丸4年。頼りなくもアテにならない娘のサポートの中、小さな身体で辛い内視鏡検査等を繰り返しながらも、とにかく無事卒業にこぎつけた母はよく頑張った。
その翌々年、2017年5月に黄斑前膜で硝子体手術をしたが、父の介護等で後回しにしていたせいか術後もあまり期待された効果は出ず、症状は低値安定。眼鏡をかけても結構見えづらくなっており、足取りがちょっと危ない。
その2年後、昨年2019年9月に、今度は左腎がんの手術をした。82歳、84歳,86歳と2年おきに3回の入院手術、うち2回は全身麻酔の開腹手術である。こちらはまだ1年目の経過観察中。母は私を出産後、腎臓を患っているが、おかげさまで尿たんぱくも出ず、再発や転移の兆しもなく、とのこと。
この後は3か月ごとの診察と半年ごとのCTで様子を見ていくという。まあ、これからは寿命との追いかけっこということかもしれない。
こうしてダブルキャンサーのサバイバーだった母は、87歳にして無事直腸がんから解放され、ケアするのは当面腎がん1つだけになった。
月末には私ももう少し元気になって、無事卒業を祝ってあげたいとプランを練っている。
夫が帰宅するのを待って、夕食が出てくるまでじっとしているという主婦にはあるまじきふてぶてしい態度である。
夫は茄子のキーマカレーがお勧めだったよう(挽肉を使ってしまいたかったらしい。)で、それを頂く。気持ち悪くて苦しい、と同時にお腹が空いてたまらない。昨日あたりまでは会話もろくに出来ず、実に無愛想だったが、大分喋れるようになってあれこれ言いたい放題を言うので夫は苦笑(を通り越して眉間のあたりの青筋がピキッとしている)である。
曰く、私は少し調子が悪いくらいの方が大人しくて良いらしい。まあ、私の我儘のなせる業だから、仰るとおりなのだけれど。
食後もまだなんとなく頂けそう(暴走する食欲!)だったので、自分から台所に立って梨を剥いた。「(包丁の使い方)忘れていなかった?」と一言言われたが、この1週間はそのくらい食べ物に触れるのも台所に立つのも嫌だった。
食後はダラダラとソファで横になってビデオを視、時間を浪費する。吐き気はあるし、眠くならないうちにベッドに行ったところでそのまま悶々と過ごすことになるので、ギリギリまで粘ってから入浴した。
さて眠れるかと思ったけれど、やはり気持ちが悪い。寝返りを打ちながら少しでも楽な位置を探そうとするが、どちらを向いてみてもどうにもお腹が苦しく胃も痛い。吐き気と痛みがせりあがってくる。
1時半近くまで眠れず、ようやく眠ったかと思ったら2時間もせずにお手洗いで目が覚めた。その後はまた明け方まで、気持ち悪さとお腹の苦しさで眠れなかった。合計4時間も眠れていないのではないか。不思議なことに、こんなに気持ち悪いのに食べることばかり考えている。今日のお昼はあそこに行こうとか、今晩はあれを食べようとか・・・飢餓状態にして且つ卑しいのである。
朝食は青汁以外ほぼ普通通り。2,3日お腹が全く開通せずにウサギさん便がちょっぴりという状況が続いている。これこそお腹がぐるんぐるんする気持ち悪さの原因だろう。ずっと腹痛なのに排出されない。そろそろ酸化マグネシウムの出番かと薬袋に入れて出勤した。
今日も涼しい。台風が東に逸れて直撃を免れたのは有難いことだった。風はあるが雨は降っていない。長袖のブラウスに薄いコートを羽織っただけ。
出勤しても腹痛は続いたが、無事普通便が排出出来て良かったと思ったのも束の間。ほどなくしてまた刺し込むような腹痛。待ったなしに下痢になった。お手洗いから出られずに脂汗。本当に極端から極端である。
でも、薬を飲まずに自力で開通してくれて良かった。昼食を摂った後もまた下痢だったけれど、これで少しお腹の調子が落ち着いてくれたら気持ち悪さも収まるのではないか。
こうして目一杯体調が悪いのは丸々1週間で、ようやく投与翌週後半(すなわち今日)から少しずつ回復し始め、週末にはなんとか動き出せるのがエンハーツのパターンか。8割に減量したけれど、目立った身体の楽さは感じない。昨朝で吐き気止めのデカドロン2㎎も飲み終わったので、コンスタントな吐き気止めは処方されていないけれど、食べ物を口に入れるにはナウゼリンを飲んでからでないととても無理だ。
猛暑だった第2、第3クールの吐き気と疲労は本当に死ぬ思いだったけれど、大分涼しくなってきたせいで、それが少し軽減したように感じる。これが暑さ負けの疲労感が収まっているのか、それともエンハーツ減量のなせる業なのかわからないが・・・。
さて、実家の母のことを少し。
昨日は母の外科と泌尿器科の経過観察通院日だった。今回の4連休、敬老の日を祝うこともなく、お彼岸でお墓参りに同行することも出来ず、ただただ自分の不調とだけ向き合い、母には日々の短い電話で生存確認をしつつ叱咤激励をするだけの不肖娘である。
本当なら介護休暇を取得して通院付添もしたかったが、昨日は仕事を休むわけにはいかなかったので、一人で行ってもらった。
当初、外科と泌尿器科とそれぞれずらして2回CT撮影をすると聞き、驚いた。どうせ頸部から骨盤なのだから1回で十分ではないかとお話しして、結局、変更してもらった。1か月も空けずに造影CT検査をするなんて無駄な被爆で、連携が悪すぎるではないか。結局1日で検査が済むことになったという。
外科は2015年9月末に手術した直腸がんの5年目検診。これでOKが出ればひとまず卒業というタイミングだった。オペを執刀してくださった先生からもう3人も主治医が変わっており、春に変わった現在のドクターとはいまだお目にもかかれていないのだけれど、他臓器への転移も再発もなく、無事卒業のお墨付きが出たという。良かった、良かった。
思えば、母のこの時の入院手術で止む無く父をショートステイに送ったことで、父はすっかりしょげてしまい、結果体調を崩し、その翌夏急逝するというきっかけにもなった。
それまでなんとか2人で大過なく暮らせていた両親にとっては、その生活環境を大きく変えた病だった。
父が亡くなって丸4年。頼りなくもアテにならない娘のサポートの中、小さな身体で辛い内視鏡検査等を繰り返しながらも、とにかく無事卒業にこぎつけた母はよく頑張った。
その翌々年、2017年5月に黄斑前膜で硝子体手術をしたが、父の介護等で後回しにしていたせいか術後もあまり期待された効果は出ず、症状は低値安定。眼鏡をかけても結構見えづらくなっており、足取りがちょっと危ない。
その2年後、昨年2019年9月に、今度は左腎がんの手術をした。82歳、84歳,86歳と2年おきに3回の入院手術、うち2回は全身麻酔の開腹手術である。こちらはまだ1年目の経過観察中。母は私を出産後、腎臓を患っているが、おかげさまで尿たんぱくも出ず、再発や転移の兆しもなく、とのこと。
この後は3か月ごとの診察と半年ごとのCTで様子を見ていくという。まあ、これからは寿命との追いかけっこということかもしれない。
こうしてダブルキャンサーのサバイバーだった母は、87歳にして無事直腸がんから解放され、ケアするのは当面腎がん1つだけになった。
月末には私ももう少し元気になって、無事卒業を祝ってあげたいとプランを練っている。