ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.7.18 You Tubeの恩恵

2012-07-18 22:10:19 | 合唱
 それにしても便利な世の中になったものだ。
 題名を入れてちょっとクリックすれば、いろいろなアマチュア合唱団が歌っている歌が一瞬にして検索できる。学生時代に、楽譜を読みながら音を取る時は、せいぜいピアニカか、ちょっと贅沢な練習場ならばオルガンかピアノ。いずれにせよ鍵盤楽器からだった。
 だが、今や、練習前にそれぞれのメロディが入ったCDが配布される(これはこの団体の幹事諸氏がいかに至れり尽くせりなのか、ということでもあるが)し、それでも感じが掴めなければ、いきなりPC上で至極簡単に演奏を聴けてしまう。
 本当に隔世の感がある。当時から30年近く経っているということを改めて感じる。

 子供の頃ピアノを習っていたこともあり、これまで何となく絶対音感があるつもりでいた。
 けれど、3年前、四半世紀以上ぶりで校友会音楽祭の合唱練習に参加した時、自分が思い浮かべていた音とピアノから出る音の高さが余りに違って、焦るとともに混乱した。
 落ち着いて考えれば当然のことなのだが、加齢とともに間違いなく声が低くなっている。さらに今は、私たちが現役大学生だったころよりも半音近くピッチが高くなっているらしい、ということを知った。3年経ってもやはりまだ慣れない。何となく楽譜を見ながらも、実際にはそれより半音高く歌っている感じがする。
 息子の部屋の電子ピアノで音取りをするのもあまり現実的ではない。だから今の私にとって、You Tubeは手軽で偉大なお助けマンだと思う。

 一方、夫から今般の大津のいじめ自殺事件に纏わるYou Tube画像を見せられて、戦慄した。
 ご丁寧にも「拡散希望」とあり、既に15万回も再生されていた。主犯格の少年、その親兄弟、住んでいる家、引っ越し先の中学校まで、全て実名で写真入りだ。その情報が真実かどうか確認する術もないまま、一度こうした形でネット上に載ってしまえば、完全に削除することなど不可能に近いだろう。
 ネットとは、不特定多数者が匿名で特定のターゲットをここまで叩きのめすことが出来るものでもあるのだ、と息苦しくなる。もちろん、人としてやってはいけないことをやってしまったという事実は消えないのだろうけれど・・・。

 何であれ、便利なものが両刃の剣であることには違いない。
 You Tubeのおかげで、音とりが楽で有難い、などと合唱の個人練習に使うだけで済んでいる私は何とも呑気者すぎるのかもしれない。

 今日も一日暑かった。身体が暑さに慣れていないから余計応えるのだろう。
 職場では昼前の放送で、「使用上限値を超えそうです。」とあり、皆で消せる電気等を消して回ったが、午後にはその甲斐もなく上限値を超えて、またしても空調が切られてしまった。

 帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。今日は淡いグリーンのカーネーションが2本、濃い紫が3本、ヒペリカムが2本、姫ヒマワリが2本(旭)。花言葉はそれぞれ「女の愛」、「きらめき」、「素敵」だという。
 こう暑いと、お花も大変だろう。毎日水換えをお忘れなく!のコメントが入っていた。
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2012.7.17 ラストシーンににんまり―崖っぷちの男―

2012-07-17 19:50:45 | 映画
 夫のリクエストで標題の映画を観た。
 2時間弱だったが、シネマトグラファーの須賀隆さんがパンフレットに書いている通り、「予想を裏切りながら展開する、したたかに計算されたサスペンス」で、実に面白かった。
(以下、ストーリーに触れてしまう所があるので、これからご覧になる予定の方はお読みにならない方が良いかと思います。)

 原題は「Man on a Ledge」(“飛び降り自殺者”を指して使われる警察用語だそうだ。)。そして邦題が文字通り「崖っぷちの男」。これがもう一つの意味をも匂わせる巧いタイトルである。
 舞台はニューヨーク・マディソン街のルーズヴェルト・ホテル。見晴らしの良い21階の部屋の窓の外―壁面の縁―だ。主人公ニックは宝石警護のバイト中にダイヤを盗んだ罪で服役中の元警官。無実を晴らすために脱獄し、自殺騒ぎを巻き起こす。彼は、1か月前に任務に失敗して若い警官の飛び降り自殺を止められなかった女性刑事マーサーを交渉人に指名するが、その彼女との駆け引きが面白い。
 と同時に、その裏で別の計画が着々と進行している。ニックの弟のジョーイとその恋人アンジ―が侵入するビルこそ、強欲な不動産王で宝石商として財を成し、ダイヤ泥棒として主人公を告発したエド・ハリス演じるイングランダーのもの。
 先読みがなかなか出来ず、あれ、この人いい人、悪い人?というニックの相棒なるキャラクターもいて、そんなことを考えているうちにどんどん話が進行してしまう。単なるサスペンスだけでなくユーモアもたっぷりで痛快なラストに突進した。

 高所恐怖症の人はかなり気分が悪くなるのでは、と思うほど下を見下ろすカットが沢山出てきた。撮影場所の高さを検討するときに、「不安感をかき立てるには十分な高さだが、地上の人々や物が豆粒にしか見えないほどには高くない」ということから、21階(地上60m)が選ばれたという。屋外と屋内をシームレスに撮影するスカイボックスは、客室から窓の外まで一体化された箱状のセットで、地上70mのホテル屋上に置かれたそうだ。
 実際、高い所が苦手な夫は、隣でかなり固まっていた。私は“○○は高い所が好き”と言われるように全く問題ないのだが、最初に夫からこの映画が観たいと聞いたときに、本当に大丈夫?と思ったとおりだ。
 最初から最後まで、手に汗握り暑さも吹き飛ぶ感じ。期待を裏切らない“起死回生のショータイム”だった。

 何より印象的だったのは、ラストシーンで判るあるチャーミングな男性の正体。これには「やっぱり!」と思わず声を出してしまったが、にんまりする素敵なものだった。そうそう、ジョーイとアンジ―のハッピーな結末にも。

 今日も朝からじりじりと照りつける太陽と抜けるような青い空。四国から関東甲信まで梅雨明けとのこと。
 職場では昼休みに食事をしていると、「使用電力が上限値を超えましたので、節電のため空調を止めます。」との放送が入った途端、プツリと風が止まった。
 昨夜は寝苦しかった。ここのところずっと良く眠れていたのだが、寝付きも悪く、寝覚めも悪く、そのせいか耳鳴りが酷い。気圧のせいか、腰痛持ちである夫も私もどうも腰が怖い状況になっている。気をつけなくては・・・。

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2012.7.16 海の日に、瞑想と面接

2012-07-16 22:38:16 | 日記
 三連休最終日の海の日は、天気予報のとおりの猛暑日。湯気が出そうなほど厳しい暑さの一日となった。

 夫は通常通りの時間に休日出勤、息子は部活の買い出しで都心まで出かけるということだったので、いつも通りの時間に起床し、洗濯干しを済ませた。 
 私は、息子が出かけるのと一緒に家を出て、朝一番のメディテーションヨガ初級のクラスに参加した。
 通っているスタジオでは初開催の、新しいコースだ。担当は、全スタジオのインストラクター人気投票でベスト10に名を連ねたSさん。三連休の最終日の朝という条件にもかかわらず、参加者は30名ほどでスタジオは満員だった。「思考をリセットするテクニックである“瞑想”に注目したコース。 簡単なポーズでカラダをほぐして、呼吸法によって感覚を内側に向けながら行う、初心者でも取り組みやすい構成となっています。 浮かんできた“考え”を見つめ、手放していくことを繰り返し、頭の中を空っぽでクリアな状態にしていきます。メディテーションは、頭(思考)のリセットによって、ものごとの捉え方が前向きになり、毎日が幸せに感じられ、人間関係も好転したり、集中力が高まることによって仕事の効率も上がるなどの効果が期待できます。」という触れ込み。 
 このメディテーションは、毎日3分~15分程度行うと効果が高いと言われているそうだ。朝でも夜でも、静かで快適な場所で時間があったら、日課として組み込むのが理想的のようで、少なくても、どんな時間帯でも、できる範囲で日常的に瞑想を行うと良いらしい。そして、他のヨガのクラスと組み合わせてこの「メディテーションヨガ」に参加することで、少しずつメディテーションが上達し、ポーズの集中力向上や、心・カラダ・思考が健康でいられる状態が手に入るとのこと。
 実際には、体をほぐしながらメディテーションの説明、呼吸法、いくつかのポーズをした後、初めて25分のメディテーションを経験した。目を閉じて外の情報を全てシャットアウトし、背筋を伸ばして(腹筋を使って)胡坐をかいてじっと座っているだけで体幹がかなり辛い。たとえ何があっても眼を開けるとそれで終わってしまうので、眼は閉じたままで、と指示があった。眠くなってしまったら眠ってしまってもOKとのことだったが、雑念があるのかどうか、体が揺れてしまい、眠ってしまうほどには至らなかった。スタジオはいつものホットな環境ではなく常温だったので、かいた汗の量は普段よりずっと少なかったが、シャワーを浴びた後は、不思議なくらい頭がスッキリとして気分爽快だった。これからも時間があえば参加してみたい、と思う。

 その後、取り払ったはずの雑念を持ち込まず、息子の塾の先生との面談をこなした。予想はしていたが、言われたことは厳しいことばかり。当然と言えば当然なのだが、この夏休みをどうしたものか、と頭を抱えながら帰途についた。

 帰宅すると、洗濯物はパリッと乾いていて気持ち良くたためた。
 明日からまた新しい一週間が始まる。
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2012.7.15 連休2日目、義母お見舞いへ

2012-07-15 22:11:36 | 日記
 連休2日目。今日は、義母のショートステイ先に家族揃ってお見舞いに出かけた。
 それにしても暑い日だった。もとからこの地域は、真夏には常に39度等という高い気温を記録して、話題になる土地でもあるのだが・・・。

 明るいエントランスを入って、受付でご挨拶。義妹が先に着いていて合流した。
 居室は4人部屋と聞いていたが、天井はつながっているものの、パーテーションで仕切られていて、殆ど独立した感じの個室。プライバシーは保てる作りだ。入口にはそれぞれの方の写真と名前が貼ってある。
 義母は、5月に入院先の病院に見舞った時よりも、浮腫みもなく、顔色もつやつやと良く、言葉もちゃんと出て、とても元気そうに見えた。やはり一日パジャマで過ごさなければならない病院よりも、朝、きちんと着替えをして過ごすことの出来る施設に入所することが出来て、本当にラッキーだった、と思う。

 私の顔を見ると、「久しぶり・・・」という言葉が出た。手を握って、「お元気そうで良かったですね。」と話す。髪の毛もカットしたばかりということで、夏らしくさっぱりしていた。皆の名前は出てこなかったけれど、私のことはちゃんと認識してくれたようだ。ちょうどおやつの時間で、義妹がフルーツを食べさせてあげていたが、美味しそうにちゃんと食べることが出来ていた。
 その後、息子もプリンを少しずつ口に運んであげた。それを見ながら「10数年前は(食べる方と食べさせる方とが)逆の立場だったんだよな・・・。」と夫がしみじみと漏らした。本当にそうだったのだな、と思う。

 廊下で行き交う施設の職員の方たちも、皆、明るく挨拶をしてくれる。夏らしい鮮やかなアロハシャツのようなユニフォームを着て、気持ちが華やぐ感じがする。廊下には、画廊のように沢山の綺麗な写真が飾られていた。
 昔、仕事でこうした特別養護老人ホーム等に取材に行ったことを思い出したが、ここには当時のちょっと暗いイメージは全くなかった。
 最高気温が35度に達する暑い日だったが、程よく空調が効いており、快適に過ごせることが分かって有難いことだとほっとした。

 皆で2時間ほどいただろうか。夕方「また来るから元気でね。」と施設を後にした。
 義母は現在ショートステイで入所している。この後、正式入所が出来る日が来るということは、今、入所されているどなたかが亡くなることだ、と思うとやはり何とも言えず複雑な気持ちだ。

 これまでお見舞いに訪れた時は、毎回、休薬週の時に当たっていたわけではなかったので、往復6時間と病院滞在でかなり憔悴したが、今回は自分でも驚くほど体調が良く、元気。往復の車内も眠ることなく本を読んでいられた。義妹からは「調子が良さそうで、どこか悪い人になんかまったく見えないわね。」と言われた。
 そう、私自身、本当に病気だったのかしら・・・と不思議に思うほどの元気さである。
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2012.7.14 赤の他人から余命を告げられること

2012-07-14 19:58:53 | 日記
 昨日の読売新聞で、気になる記事があったので、以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

 19歳娘の余命、客から知らされた女性…勝訴

 がんだった娘の余命を看護師が漏らし、経営する飲食店の客から知らされて精神的苦痛を受けたとして、大分市の女性が同市内の病院院長に330万円の損害賠償を求めた訴訟で、福岡高裁は12日、請求を棄却した1審・大分地裁判決を変更し、院長に110万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
 犬飼真二裁判長は「院長には看護師が職務上知り得た情報を漏らすことがないよう、監督する義務があった」と述べた。
 判決によると、女性の娘はがん治療で同病院に入院、通院。担当の女性看護師は2008年6月頃、余命が半年と分かり、飲食店名とともに夫に漏らした。夫は同店の利用客で、同年7月に来店した際、医師から余命を告げられていない女性に「娘さん、長くないんだって。あと半年なんやろ」などと話した。
 娘は同年12月、19歳で亡くなった。
 1審は看護師の夫婦間で私的に行われた行為として、院長の責任は認めなかった。これに対し、高裁判決は「勤務場所でなくても、看護師が職務上知り得た秘密を漏らさないよう、監督することができた」として使用者責任を認めた。
 女性は院長と看護師夫婦を相手に提訴。夫婦とは和解が成立している。院長の代理人弁護士は「判決文を読んでおらず、コメントできない」と話した。(2012年7月13日10時17分 読売新聞)

(転載終了)※  ※  ※

 もちろん110万円支払ってもらっても、発せられた言葉は消えないし、受けた心の傷は決して癒えないだろう。そして当然のことながら、亡くなった娘さんも浮かばれないだろう。

 看護師の監督義務を問われたというが、院長がその使用者責任をどこまで負えるものだろうか。娘さんがどこの誰か特定できるように夫に話した看護師の、医療者としてのモラルの低さもさることながら、それを夫婦の間の話で終わらせずに、わざわざご丁寧に、患者の母に言いに行くその夫たるや、メンタリティの理解に苦しむ。
 ただ、守秘義務が夫婦間の間でどこまで有効なのか、と考えると、こと個人情報に接することの多い職業を持つ人が、家の中で口にすることの線引きは本当に難しいと思う。

 それにしても、母として知らされてもいなかった愛娘の余命を赤の他人から聞かされるとは、女性のその時の気持ちを想うと、胸が潰れそうになる。
 もちろん、主治医から聞いたって衝撃であることには違いない。だが、記事を読む限り店の客でしかない赤の他人から、世間話のように話されたことだというのが辛すぎる。
 余命なんて本当のところ、誰にもわからない。そんなことをあたかも判ったように口にしないでほしい、と強く思う。

 娘さんのご冥福をお祈りしたい。

 三連休初日。蒸し暑い日だった。早朝、息子の学校からの「大雨洪水警報発令のため臨時休校」というメールで起こされた。午前中は月1回のリフレクソロジーへ、夕方は骨盤調整ヨガに参加し、体のメンテに勤しんだ。
 明日は家族揃って義母のお見舞いに出かける。
コメント (4)
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