ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.8.24 みんなで学ぼう!ここまで進んだゲノム医療!~かながわ乳がん市民フォーラム参加~

2019-08-24 22:06:54 | 日記

 昨日は少し早めに職場を出て一旦帰宅後、みなとみらい地区のホテルを目指した。駅を降りると、皆がスマホを空に向かって掲げている。雨が上がって雲の切れ間から大きな虹が架かっていた。今年は虹に遭遇する機会が多い。いいことがあるのかも!

 チェックインした部屋からは大観覧車のイルミネーションが美しい。息子がお世話になった遊園地もライトアップ。屋形船も沢山出ている。
 ほどなくして夫が出張先から合流し、部屋で一服。予約していた中華レストランに降り、眼福、口福の1時間半を過ごした。9種類の前菜から珍しいゴーヤを使ったデザートまで大満足だったのだけれど、部屋に戻ってまた腹痛・・・案の定お腹を壊す。本当に情けないことである。

 さて、前泊し、万全の態勢で迎えた今朝である。土曜日恒例の、ベッドの中で朝の連続テレビ小説を視、のんびり起きてブッフェの朝食へ。夏休み中の土曜日、かなりの混雑だ。カップルだけでなく、ちびっこや赤ちゃん連れの家族で溢れている。幸い窓際の席を案内され、カスタマイズしたオムレツを焼いて頂き、野菜も果物もたっぷり頂いてすっかり満腹。昨夜の腹痛をものともせず、懲りずに今朝も・・・、でも食後はお腹が緩い。トホホ。

 部屋に戻ってチェックアウトまでまったり過ごす。夫は食休みなのか、起きて朝食が済んだだけなのに、またしてもベッドで寝ている。その間私は昨日電車の中で読み切れなかった樹木希林さんの「この世を生き切る醍醐味 最後のロングインタビュー」(朝日新書)を読み終えた。亡くなる半年前、7時間に及ぶロングインタビュー(新聞連載したものも読んだが、大分割愛されていたようだ。プロローグに出てきたNHKスペシャルも視ていた。)を全収録したものに加え、両親を相次いで亡くされたお嬢さん、也哉子さんのインタビューも読み応えがあった。

 そうこうするうちにチェックアウトの時間が迫り、夫を起こす。開場までまだ少し時間があったので、ラウンジでお茶をして時間調整。会場前で夫と別れた。

 昨年も参加する予定だったが、ポルトガル旅行から帰国した翌日、朝起きるつもりが気づけば昼という酷い寝坊(時差ボケの成せる技だ)をして、泣く泣く参加を見送った。2008年から2011年まで、再発以来4年連続で参加し、それ以降今の会場に変わってからは3年前2016年に参加、今回は3年ぶり6回目の参加となる「かながわ乳がん市民フォーラム」である。

 第18回のテーマは『みんなで学ぼう!乳がんと遺伝子・遺伝~ゲノムってなに?遺伝するの?医療の未来は?~』である。
 開場後2分ほどしか経っていなかったが、既に良い席はかなり埋まっていて、びっくり。最近、講演会には大分足が遠のいている私、皆さんの向学心と熱意に圧倒される。
 気づけば患者歴14年半、再発歴11年半になったが、この間の医療の進歩は実に目を見張るものがある。勉強しないととても追いつかない、と言うのは医療関係者ご自身も同様のようだ。ご多忙の中、こうして土曜日も返上でこうしたイベントに尽力される先生方には心底頭が下がる。

 司会の土井卓子先生は2回目から参加されており、36年の医師人生の半分になるそうだ。ここで情報を上手く知って治療と向き合うのがフォーラムの役割だと仰る。資料には表がピンク、裏がブルーの紙が配布されていたが、これを使って質問をしながら会場参加型のフォーラムにしたいとのこと。3年ほど前から、先生方の講義を乳がん体験者の方たちが生徒になって聞き、会場を代弁して質問等をする形式になっている。講義(授業)だけでなくその後の放課後、体験者たちのよもやま話も楽しみな構成である。

 今日は校長先生役の清水哲先生直々の特別講義からスタート。小学生でもわかるレベルで、と「遺伝と遺伝子のおはなし」を30分ほど。難しい話を易しく話すのは何より大変なことだけれど、スッキリ整理されて頭に入ってくる。
 続いて「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」いわゆるHBOCの講義を吉田達也先生が質疑応答を含めて30分ほど。熱中すると早口になるので・・・と自己紹介されていたが、テンポ良く、家族歴と遺伝性乳がんはイコールではない等、分かり易い講義だった。

 ここで15分間の休憩。開場はほぼ満席。お手洗いも長蛇の列。
後半は「実際の外来診療における遺伝の話」というテーマで蒔田益次郎先生の講義からスタート。20分ほど質疑応答を含めて具体的にコンパクトにまとめられた。

 そしてラストが主治医である有岡仁先生による「遺伝子パネル検査とゲノム医療」だ。最初から生徒さんたちからの沢山の質問が。再発以来先生とは11年半のお付き合いだから、病院での白衣姿は見慣れているが、こうして病院の外でスーツ姿を拝見するのはとても新鮮。そして何より誠実でおられるお人柄、ちょっとジョークを仰るにもその真面目さが滲み出てチャーミング。

 ああ、この先生が主治医でよかったなあ、としみじみ有難く思いながらメモを取る。6月に保険適用になったばかりのパネル検査だけれど、検査が治療に結び付くのは1~2割というし、採血だけではなく検体が必要となると、なかなか厳しいなあと改めて思う。

 残すところ1時間弱。ここで舞台は配置転換。学級委員の毎日新聞記者、三輪晴美さん(インタビューで何回かお世話になり、私と同じステージⅣで10年以上治療を続けておられる。)が中央に座り、40代から60代まで、術後半年から19年までの6名の体験者(全員再発なし・・・この人数なら1人ないし2人は再発患者さんがいても良かったかな、と思う。)と薬剤師さん、看護師さんの両名が脇を固める。

 お一人ずつ今日の講義の感想を述べた後、実際にHBOCのカウンセリングを受けた方のアンケートの紹介等、盛り沢山のよもやま話タイムがあった。
 三輪さんが締めたコメント、「ステージⅣとなり11年目、段々厳しくなってはいるが、粘って頑張っていきたいし、今日の講義に希望を持てた。再発しても大丈夫という医療があればいいなと思う。」が私の気持ちを代弁してくれているように感じて、印象的だった。

 と同時に、初発で10年以上20年近く経った人たちはもう乳がん体験という呪縛から解放されても良いのではと思った。
 乳がんは他のがんと違って、5年で卒業とはいえない意地悪な病気である。だからこそ、皆さん再発したら、という不安から離れられずこうしたフォーラムに参加するのではないかとも推察する。けれど、実際再発してしまうと、再発後の治療は初発よりずっと長い(エンドレス)。

 だから、初発治療が終わったら(再発しない可能性が大きいのだから)あまり再発不安に苛まれず、日々を楽しく明るく、やりたいことを我慢しないで過ごした方が良いと思うのだ。今後ゲノム医療が進歩して、外科手術が不要になる日も夢物語ではなさそうだ。また、再発しても大丈夫、と希望が持てれば、再発してから考える、というスタンスで十分になるのではないだろか。そんな日が一日も早くやって来てくれることを願いたい。やはり細く長くしぶとく生きるに限る、である。

 そして締めは会の代表の須田嵩先生による閉会のご挨拶の後、病院から3.5km、5,600歩というウオーキングを先生が自ら映したビデオレターで会場がほっこり和んだ。

 予定より若干早い時間にお開き。会場入りしてから3時間半弱は瞬く間に過ぎた。
 主治医と三輪さんにお疲れ様のご挨拶を済ませ、ホテルで荷物をピックアップした夫と開場前で合流。私が会場にいる間は日本丸ミュージアムを堪能したそうだ。

 再び最寄り駅から横浜駅まで移動。ここで6月の誕生日に乗車したロイヤルエクスプレスのお土産であるロイヤルカフェのお茶チケットが登場。当日下車後に寄って帰らなかったのは夫曰く「これを残して置けば、また横浜に遊びに来る言い訳が出来るでしょ。」とのこと。

 ブランチブッフェ以降お昼抜きだったので、2人ともお腹ペコペコ。満席で待たなければならなかったが、わざわざ途中下車したのだから、引き返すわけにもいかず。
 カフェの店内はロイヤルエクスプレスを模した造りになっていたけれど、当然ながらちょっとチープ。車内で買い求めたCDが流れていて、車内を想い出すことは出来たけれど、軽食を摂るには小さな丸テーブルであまり落ち着けなかった。サンドイッチとカレーを頂いて早々に出て、再びJRに乗る。2人とも席を確保出来、眠くてたまらずちょっとウトウト。乗換駅で買い物をし、最寄り駅に戻ってきた。大分日が短くなったが、マジックアワーの空が美しい。

 帰宅後は夫がさっぱり素麺を茹でてくれた。久しぶりのお天気で、気温も上がり、頭を総動員して3時間の講義を聴いたのでちょっと疲れた。
 明日はまた合唱練習の日。今日も早めに休みたい。
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2019.8.22 少しずつ過ごし易くなってきたけれど・・・

2019-08-22 20:54:30 | 日記

 記事更新をちょっとお休みしていたら今週も後半になった。
 8月も残すところ10日を切り、夏休みの自由研究が手付かずで、親子共々青くなっているご家庭もあるのかもしれない。
 先週末、初めて夏休みがまるでないストイックな生活をしている息子が「大学生の時が一番良かったよ、宿題もなかったし・・・」としみじみ言っていた。高校野球もいよいよ決勝戦である。

 関西での酷暑から戻り、また通常生活が始まった。日々仕事と趣味、時々家事をして過ごしている。今月の初めにウィーンから戻っただなんて、もう遠い昔のように感じるね、と夫と言い合った。
 ひところの猛暑から解放され、蒸し暑いけれど、少しずつ過ごし易くなっている。日は確実に短くなり、早くも秋の気配を感じる風情だ。

 真っ赤だった日本列島は色を変え、今週はずっと傘マークが続いている。今朝も朝から小雨である。
 こうなると、気圧の変化で途端に胸痛~鈍痛・圧痛~に悩まされることになる。もちろん毎食後のロキソニンは欠かしていない。
 安定した晴れの天気が続いていると、暑さはさておき、気分的にもいいのだけれど。文字通りのお天気ネコで困ったものである。

 ハラヴェンの副作用にギブアップして休薬してからそろそろ2ヶ月半が経過する。ところが、手足の痺れと痛みは全く以て軽減しない。あの苦い漢方2種類を朝昼晩欠かさず飲み、真っ黄色なお小水が出るビタミン剤・ビタノイリンも朝晩飲み続けているが、緩和しない痺れである。時には酷くなっているように感じる時さえある。いつかも書いたけれど、眠っている時だけがこの不快感から解放されている。

 朝起きると、足先から腿のあたりまで膜を貼ったような違和感があり、手の平、足の裏はジンジンビリビリと痛む。段々普通だった感覚を忘れそうになってきている。安静にしていると少し楽だけれど、いざ、手を使う、歩くなどの動作が加わると、沢山の針で突つかれているような痛みが絶え間なく続く。

 爪も弱ったままで、すぐに欠けるし、割れる。何かにひっかけると剥がれそうで怖い。足指の爪囲炎は一進一退。ちょっと油断すると炎症が酷くなる。一日デスクワークをしていると、夕方にはすっかり浮腫んで足が重くてだるくてたまらなくなり、痛みを伴う。家にいる時はお行儀悪いなんてレベルではなく、ダイニングでもリビングでも、どこででも足を投げ出して上げているけれど、それでも痛みは退かない。時々「ああ、どうしてこんなに痛いんだろう」と声を出すと、夫はそれを困ったような顔をして聞いている。

 下痢が止まらないというほどではないが、お腹はいつも緩い。
 こうして不調を書き出すときりがないけれど、そうは言いつつも動けなくて寝込んでいるわけではなく、ごく普通の生活が出来ているのだから、そう酷い状況ではないのだろう。

 それより、こうして朝起きて、家事をして仕事をして・・・と、今まで通りの生活を送っているからこそ、なんとか気持ちを保ってやり過ごしていられるのだと思う。エンドレスの再発治療は、出来るだけ長く普通に暮らしていくための手段であって目的ではない。治療専念といったって、病院には毎日欠かさず通うわけではないし、入院しているのでもないから家にいる時間、自分が自由に使える時間の方がよほど長いわけだ。 ずーっと不調のことを考えていては心と身体に良い筈がないのだから。

 あと1日頑張ればまた週末がやってくる。週末はお楽しみの予定も控えている。願わくば、気圧がもう少し安定してくれますように。




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2019.8.18 旅も最終日 すみよっさん詣りの後は家族揃って野菜たっぷりランチを

2019-08-18 21:59:18 | 

 昨夜も日付が変わる前に眠りについた。明け方一度お手洗いに目覚め、再び寝直し、モーニングコールが鳴るまで起きられなかった。やはり疲れている。
 今朝は夫の方が起きるのが早かったようで、息子の起床予定時間より1時間早く、親切にも電話をかけてしまったらしい。
 外気温は27度。昨日よりは若干低いが、今日も猛暑の予報だ。足湯を済ませて昨朝より10分ほど早くレストランに到着した。

 奇しくも昨夜3人で夕食を摂った席と全く同じ席に座った。ご当地メニューコーナーなどもあり、たこ焼きやら串カツやらが朝から並んでいる。
 水分補給もたっぷりして部屋に戻りパッキング。チェックアウトを済ませて荷物を預け、ランチで息子に合流するまでの2時間半ほどをどう過ごそうか?と思案。

 7年前、私がEC投与後の好中球減少症で入院していた時(それ以来、この7年間入院をしていないのは実に快挙である。最初の3,4年は何度となく入退院を繰り返していたのだから。)、夫と息子が2人で初めて大阪観光に出かけた。その時、息子の希望で清明神社を、ちょっと足を延ばして住吉大社を訪れたという。「すみよっさん」と呼ばれ、全国に2300社ある住吉神社の総本社、摂津国一の宮として崇敬を集める場所である。私はお参りしたことがないので、では、と地下鉄と私鉄を乗り継いで住吉まいりに向かった。

 それにしても暑い。夫は相変わらず団扇が手放せない。私も日傘を畳むことが出来ない。住吉大社駅を降り、参道のお店をチェックしつつ、市電が行き交う通りを渡ればそこは住吉大社の境内入り口である。
 境内に入るには、まずびっくりするほど傾斜が急な(階段になっていたが、上りはきついし下りは怖かったこと!)反(そり)橋を渡らなければならない。橋の朱色が緑に映えて美しい。お濠の水面に逆さに映り、文字通り太鼓を描いている。

 まずは手水で手を清めて第三本宮、第四本宮と進み、続いて第二本宮、ようやく一番奥の第一本宮にお参りが出来る。本殿は国宝「住吉造」である。二礼二拍手一礼を繰り返す。
 帰路は千年楠の大樹をご神木とし、商売繁盛の神と崇められている招福猫が祀られた楠珺社を拝見し、重要文化財であるという石舞台を眺め、パワースポット五所御前(五大力)を冷やかし、良縁の神様、侍者(おもと)社で立ち止まった。

 夫婦円満はもう十分だね、と夫が言うので、これからここでずっと働くことになる息子がこの地で様々な良縁に恵まれますように、ということで土人形を頂き、裏に願い事を記して殿内に並べてきた。それにしても暑い。立ち止まると汗が噴き出してくる。

 ここで失礼しては中途半端だ、と橋の反対側に位置する誕生石、子授けや資金調達の神様である種貸社(凄い名前である)と大海神社にもお詣りして、境内をコンプリート。気づけば1時間半近くかかっていた。汗だくで喉もカラカラ。行きにチェックしていた和菓子屋さんの店内に腰かけてラムネを頂き、人心地つく。夫は好物の大福を追加することも忘れない。さすがである。

 再び私鉄に乗って、ターミナル駅の百貨店で中休み中の息子と合流した。そのまま最上階のレストランでランチ。最初は自炊していたが、変則勤務で最近はそれも叶わず、どうしても野菜不足だそうだ。では、とサラダビュッフェのついたビストロレストランに入って、デザートとお茶まで楽しんだ。

 私たちも新幹線の時間が迫っている。息子と途中まで一緒に地下鉄に乗り、別れた。私はそのまま新幹線構内を目指してお土産の列に並び、夫はホテルに向かって荷物をピックアップ。ホームで無事合流してほぼ定刻にのぞみ号は発車した。
 息子は4時間ほどある中休み、戻った後は少しだけお昼寝が出来たようだ。

 新幹線の指定席に座ると眠くてたまらなくなりちょっとだけウトウト。それでも車内はチビッコたちの声で賑やかで、なかなか眠っていられなかった。
 結局、持ってきた文庫を読む元気もなく、なんとなくぼーっとしながら降車駅に到着。タイミングよく快速電車に乗ることが出来、1駅立っただけで夫とともに座ることが叶った。ラッキー。
 私鉄乗換駅の駅ビルで軽く夕食を摂り、最寄り駅スーパーで買い物を済ませ、無事帰宅しもろもろ片づけも終わった。

 この3日間、息子が働く姿を見、世界遺産となった古墳の端っこを見学し、駆け足で神戸の異人館巡りをし、息子と3人でゆっくり夕飯を摂り、住吉大社をお参りし、息子と3人でランチを摂り・・・毎日暑かったけれど、頑張って精力的に動き、充実して過ごすことが出来た。
 途中骨の痛みが出たり、爪囲炎もちょっと心配だったけれど、なんとか持ってくれた。

 明日からまた新しい1週間が始まる。息子も車掌が本務でいられるのはあと1週間ほど。残り1週間は駅務の研修だそうだ。こちらも泊まり勤務だからまた大変なことがあるだろう。
 暑さにめげず、しっかり眠り、しっかり食べて無事研修を終えてほしいと思う。
 私も疲れを持ち越さないように早めに休まなくては。
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2019.8.17 旅2日目 坂道を上がってエトランゼ気分満喫の後は・・・

2019-08-17 22:35:32 | 

 昨夜は暑い中の移動が堪えたのか入浴後、あっという間に眠りに落ちた。4時前に一度お手洗いに起きて、二度寝。その後2時間ほどして目が覚め、再びお手洗いへ。お腹は快調である。暫し眠れずどうしたものかと思っている内にウトウト。モーニングコールが鳴るちょっと前のタイミングですっきり目覚める。 

 BSで朝の連続テレビ小説を視た後は、ゆったり足湯を済ませて身支度を調える。2度目の朝ドラを見終わり、画面は高校野球第一試合に切り替わる。そのタイミングで朝食に行く約束をしていた夫からうんでもすんでもないので、電話をするもなかなか出ない。その電話が目覚まし時計になったようだった。10分後に集合ということで、最上階のレストランへ向かった。

 市内が一望出来る窓際の席に並び、和洋折衷ブッフェをしっかり頂きエネルギーチャージ。淀川を眼下に望み、遠くあべのハルカスまで見渡せる。
 ゆっくりお茶を飲み、さて、今日はどうするかとはっきり決めないうちにホテルを後にする。朝からかなり暑い。起きた時、既に28度から9度まであった。一晩中下がらなかったのではないか。

 JRで神戸まで行ってみることに。新大阪駅は既に旅行客等で大混雑である。少し遅れていた新快速で30分もかからず三宮駅に到着。海に行くか山に行くか迷ったけれど、異人館巡りをすることに。炎天下の坂道を登る元気はなく、迷わずタクシーで異人館方面に行って頂く。
 夫は大学の保護者会役員をしていた折りに息子と2人で一度遊びに来ているが、私は、息子が小学校低学年の時、ゴールデンウィークの旅をして北野界隈を散策して以来のこと。その翌年だったか、冬にルミナリエを見に来たこともあったが、それから優に15年も経っている。

 台風一過で今日も青空、35度以上の予報である。チケットプラザの真ん前で止めて頂き、異人館巡りプレミアムパスをゲット。異人館7館に展望ギャラリーがセットで、スタンプ帳とドレスに着替えて撮影出来る特典付きである。2時間ほどでコンプリート出来ますから、と薦められ「こんなおばちゃんが、ドレスなんて着てもいいのでしょうか・・・」と思いつつ「水分補給をしながらたっぷり愉しんでくださいね~」と送り出される。

 エトランゼ気分は英國館からスタート。明治の建築当時のまま保存されているコロニアル様式の館には、名探偵シャーロック・ホームズの部屋があり、ホームズの帽子とマントを着て(かなり暑いけれど)写真撮影が出来る。館を出ると、イングリッシュガーデンにはロンドンの地下鉄ベイカーズストリート駅を模した駅のホームが設えられている。

 続いてお隣の洋館長屋は仏蘭西テイスト。外国人向けのアパルトマンとして建築されたという。世紀末の巴里をイメージした展示が素敵だ。アール・ヌーボーの花形作家ルネ・ラリックやエミール・ガレのガラス工芸品も実に魅力的。

 3カ所目はベンの家。冒険家のエキセントリックな異人館には沢山の動物の剥製が並んでおり、アドベンチャーワールドと化している。シロクマやアメリカンバイソン・白頭鷲の大きさに圧倒され、夫の背よりも高い長さのイッカクの角にも驚かされる。ここを出ると併設されたショップに繋がっており、限定の・・・といわれるとついつい触手が動く。ああ、我ながら単純である。

 ここからとんでもなく急な坂道を上がって、この地で最初に公開されたという、代表的な異人館であるうろこの家&展示ギャラリーを目指す。あまりの暑さにクラクラするが、入り口で凍らせたおしぼりを配ってくれていて、ありがたや~。高台に聳える古城のような建物の外壁を飾る天然石のスレートが魚の鱗のように見えることからこの名前がついたという。館の前庭には開運のパワースポットだというカリドンの猪が鎮座している。鼻を撫でると幸せが訪れるというので、しっかり撫でて写真撮影。

 夫は脱水症状になりそうだ、とガーデンハウスのカフェに逃げ込み、サイダーで一服。冷房の効いた涼しい室内に入ってしまうと、また外に出て行くのは大きな勇気が要る感じ。館内のティファニーのランプやマイセンの陶器等の展示品に目を見張る。
 隣接する展望ギャラリーからは神戸の街と港が一望。その眺望は北野随一という。マチスやユトリロの絵も飾られている。

 残るは3カ所。山手八番館はチューダー様式の館。ロダン等の彫刻作品の他、不思議なひと組の椅子(サターンの椅子)がある異人館で、北野最強のパワースポットだそうだ。ローマ神話の五穀豊穣の神、不思議な彫刻が施されており、男性が左、女性が右の椅子に座り願い事を唱えるとその思いは叶うと伝えられている。夫はこれまで「卒業できますように・・・」だった息子に関するお願いをパワーアップさせたそうだ。私は当然・・・であるが、内緒である。

 そして、今回のお楽しみ特典付き、北野外国人倶楽部へ。開港当時の居留者の会員制倶楽部を再現したものだという。ドレス体験、写真撮影が大人気だそうで、まず夫と別行動になる。あれこれ説明を受け、荷物をロッカーに預け、スマホだけバッグに入れて、ドレッシングルームへ。沢山のドレスの中からラベンダー色のドレスを選んだ。ティアラもどうぞと言われたけれど、かつらがずれても困るし、おばちゃんなのでちょっと地味にご遠慮申し上げた。着替えが終わり、夫と合流。スタジオでブーケ等もお借りできる。夫はジャケットを羽織って3分間のフリータイム。お互い写真を撮り合い、最後にスタッフの方がツーショットで撮ってくださるというシステムになっている。ちょっと恥ずかしいけれど、せっかくなのでしっかり愉しんできた。

 夢の時間はあっという間に過ぎ、再び着てきたワンピースに着替えて館内を見学。ご機嫌で隣の坂の上の異人館へ移動した。ここはオリエンタル趣味のオールド・モダンな館。中国領事館として使われていたそうだ。入り口には3つめのパワースポットである狛犬の門。ここを通り抜けると愛情に恵まれ幸せになると言われているそう。館内には明朝から清朝に至る美術品、家具、調度品が配されていたけれど、なんということか、冷房が壊れているとのことで、館内は扇風機だけ。サウナのようで早々に出てきた。

 すっかりお昼の時間も過ぎ、お腹はぺこぺこだ。通りかかった素敵な一軒家レストランに入り、仏蘭西料理のランチタイム。夫はステーキを、私は鯛のランチセットを優雅な気分で頂いた。東京の白金に姉妹店があるという。
 お腹が満ち足りたところで、残り時間はあと30分ほど。

 2館共通券を予めゲットしていた風見鶏の館と萌黄の館をさくさく見学して、異人館巡りもコンプリート。ここは夫と30年近く前に訪れて以来である。震災の傷跡も残っていて、しみじみと拝見する。

 それにしても暑い。夫は昨日頂いた団扇が手放せない。急な坂道を降りながら運良くタクシーを捕まえられて駅まで戻る。息子のお薦めで、帰りは阪急特急で梅田まで戻ってきた。4時間の異人館巡り、大満足だった。

 息子と梅田の百貨店で合流し、暫しウインドーショッピング。何か欲しいものは?と夫が訊くが、今すぐ欲しいものはなさそうなのでひとまずカフェでお茶。研修や仕事の話に花が咲く。忘れ物大王の息子、なくしたら大変なものをソファの上に置いてきて、ショップの方が追いかけてきてくれた。ああ、心配が絶えない。

 ホテルまで戻り、夫の部屋で高校野球観戦。というのも、夫の郷里にある高校が関東の強豪校と互角に戦っている。8回の表まで見て、まだまだ決着はつきそうにないね、と最上階のレストランに上がる。
 3人で中華料理をあれこれちょっとずつシェアしながら色々頂き、満腹。夫の郷里の高校は残念ながら延長戦で敗れてしまったけれど、良い試合だった。

 今日は勤務の合間に4時間半しか眠っていないという息子だ。明日は日勤で朝からというので、早めに解散。先日の旅行のお土産も渡して、先ほど別れ、こうして記事を書いている。
 明日は乗務の間に中休みがあるというので、ランチを共にして帰京する予定である。今回のミッションだった仕事ぶりも見られ、一緒に食事も出来て、いい2日間が過ごせて感謝である。


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2019.8.16 灼熱の関西で・・・今日も安全に働きます!

2019-08-16 22:02:53 | 

 夫が「どうしても見たいじゃない!今しか見られないんだよ!見なかったら絶対後悔するよ!」と強く希望し、5月に母連れで訪れて以来3ヶ月ぶりにまた関西にやってきた。
 4月から鉄道会社で働き始めた息子は、今も研修中の身だ。来月上旬の本社本配属を前にして、現在は1ヶ月近い師匠とのマンツーマン乗車研修を終え、無事独り立ちをして、期間限定ではあるが本務としての車掌を勤めている。おチビの頃から憧れだった鉄道の現場に関わることが出来、早朝出勤だの泊まりだの、変則勤務が大変そうではあるが、今のところ寝坊もせずに社会人1年生として充実した毎日を送っている様子だ。

 昨日は定時で職場を出、洗濯物を片付け夕食の支度をして(いつもいつも夫任せというわけではなく、平日には私も料理をする・・・ってちょっと言い訳がましいが。)夫を待つ。夕食後は2泊3日のパッキングを済ませてから、入浴、なんとか日付が変わった頃にベッドに入った。
 今朝はいつも通りの時間に起床し、朝ヨガで目を覚まし、暫し瞑想し、洗濯機を廻し、ゴミをまとめ、朝の連続テレビ小説を視て、家を出た。

 大型台風が過ぎ去ったとはいえ、なんとなくお天気がはっきりしない曇天だ。ポツポツと雨が降りそうな気配である。予定通りに私鉄とJRを乗り継いで、新幹線の駅へ到着。新幹線も今日は通常通り順調で、数分間隔で行き来をしている。一日ずれたら大変だったねと言いつつ、乗車したのぞみ号は定刻に発車。
 おやつや飲み物を買った夫は、ひとしきり口を動したかと思うとウトウト船を漕ぎ出した。こちらはようやく読みかけの文庫を1冊読み終える。名古屋を過ぎたあたりで目を覚ましたかと思うと「アイス食べよう!」と新フレーバーのマンゴーアイスを買ってくれた。

 お昼過ぎに終点・新大阪に到着。ホームに降りると熱風のような暑さが上がってくる。暑い。まずは駅ビルで昼食。どこも長蛇の列である。並ばずに入れそうな洋食レストランでお腹を満たす。駅前のホテルチェックインまで暫し時間があるので、とカフェでお茶をして時間調整。

 今日は初めて泊まるホテルだ。姿は見えるがエントランスが分かりづらく往生した。シングル2室を予約してきたのだけれど、最初出された部屋のキーは隣同士ではなかった。出来れば隣でとリクエストしたら、最上階の隣同士になった。ところがいざ部屋に入ってみたら、眺望があんまりだ。内側の部屋で建物しか見えない。荷ほどきをした後だったけれど、これはちょっと・・・下の階でも良いので、と外の景色が見える隣合う部屋に変えてもらう。そんなこんなで落ち着くまでに時間がかかり、最初からツイていなかった。3度目の正直、今度は駅がほぼ正面に、遠く山々の稜線も見渡せ、息子の住むマンションの方面も確認出来て合格である。外気温は34度。暑い。

 1日乗車券を買って、息子が乗車する線の始発駅へと向かう。息子が乗務している電車が入線してくるタイミングで迎え、始発から終点までともに1往復。息子が2巡目に出るのを見送った。今日は終電まで勤務だそうだ。金曜日の終電・・・お酒が入った人も多いだろうから厄介な事態が発生しなければいいけれど。

 目立たないように夫が動画を撮り、私は写真担当。まあ、事務職でデスクワークをしていたらこんなふうに仕事ぶりを見に遠征してくるなんてことはまず考えなかっただろう。こうして見に来られる仕事をする機会があったのはラッキーだった。マイクを持って車内アナウンスをし、ドアを閉め、ベルを鳴らし・・・普段何気なく見ている車掌さんの仕事もなかなか大忙しである。ちょっと早口なアナウンスだったけれど、言うことも沢山あるのでさもありなんである。文字通り指差し確認をし、制服に制帽、手袋と一丁前の姿を見て、夫は細い目をますます細くしている。

 折しも昨日、息子の卒業した大学から卒業アルバムが届いた。本人のポートレートには「ちゃんと社会人やっているかな?」とあったけれど、なかなかどうして。親馬鹿だけれど、立派に頑張っているではないか。

 息子に別れを告げたのは普段定時で勤務終了になる時間だ。「無事働いていたわよ」と母に報告の電話を済ませる。まだ日は高いけれど、とにかく暑いし疲れている。胸痛が出てきそうだったので私はそのままホテルに戻りたい気分だったが、せっかくここまで来たので夫が古墳を見に行こうという。
 電車を乗り継いで仁徳天皇陵等がある最寄り駅で下車。世界遺産になったことを知らせるノボリが構内を覆っている。古墳は、近くに行ったところで余りに大きすぎて、前方後円墳のカタチは全くわからない。正門まで1キロ、一周3キロ近くだとのこと。とても周囲を歩き通す元気はなく、お堀と緑の塊を見て、写真を撮って失礼することにした。

 それにしても蒸し暑い。再びホテルのある駅まで小一時間電車に揺られる。途中でお茶もしなかったし、お昼が軽めだったのでお腹がぺこぺこだ。駅ナカで天麩羅・お刺身等の和食レストランで夕食になった。
 チェックインの時はわかりにくかったホテルへの道も、分かってみればなんと近かったことか。コンビニでちょっと買い物をして、先ほど無事部屋に戻ってきてこうして記事を書いている。外はまだ29度もある。明日こちらは35度の予報。東京は37度だという。

 明日、息子は午前中に上がりだそうだ。一旦帰宅してお昼寝して態勢を建て直したら付き合えるということなので、私達はゆっくり起きて、どこか半日観光をしてから息子と合流して夕飯かな、と思っている。


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