ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.4.1 旅は7日目 さよならフィレンツェ、古都シエナ経由で聖地アッシジ入り

2024-04-02 05:08:28 | 

 昨夜も夫より先に眠れた模様。ようやく時差ぼけが治ってきたのか、はたまた本当に疲れているのか、夜中に目覚めなくなったのが嬉しい。今朝も明け方お手洗いに起きるまで一度も目覚めなかった。

 モーニングコールより1時間近く早く、夫のスマホアラームが鳴る。うーん、もうちょっと眠れたのに。その30分後、私のアラームが鳴り、ベッドでぐずぐずして起床。お腹は快調だ。

 今朝のスケジュールは8時15分に部屋の内側に荷物出し、9時15分集合で少しゆっくりだ。身支度を整え、パッキングを終えて、階下のレストランに降りる。同じグループの方の姿は2組ほど。
 昨日とほぼ同じ内容の朝食を頂く。赤いヨーグルトではないが、久しぶりにヨーグルトドリンクを頂く。部屋に戻ると、ポーターさんがまだ荷物回収に来ていない。ちょっと心配になるが、小さなエレベーターが1台しかないため、時間がかかるらしく、出発ぎりぎりにピックアップ。ほっとする。

 今日も本降りの雨。1週間旅を続けてきて、全く傘を差さずに済んだのはヴェネツィア1日だけか。こんなに雨に祟られた旅行は生まれて初めてだ。どんなにか強力な雨男ないし雨女が同行していると思われる。
 ホテルからグラッツェ橋を渡り、バスが迎えに来ている場所まで傘を差してとぼとぼと歩く。旅行中でなければお家でまったりしていたい気分だ。ポーターさんはもっと大変。グループ分の荷物をカートに載せて雨の中、バスまで運んでくださるのだから。
 こういう楽な旅をしてしまうと、自分でえんやこらと荷物を運ばなければならない旅はもうしんどいな、と思う。歳を重ね、病を得、こうして旅に出られるだけ感謝しなければならないのだけれど。

 2019年夏、中欧の旅に出て以来、コロナ禍で2020年夏に予約していたトルコ旅行がツアーキャンセルとなり、5年近くぶりの海外旅行である。トルコ旅行も10日の予定だったから、大きなスーツケースを新調したのだが、長く納戸で無用の長物と化していた。ようやく日の目を見た今回の旅、シャンパンゴールドの真新しいスーツケースは、あっという間にあちこちに傷や汚れがつき、すっかり貫禄がついた。

 花の都フィレンツェに別れを告げる最後の立ち寄りポイントはミケランジェロ広場。ダビデ像のコピーも冷たい雨で震えているように見える。お天気が良かったら、どれだけ素晴らしい景色かと思うが、繰り言を言っても致し方ない。フィレンツェの街並みを一望し、ぱぱっと写真撮影を終えたら、そそくさとバスに戻る。

 今日は中世の面影が色濃く残るトスカーナの古都、糸杉とブドウ畑に囲まれたシエナへと向かう。80㎞1時間半の旅だ。
 バスは順調にブドウ畑の丘を抜け、予定より大分早い到着。ここでも大型バスは市内には入れず、ひたすら歩け、歩けの観光になる。バスの駐車場から市内が一望出来る。黒と白の縞模様の美しいドゥオーモが見える。
冷たい雨、びしょ濡れで足元も悪い。そんな悪天候の中、あそこまで歩くのだ、と思うとちょっとテンションが下がる。

 ランチを頂くレストランは12時にならないと開かないとのこと。観光は昼食後スタートで、それ迄、時間調整のため、皆でお手洗い休憩を兼ねて聖カロリーナを祀る教会を訪ねる。聖カロリーナは33歳の若さで断食により昇天されたという。教会の中は割とシンプルだったが、カロリーナ礼拝堂の前には観光客が沢山。

 シエナは我が家の近辺も真っ青になるほどの坂道の街だ。アップダウンが半端ではない。しかも雨でびしょ濡れの石畳。ここでコケたら洒落にならないと必死で踏ん張って歩くが、足裏はジンジンと痛む。
 レストランに到着。斜めの坂道に面して建っているが、中はそれを感じさせないとても素敵な造り。
 前菜はブルスケッタ、チーズ2種、生ハム3種類の盛り合わせ。もうこれだけでお腹が満ちてしまうので、申し訳なくも半分以上残す。シエナ名物のピチというかなり太いパスタがメイン。歯ごたえがあり、ちょっとこしの強いおうどんのようなパスタは初めて頂いたが、野菜のソースがまろやかで美味しかった。これも食べきれず。
 デザートはセミフレッドにカントッチョの砕いたものとお酒のソースがかかっていてこれだけは完食。夫は今日も昼から白ワインを飲んでご機嫌である。
 お手洗いを済ませ、1時間のランチタイムを終えてガイドのカミラさんが合流。いざ観光スタートだ。シエナは今の人口が5,6万で、中世にも人口が5万人だったそう。それがペストの流行で2万人になったという。コロナも当初はそれほどの勢いだったね、と夫と言い合う。商人の町で金融業が盛んで、1400年代に創業した銀行が今も現役で、現存する最古の銀行だという。

 目指すはドウォーモ。フィレンツェのドウォーモの外観はとても美しかったが、内部は割とシンプルだったのに比べ、こちらは内部の装飾が素晴らしい。外壁を飾る大理石の縞模様と上部の円花窓を囲む40人もの聖人たちの像はとてもあでやか。
 12世紀に起工され、完成は14世紀末と長い歳月が投ぜられている。9年かけて更に増築を試みたが、財源も尽きて、未完成の形で残されている部分もあった。床面は絨毯で保護されている部分もあったが、いくつもの宗教場面が大理石の象嵌で表現されており、それは見事。
 八角形の説教壇の彫刻も素晴らしく、ピッコローミニ家の図書室に入ると、ルネッサンス様式の美しいフレスコ画が飾られており、15世紀の聖歌本(五線譜ではなく四線譜)が興味深かった。

 とにかく雨宿りと防寒のためにもう少し見ていたいと思うが、そうもいかず、次なる目的地はカンポ広場。市庁舎のプッブリコ宮とマンジャの塔が建つ。緩やかなスロープを描く独創的な扇形をしている。裸馬の競争があり、地区対抗戦だそう。ガチョウやサイ、鷲など、地区マークが街の壁に表示してあるのが楽しい。

 それにしても恨めしい雨だ。お天気ならいくらでも楽しくお散歩出来そうなのに、だんだんどうでもよくなってしまう哀しさよ。自由散策時間を頂いたけれど、シエナで有名だというパンフォルテというお菓子を扱う食料品屋さんで試食をし、買い物を済ませたら、もうすることがない。結局、添乗員Tさんに連れられてカフェでお茶を飲んでお手洗い休憩して時間を潰す。

 再び、雨の中、滑りそうな石畳の坂道を上り下りしながらバスの駐車場を目指す。道を間違えて戻ったり、着いたらバスが到着していなかったりというアクシデントはあったが、ひとまず無事に皆がバスに乗り込んだ。

 ここからサン・フランチェスコ修道院の総本山アッシジまでは120㎞、2時間ほどの移動だ。雨は激しくなるばかり。一体何がいけなかったのだろう、とついつい考えても仕方ないことを考えてしまう。
 こちらもバスが入れるのは駐車場まで。この後は、割と急な坂道を歩いてホテルに向かうという。歩けない人はタクシーも準備できますということだったが、折角の聖地、頑張って歩くことに。バスを降りるとき、車内にお手洗いがあったので、お借りしようと思ったらクローズと言われた。なんとなく腹痛の予感。

 歩くこと7,8分くらいと聞き、荷物は預けているし、バッグだけで身軽なので大丈夫だろう、と踏んだのだが、甘かった。思いのほか急な坂道。だんだん息が上がってきて、腹痛も酷くなる。途中で、息が苦しくなり、動悸も激しくなる。お手洗いにも行きたいし、どこかホテルに入ってお手洗いを借りたい、もう無理、といったところで宿泊するホテルに到着。
 すぐに添乗員のTさんからお手洗いの場所を教えて頂き、駆け込む。危機一髪だった。息は苦しいし、お腹は痛いし、貧血気味になってお手洗いに座り込んでしまった。

 なんとかロビーに戻り、チェックイン後、鍵を頂く。昨日までは1階のお部屋だったが、今日は最上階6階だ。他の階は手動の鍵だが、何やらカードキー。部屋の前に行ってみたものの、鍵が開かない。再びフロントに戻って、磁気を入れなおして貰った。とほほ。
 今日のホテルはシャワーのみと言われていたが、ラッキーなことにバスタブが付いていた。シャワーだけとバスタブに浸かれるのとでは疲れの取れ方が違うので有難い。

 1時間ほど休息時間があり、最低限の荷ほどきを終えて、夕食はホテルのレストランで。もう雨に濡れて歩かなくて済むというだけで随分気が楽だ。
 前菜はお豆たっぷりのスープ(湧いてくるかのように各種お豆が沢山で水分が殆どなかった・・・)、リーフチコリ(初めて頂いた。ほろ苦く春菊のよう)の付け合わせに豚肉のソテー、カスタードクリームのデザートに紅茶を頂いた。夫は夜は赤ワインがお伴。
 1週間も行動をともにしていると、皆すっかり打ち解け、お互いのお名前も憶えてお喋りが弾む。

 今回は4都市2泊ずつ、今夜のアッシジだけが1泊だ。今日の1泊を含め残すところ、ローマ2泊の3泊。9泊11日の長いツアーもそろそろ終わりが見えてきた。
 とにもかくにも無事にツアーから帰国すること、その目標が達成出来そうである。夫曰く、これで自信をつけて、また行く!と言うんじゃないの?と。
 けれど、体力的にもう厳しいかなと思うのも事実。次回があるかどうかは神のみぞ知る、けれど、しぶとく真面目に治療を続ければ、また神様が微笑んでくださるかもしれない。そんな気持ちで明日は聖地アッシジ観光に臨む。

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2024.3.31 旅は6日目折り返し 弥生晦日はフィレンツェで復活祭堪能!

2024-04-01 05:16:10 | 

 昨夜は入浴後、何とか夫より早く、日付が変わる前に眠りについた。
 夜中の2時が突然3時になり、サマータイムがスタートすると聞いていたが、お手洗いで目が覚めたのは5時半。スマホはしっかり1時間前倒しになって、私の腕時計と7時間時差がついていた。スマホは本当に賢い。連続して5時間弱眠れたことになる。
 一度ベッドに戻ると、腹痛だ。どうして1度お手洗いに行った時に腹痛にならないのか、一旦戻ってから腹痛になるのかどうにも不思議だが、悪い癖だ。結局、その後1時間の間に3回のお手洗いを往復。下痢でなくて良かったもののなんだか落ち着かない。

 そのまま眠れず、ベッドでぐずぐずしているうちに目覚ましが鳴った。
 昨日のガイドYさんから復活祭(イタリア語でパスクワ、英語ではイースター)のお勧めの過ごし方について話を聞いていた。添乗員のTさんからは行きたい人はまとまっていきましょうと提案があった。これぞ千載一遇の過ごし方である。

 まずは階下のレストランで朝食を摂る。2組のご夫婦とお一人のNさんの姿があった。Tさんご夫婦はピサまでオプショナルツアーだと伺っていた。
 少しずつの野菜やスクランブルエッグ、ハム。そしてクリーム入りのクロワッサン、果物とヨーグルトをたっぷりとカプチーノと頂く。朝は美味しく頂けるものの、ツアーでの食事は昼、夜ともお腹に重いものばかりになる。今日は夫と2人なので気楽だ。
 添乗員Tさんがテーブルまで見えて、ヴェネツィアで撮ってくださった写真をLINEで交換する。

 ここフィレンツェで開催される復活祭の宗教行事、スコッピオ・デル・カッロ(山車の爆発)は、9世紀以上も続く歴史があり、市民にとって、歴史的にも信仰的にも重要なイベントだそう。例年大変な混雑で人の頭しか見えないけれど、ガイドYさんから、「聖霊」を意味する模型の白い鳩が高速で教会内を往復するのが見ごたえがあり、面白い。祭壇から出発して再び祭壇まで戻ってくると、その年は豊作で良い年になる、と言われている、と伺った。
 この鳩の往復は観光客にはあまり知られていないので、少し早めに行けばいい場所で観ることが出来るそう。添乗員のTさんも復活祭の日にここに滞在されるのは初めてだという。

 私達含め3組の夫婦とお一人の男性、合計7名が集まってTさんとともにドゥオモに向かった。ちょっとお天気が不安定で、雨がポツポツしている。カツラを濡らしたくないので帽子を被る。それにしても凄い人出だ。どこから湧いてくるのかと思うような混雑ぶり。しっかりバッグに手をかけて歩く。

 教会の脇から入ると、手荷物検査がある。既に礼拝堂には沢山の人たちが椅子に腰かけている。11時スタートのイベントまでまだ30分以上ある。ずっと立ちん坊はちょっと辛いな、となんとか座れる席を探した。ほどなくして夫も前列の席を詰めてもらい、席を確保していた。ラッキー。
 外の広場では時代衣装を着たパレードが進行中で、トスカーナ州のブランド牛・キアニーナ牛に曳かれた山車がドゥオモ前に置かれるという。その様子は教会内のTVでも同時に見ることが出来るが、いかんせん人が多く、なかなか画像が確認出来ない。

 そうこうしているうちに、大きな美しい旗とともに白や赤、黒の衣装に身を包んだ司祭様たちが入場される。パイプオルガンの音がお腹に響く。時間になると、一瞬のうちに鳩が火花を散らしながら高速で目の前を通り過ぎ、今度は戻ってくる。夫はしっかり動画を撮るのに成功していた。
 鳩は山車に移動して、山車に仕掛けられた爆竹が一斉に鳴る。花火の光よりも火薬と黙々と立ち上る煙が凄い。鳩が祭壇前まで戻ってくると、皆、一斉に拍手。
 復活祭の日、こんな光景が見られて、私はまた命が伸びたような復活できたような気持ちになる。

 すっかり満足して、教会の外に出ようとすると、このイベントを紹介してくださったガイドのYさんの姿があった。動画を見せ合い、このイベントを教えて頂けたお礼を言って、ツーショットの写真を撮る。一緒に教会の外に出て、添乗員Tさんと合流し、今度は3人で写真を撮り、ご挨拶してその場を離れ、夫と2人で自由散策に。

 山車はまだドゥオモの前の広場にどんと鎮座している。火薬の残り香が凄い。そして人も凄い。押すな押すなの感じで、少しでも空いた道に抜けて歩く。

 特に行きたい場所もないが、これまた夫の希望で中央市場まで歩くことにした。あいにくイースターで1階の市場はお休みだったが、2階のフードコートは、観光客なのか地元の親子連れなのか、とにかくこちらも大混雑の大賑わいだった。まだお腹は空いていないし、とちょっと冷やかしながらお土産も物色しながら市場を後にした。市場の前にはアラブ系の人たちが革製品を売っている通りが賑わっていた。

 ここで母にMeet通話。7時間の時差なので、東京は既に夜だ。今日は伯父の17回忌の法要があった。従姉が迎えに来てくれて、法事後、会食し、従弟が家まで送ってくれたとのこと。長丁場で疲れたようだったけれど、無事終わってほっとした。従姉ともLINEのやりとりをして写真も送られてきた。92歳の伯母も3つ下の従妹も元気そうで何より。

 途中、メディチ家の菩提寺、寺院建築の傑作といわれるサン・ロレンツォ教会の外観を見ながら(中には入れなかった。)、一旦荷物を整理してホテルに戻る。

 部屋の掃除がまだだったので、とりあえず温かいお茶を淹れて一服する。もう雨は降らないようなので傘を置き、夫の提案え、ピッツィ宮殿とバルディーニ庭園に行ってみることに。添乗員のTさんからは何処に行っても混んでいる、予約をしても大分待つと聞かされていたので、ひとまずランチで腹ごしらえ。

 ビストロでピザとパスタを取って頂く。皆、パニーニやパスタで軽いお昼を摂り、お喋りに花を咲かせている。
 お腹が満ちたところで、さて、宮殿へ向かうと、案の定とんでもない長蛇の列だった。それ以外の人たちは、広場に横になって日向ぼっこやお昼寝中。
 チケットを買うのに長蛇の列、その後入場するまでにまた長蛇の列。日差しが出てきて、コートを脱ぐほど暑くなって、いきなりめげる。チケットを買っても何時に入れるかわからないし、中を見るのもかなり疲れそう、と外観だけ見て戻ることに。

 朝は冷えていたのにいきなり暑くなる忙しいお天気だ。周りの人たちの服装も、半袖Tシャツ1枚の人やらダウンジャケットの人やら、色とりどり。本当に何を着たらいいのか難しい。
 やはり昨日ガイドのYさんから教えて頂いた、フィレンツェにしかないジェラート屋さんへ。私はピスタチオを、夫は塩キャラメルを「コン・パンナ(ウイズ・生クリーム)」で注文し、外のベンチで頂く。美味しい。昨日の寒さではジェラートどころではなかったけれど、今日は20℃を超える気候になってよかった。

 すっかり歩き疲れてしまい、4時過ぎに、もう一度ホテルに戻る。私達はせいぜい2,3時間外に出たら休憩が必要だ(昨日の4時間ノンストップ、お茶なし観光はかなり堪えた)。思えば、この旅行に出てくる前はほぼ自宅で籠城蟄居だったのに、こうして1日1万歩超えで歩いているのだから、凄いことだ。

 部屋が片付いていたので、ちょっとベッドに横になったら気持ちよく寝落ちしてしまった。1時間くらい眠っただろうか。夫はまだ寝ていて、起こしてもびくともしない。このまま2人で寝てしまったら、そのまま夜だ。なんとか頑張って6時に夫を起こす。

 ずっとイタリア料理が続いている。ちょっとお休みしたい。それにしても、どこの街でも中華料理店がある筈なのに、全然見当たらない。これぞ中華という目立った店舗がない。ネットで探して、ホテルの近くにお店を見つけて、出かけた。
 外観は回りの風景に溶け込んでいて、かなりシック。南部鉄瓶の急須に中国茶が入り、箸置きにお箸でほっとする。私は野菜麺を、夫は魚介麺と海老のラビオリ(蒸し餃子)を頂く。手打ち麺だったが、中華そばとは全く違う様相。それでもなんとなく醤油味のスープ麺はお腹にやさしかった。せっかく下痢が落ち着いているので、なんとかこのまま乗り切りたい。

 お茶とお菓子は部屋に戻って頂くことにしてホテルに戻った。部屋を開けると、ハウスキーピングの人がいてびっくり。タオルを替えてくれたのだが、ターンオーバーに来てくれたのかどうか、よくわからない。まさかこんな時間に入室されると思わなかった。わかっていたら、もう少し綺麗に片付けて出かけたのにと思うが、後の祭り。

 というわけで、今日も万歩計を見れば15,000歩ほど。途中途中、ホテルの部屋に戻って休み休みであったけれど、ついつい頑張ってしまう。
 明日はシエナ経由で聖地アッシジに向かう。旅は折り返しを過ぎた。明日からは4月、卯月スタートである。

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