ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.4.6 洗濯と片付けと買い出しに明け暮れる

2024-04-07 00:08:20 | 日記

 昨夜はなんだかんだとやった後に入浴して(洗い場がある日本のお風呂は本当に気持ち良い。好きなベルガモットとジンジャーの入浴剤も入れた。)、ベッドに入れたのは1時を大きく回ってから。夫は今夜は鼾防止テープを貼らずに眠れると嬉しそうだったし、私も一人のびのびと気兼ねなく自分のベッドで眠れて有難かった。

 今朝、土曜日仕様のスマホアラームが鳴るまでお手洗いに起きることもなく、ぐっすり6時間睡眠。あと30分くらい、と二度寝したら、次に目を覚ましたのは夫が窓を開けに来たタイミング。10時になっていた。なんと。
 午前中にほぼ洗濯物しか入っていないスーツケースが2個届くし、それ以外にも不在連絡票が入っていたもの等の再配達を今日の午前中にしていたので、寝坊をして受け取りそびれるわけにはいかない。慌てて起きる。

 朝食を夫が用意してくれたので、有難く頂く。夫は目玉焼きに早速醤油をかけていた(ちなみに私は塩コショウかソース)。そうこうしている間に次々と宅配便等が到着する。
スーツケースを開けて、洗濯物を搬出し、洗濯機をまず1回廻す。あいにくの曇り空だけれど、ひとまず外干しにする。なんといっても10日分の洗濯物。大量である。
 1回分だけでベランダはほぼ一杯になる。そして2回目。これらを全て外干しする場所はなく、浴室乾燥に廻す。家中の洗濯ばさみやハンガー等を総動員である。ニットやジーンズ等は諦めて明日廻しに。

 そんなこんなであっという間に昼を過ぎる。
 遅いお昼は、磯部巻を焼いてもらった。夫はいつもどおり安倍川餅。私って醤油と海苔が好きだったんだなぁと再認識する。小さめだったけれど、2個ペロリと頂く。

 毬藻は冷蔵庫の野菜室で元気だった。水替えと餌やりを済ませる。さすがに花瓶の花はもうダメで、処分。
 さて、昨夜のうちにざっとメールチェックをしたが、細かく日付までは見ずに不要なものはゴミ箱行きにしておいた。ある方からメールが届いていませんか、という連絡を受け、見た覚えがない。
 確認すると、3月末日までと4月5日夜からのメールはあるが、4月1日から5日夜までのメールがまるで届いていない。どうしたものか。
殆どがゴミのようなメールだが、中には読まなければならない連絡もあるのだけれど・・・。申し訳なくも再送して頂く。夫のメールボックスは無事なのだそうだ。
 その間、夫は月1度のクリニックに薬をもらいに出かけ、戻ってきた。

 家の中に食料品が殆どないので、駅前スーパーまで買い出しに出かける。そのタイミングで共済組合へ資格喪失届と保険証返還の郵便物を出す。相変わらずアウトレットモールは凄い人出だし、駅前は出店が喧しい。
 今年は桜の開花が遅かったようで、都心より1週間近く満開が遅い我が家周辺では十分桜が楽しめた。ローマで期せずして色々な色の桜を見ることが出来たが、まさか帰国後に諦めていた本家本元のソメイヨシノが観られるとは思わなかった。なんだか得した気分だ。それにしてもなんとなく肌寒い。
 スーパーとドラッグストアを梯子して結構な大荷物になる。夫の自転車籠は前も後ろも一杯。お茶をしてくることもなく、まっすぐ帰宅した。

 浴室乾燥で乾いている洗濯物を畳む。ダメなものは浴室乾燥へ廻し、とその繰り返し。普段の3倍以上はある。畳んでも畳んでもなかなか山が崩れない。下着も何もかもこれでもか、である。夫の靴下にいたってはまるで神経衰弱のよう。
 そんなわけで今日私が出来たのは洗濯物干しと畳み、収納のみ。おさんどんは全て夫が引き受けてくれた。

 そうこうしているうちに辺りは暗くなる。母にMeet通話。法事の話などをあれこれ聞いて、こちらも洗濯と片付けで一日が瞑れた話を。夫が朝昼晩と食事の支度をしてくれて有難いことも。
 夕食はスーパーで天婦羅を調達してきて鍋焼きうどんを頂く。こういう味が食べたかったのだ、と思う。

 イタリアンが大好きでも、10日間、休みなくパスタや肉攻撃はやはりきつかった。添乗員Tさんの話では、かつては旅行中一回は和食を入れていたが、お金をかけている割には(本当の和食というわけではないので)イマイチ評判が悪く、コスパが良くないので最近は止めているとのことだった。
 なるほどフードコートのプラスチック容器入りのラーメン1杯が2200円相当だから、和食のコースとなったらとんでもなさそうである。それにしても、今のように円が弱いと本当に何もかもが高く感じてしまう。今日は久しぶりに地元のスーパーで買い物をしながら、昼食1人分だね、とかパンはお手洗いチップと同じだね、とか言い合った。

 夫はずっとPC前に座って私のメール設定に格闘してくれたけれど、結局、私のメールは繋がらず。送信は出来ても受信が出来ない。困ったことである。その間、私は10日以上溜まった新聞にざっと目を通す。

 明日はドツレクの練習日。とはいえ、火曜日には前泊、水曜日には治療となると体調を整えておかなければならない。もろもろ考えてやはり一日家のことをすることにして欠席の連絡をした。3月も2回とも欠席、明日も欠席で21日は恐らく治療後の体調不良で欠席。これでは先が思いやられる・・・のだけれど。

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2024.4.5 旅は最終日 ただいま、東京!無事帰国しました

2024-04-06 00:07:24 | 

 昨日の記事をアップした後、ラウンジで軽く飲食を済ませ、集合時間の少し前にショップを冷やかしながら搭乗口へ向かうことに。美しいディスプレイのハイブランドが軒を連ねるが、特に覗くこともせず。本当に物欲から解放されているのが不思議だ。

 搭乗機は定刻通りに羽田に向かう。席に着くとウエルカムドリンク。私はオレンジジュース、夫はシャンパン。往路は私が通路側で夫が窓側だったが、夫が窓側を譲ってくれたので有難く陣取る。
 ずっとイタリアン一色、洋食一色の旅だったので、帰路は和食を頂くのを楽しみにしていた。
邦画「ある閉ざされた雪の山荘で」を観ながら遅い夕食を頂く。期待が大きすぎたのか、前菜6種類はどれも同じような出汁の味付けで、メインのお魚は何となく生臭く感じ、お肉もなんだかあまり口に合わなかった。お味噌汁はかなり薄味で、旅行中に濃い味に慣れてしまったのか、ちょっと残念。デザートも半分でお腹一杯になり、食事が終わる頃にはなんだか猛烈に眠くなってきてしまった。

 さっさと歯を磨いて、椅子をフルフラットにしてマットレスを敷き、カツラを取り、万全の眠る態勢に。往路は殆ど一睡もできなかったが、復路はびっくりするほどよく眠った。途中、夫が食したラーメンの匂いで何となく目が覚めるが、5,6時間は眠った計算になる。あと4時間もすれば日本だ。

 復路は中央アジアの上空を飛行すると聞いていたが、その辺りは雲もなく、見たこともない景色が見られたらしい。私が寝ているので夫は窓を開けられず、あまり見られなかったと独り言ちていたが。
 歯を磨いて、バンダナをかつらに替え、目覚めに8種の野菜スープとフレッシュフルーツとアイスクリームをリクエスト。今度は「ゆとりですがなにか インターナショナル」を観た。

 フライト時間残り2時間で夫もフルーツと飲み物をリクエスト。私は何となくお腹が空いて、迷った末野菜カレーをリクエストして夫に半分食べてもらった。これもイマイチだった。うーん、どうしたことか。

 もう着陸態勢だ。13時間の飛行で、2時間の映画を2本観て、6時間近く眠り、食事の時間を過ごせば往路の長さに比べよほど早かった。持ち込んだ文庫は残念ながら読めずじまい。顔は腫んで酷い顔と言えば、酷い顔。歯を磨き、お化粧直しをして着陸に備えた。

 あと1時間で着陸というところで添乗員のTさんがご挨拶に見え、記入したアンケートをお渡しした。夫がネットで調べてくれたのだが、国土交通大臣から表彰されるほどの方だそうで、経験豊富なTさんのおかげで今回の旅はとても良いものになった。またご一緒出来るといいなと思う。
 お世辞だとはわかっているが、私達夫婦のことを今回のグループのベストカップルと言ってくださって、こそばゆく嬉しかった。

 16時45分、羽田に無事到着し、家族LINEで連絡。ターンテーブルで荷物をピックアップしている間に母に無事到着のMeet通話。元気に帰国出来て本当に良かった。
 ツアーの皆さんにご挨拶をして、荷物を宅配に頼み、身軽になってリムジンバスのチケットを買う。あいにく1時間に1本の便が出たばかりで小一時間潰すことになった。

 旅の帰路で、帰国したら何が一番食べたいですか、と訊かれ、お寿司と答えたが、とにかくびっくりするほど醤油味が食べたかった。何となく小腹が空いて、時間もあるし、とコンビニにおにぎりを買いに行く。握り寿司があったので、思わず手を伸ばした。夫がリクエストした辛子明太子のおにぎりも美味しかった。本当に日本のコンビニは素晴らしい。海外から帰って来るとその便利さと有難みを実感する。

 今回の旅は、それなりにあった自由時間も最低限しか出歩かず、ひたすらホテルで休息と体力温存に徹した。考えてみればもったいないことだったし、夫にはちょっと物足りなかったかもしれない。自分の足で殆ど歩かなかったので、予定されていた観光地以外には足を運べなかった。それでも万歩計は毎日1万歩を割ることはなかった。出かける直前まで、靴を履くこともなく、家で寝込んでいたにもかかわらず、である。

 石畳の上で足裏はいつも痺れて痛んだし、手の痺れ、痛み、変色もある。日に三度のロキソニンと朝就寝前のコデインも欠かさなかったが、息が出来ないほど出ていた咳はほぼ収まり、貧血のためだったと思われる頭痛も後半には収まった。坂道や階段での息切れはあったが、胸痛は殆ど出なかった。
 1か月前のあの不調を考えれば、今回の旅は行けただけで十分。11日間という長い日程で体調を崩すことなく、グループの方たちにご迷惑をかけることなく、無事に帰国できたことで満点だと思う。

 夕食は夫がリンゴを剥いてくれて、カップラーメンで済ませた。
 ということで、明日は洗濯物満載の荷物やら、不在中に届いていた荷物が到着する。時差ボケとも言っていられない。火曜日には治療前泊、水曜日には治療再開だ。それまでに出来ることは全てやっておかなくては。
 今日は最低限の片づけを済ませ、久しぶりに自分のベッドで眠ることになる。

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2024.4.4 旅は10日目 アリベデルチ・ローマ!帰国の途へ

2024-04-05 01:52:50 | 

 昨夜は、パッキングをほぼ済ませ、入浴してベッドに入ったのは日付が変わる間近。今回の旅で一番夜更かしだったようだ。
 今朝のスケジュールは6時モーニングコール、6時45分荷物出し、7時45分集合、8時出発だ。
 それより10分ほど前にスマホアラームをかけてすんなり起きる。夫は明け方目覚めたようだったが、私は気づきながらもしつこくベッドに。

 結局、アラームより前に起きて身支度をし、荷物を出したらポーターさんがまるで見ていたかのようなタイミングでピックアップしてくれてレストランへ向かう。
 今朝は夫の同郷Nさんと同じテーブルで、昨日とほぼ変わらない朝食を終える。部屋に戻り、お手洗いを済ませたらチェックアウトしていざ出発。

 関空へ向かうWさんご夫妻は1時間前に出発済みということで、55人乗りのバスに乗っているのは私達10人+ガイドさん、アシスタントさんのみ。なんだかがらんとしている。

 ローマ、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港までは小一時間もかからない。テルミニ駅から電車だと20分というから便利である。フォロ・ロマーノやコロッセオを見ながら、アリベデルチ、ローマである。また来ることがあるだろうか。

 空港に到着。ポーターさんが荷物を運んでくれてチェックイン。パリ・シャルル・ド・ゴール空港までは国内線扱いだ。11時35分のフライトの予定が1時間遅れ。ゲートもなかなか決まらず状態だった。
 何も買い物をしていなかったので、お土産を調達し、あとはカフェでお茶をして時間調整。母にMeet通話をすると、無事に繋がった。デイサービスから帰ってきたところ、とのことで、ちゃんと元気な姿を見せたら安心した模様。良かった。

 パリでの乗り継ぎ時間が当初6時間半もあり、一体どうするものやらと思っていたら、パリ市内まではいけないけれど、近くのショッピングセンターにお連れします、とのことだった。それは有難い。利用便は変わらないのだが、夏時間に変わった関係でこんなにも時間が空いてしまったようだ。とはいえ、乗り継ぎ時間があまりにタイトで乗り過ごすよりはよいだろう。

 1時間遅れで搭乗機は無事離陸する。機内では軽いサンドイッチとジュースを頂けて小腹を満たせた。窓側の席で、地中海の島々や真っ白なモンブラン等アルプス山脈を見ることが叶った。美しかった。美しい緑のキルトのようなフランスの土地が見えてきたら、いよいよ着陸だ。

 メキシコへの乗り継ぎ便の方がいるようで、その方たちを先に通す。いやはや南米までとは大変な旅だ。空港に降りたら、荷物をピックアップして、お迎えのバスに乗り込む。ショッピングセンターまでは10分ほど。
 風が強いが、暖かい。草花も咲いていて、春だなぁという感じだ。

 ショッピングセンターでは1時間ちょっとの自由時間。夫の職場のお土産等も調達し、残り時間は結局またお茶。あまり食べ過ぎると、ラウンジや機内での食事が摂れなくなるので、私はショコラ・ショーで水分と糖分補給。

 再びバスに乗って空港に戻る。フライトまでは3時間だ。そこからチェックイン、出国、厳重であちこちでピーピー鳴り続けるセキュリティチェックを終えたらもうヘロヘロ。
 ようやくラウンジにたどり着いて、少しほっとしながら記事を書いている。

 あと1時間ちょっとしたら搭乗だ。帰りは航路が若干異なり、13時間のフライトとのこと。
 とにもかくにも、直前まで本当に行けるのだろうかと思った9泊11日の旅、保険では“中途離脱”までオプションで付けたのだけれど、抗生剤を飲むこともなく、熱も出さず、無事に帰国することが叶いそうだ。有難いことである。

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2024.4.3 旅は9日目 32年ぶりの再々訪、ボンジョルノ、ローマ!終日観光

2024-04-04 05:11:58 | 

 昨夜は早々に入浴し、そのままバタンキュー。アラームをかけた時間までしっかり眠ればほぼ8時間睡眠になる計算だ。明け方、夫が起きた気配でこちらもつられそうになったが、しつこく眠る。昨日は便秘気味だったが、アラームが鳴る少し前に目が覚めて無事開通。

 ベッドで少しぐずぐずしていたら、母から少し前にMeet通話の着信があったのに気づく。昨日何度かトライしたが、全く繋がらなかったので、LINEで写真を送っていた。日本時間は午後1時だ。何かあったのか、具合でも悪いのかと慌ててバンダナ帽子を被り、パジャマ姿、すっぴん状態で掛けなおす。

 画像は繋がったが、音が聞こえない。こちらの声も聞こえていない様子で、何やら難しい顔をして虫眼鏡でこちらを見ている。うーん、一度切って掛けなおしたら無事繋がり、声が聞こえた。
 こちらは朝起き抜けでカツラも被っていないから別人が出たと思ったのか。かくかくしかじか、これから出かけるため、忙しいので長通話はできないと伝え、お互い無事であることを確認する。
 昨日はWさんサロンに出かけていたとのこと。今日は雨なので一日家にいるという。7時間の時差で観光時間等に縛られていると、なかなかうまい具合に連絡が出来ない。

 今朝の予定は、モーニングコールが6時15分、朝食レストランは6時半オープン。7時55分集合で8時出発だ。思いもよらない母からの連絡で朝の貴重な時間を費やしてしまう羽目に。急いで身支度をして階下のレストランに降りる。
 レストランでは同じグループの方たちがそこかしこで既に食事を始めている。暖かいお料理が充実していた。今日も2種類のミニクロワッサンを美味しく頂く。ジュースはパイナップルがポピュラーのようだ。カプチーノもカフェ・ラッテもなく、久しぶりに紅茶を頂く。

 部屋に戻り、態勢を整えて、ロビーに降りる。今日は終日ミニバスで巡る市内観光、ヴァチカン市国観光とアッピア街道観光という充実のスケジュールだ。
 ヴァチカン美術館入場の予約が8時半からだ。大きなバスでの移動では、一旦降りたら歩くばかりになってしまうため、小回りが利く6人乗りのミニバンでポイントポイントまで行って、なるべく歩かないですみますよ、という高齢者(及び病弱者)に優しいツアーである。

 今日のガイドはTさん。ちょっと日本人離れした風貌の女性だ。2台に分乗し、私達は添乗員TさんとTさんご夫妻と2号車に乗る。Wさんご夫妻は美術館チケット予約時間の関係で先に出発されたとのこと。
 今日のお天気は曇り。午後少し晴れ間が出るようだ。前半の雨に祟られた旅も終わりよければ全てよし、である。車窓から見るローマ市内は街中が遺跡の宝庫だ。サンタンジェロ城、コロッセオ、フォロ・ロマーノ等を間近に眺める。

 来年2025年は巡礼の年で、それに合わせて地下鉄C線の工事中とのこと、あちこちに工事の幕が張られ、建物の外観を残念なものにしている。掘り返せばどこも遺跡なので、地下86m迄掘り進めるらしい。地元の人たちは来年出来上がるわけもなく、地元では完成は10年後になるだろうと話しているとか。

 32年ぶりのローマ、その時は夫と全くのフリーで訪れ、イタリア語も全く話せないくせに大胆にバスに乗ったり、地下鉄に乗ったりとあれこれ冒険をした。若かったなあと思う。
 最初に訪れたのは40年前の卒業旅行だから今回のローマは3度目の訪問。夫も仕事の視察で訪れたことがあるので、お互い3度目の正直?になる。

 ヴァチカン美術館には、名前入りの入場券を持って、パスポートチェックを受け、その後セキュリティチェックをして初めて入館することが出来る。実に厳重である。礼拝堂内部ではガイドさんがお話し出来ないため、松ぼっくりのオブジェのある宮殿の庭園で、予めシスティーナ礼拝堂の絵画の説明を受ける。
 システィーナ礼拝堂は初回訪問時に観ることが出来たが、美術館を鑑賞するのは初めて。歴代法皇による世界有数のコレクション、1時間で見るなんて無謀以外の何物でもない。ここまでミラノやフィレンツェで聴いたお話を思い出しながら、復習のように繋がる部分もあり、とても楽しめた。

 宮殿の一番奥の礼拝堂では「最後の審判」を首が痛くなるほど眺めることが叶った。描くのがどれほど大変だったことか。ミケランジェロが60歳を過ぎてからの着手というから、本当に恐れ入る。ミラノのドゥオモで見た、自分自身の皮をかついだパルトロメオの像が、ここではその皮の顔がミケランジェロの自画像であると聞き、驚く。ここにはミケランジェロの建築、絵画、彫刻の最後の作品が全て揃っている。

 今日は水曜日で法皇様の謁見があるため、サンピエトロ広場では人々が長い長い列を作っている。そのため、私たちは午前に美術館を鑑賞し、午後サン・ピエトロ大聖堂を見学するという。
 Wさんご夫妻も合流し、2号車も6人が揃い、アッピア街道へ向かう。32年前、夫とバスの行先もよくわからずに乗って着いた先がここだった。ここは何処、私は誰、状態でウロウロし、カタコンベを見て、持っていた羊羹を食べながら戻ってきたという苦笑する思い出がある。

 カラカラ浴場を車窓から眺め、石畳の細い道をガタンゴトン揺られながらバンは走る。気圧のせいか朝からなんとなく頭痛だ。ロキソニンは日に3度欠かさず飲んでいるので、旅行中殆ど痛みを感じずにすんでいたのだけれど、さすがに疲れてきたか。
 大きな車は入れないので、乗用車かバン、マウンテンバイクの観光客だけである。延々と続くかに見える石畳でしっかり写真撮影を済ませる。“女王の道”と呼ばれるアッピア旧街道は道の両脇に多くの墓、祠、廃墟が続き、古代の面影を残している。
 ネロの迫害を逃れ、街を逃げ出したペテロがこの地でキリストに出会い、「主よ、どこへ行きたもう(ドミネ・クオ・ヴァディス)」と問うたという名前の教会を見ながら再び街へ戻る。

 コロッセオではグループの写真撮影。買っても買わなくても構わないので、皆さん映ってくださいね、と言われ全員集合。ここでは外観だけの観光で、写真撮影を終え、続いてローマ必見のスポット、トレビの泉へ向かう。ここも3度目だ。ちょうど日差しが差してきて、青空が広がり、キラキラと反射する水がとても美しい。
 コインを投げておくと本当に戻ってこられるのね、という感じ。それにしてもとんでもない人の数だ。近くにとても寄れない。スリに気を付けてくださいね、と言われ、車中で投げ入れるコインを用意してバッグの前をしっかと抑えて向かう。
 インド人の親子の次に泉脇のスペースを開けてもらって、いざ、肩越しにコインを投げる。夫が動画を撮ってくれていた。私も夫の写真をパチリ。また戻ってくることが出来るだろうか。

 午前中の最後の立ち寄りポイントはスペイン広場。映画「ローマの休日」であまりにも有名なスポットだ。ここまで徒歩で向かう。今では階段に座るのは禁止とのことだが、結構我が物顔で陣取っている人たちの姿も。皆で写真撮影を終えて、ヴェネツィア広場を車窓から見ながらランチを摂るレストランへ向かう。

 今日のランチは選べるピッツァ。夫はカプリチョーザ、私はマルゲリータをチョイス。ミックスサラダを頂いていると、運ばれてきたものはお皿からははみ出しそうな大きさ。どう見ても優に2人分である。頑張って4分の1ずつ頂き、2人で1枚分頂いたらギブアップ。チーズもトマトも美味しいけれど、やはり多ければよいというものでもない、と呟く。
 食後はパイナップルかババ(サバラン)を選べたので、これも1つずつお願いして夫とシェア。どこのご夫婦もそんな取り方をされていた。お手洗いを済ませ、午後はサン・ピエトロ大聖堂へ向かう。

 ガイドさんからサン・ピエトロ大聖堂ではどのくらい待つか、行ってみないと分からないと言われていたが、長蛇の列には違いない。ぱっと見、2時間半から3時間と聞き、ちょっと倒れそうになる。
 全員が見なくて良いということなら、ここは止めて真実の口等に行くこともできます、と添乗員のTさんからお話がある。最高齢のWさん夫妻は何度も来たことがあるので、とタクシーでホテルに戻られ、お一人参加のKさんもご自身で別行動されるという。ということで残った9人の勇士は列に並んで入館することを決意。

 列は全く止まっているわけでなく、ガイドさんの説明もあり、ゆっくり歩きながら待つこと1時間ほど。途中でセキュリティチェックが1つ開いたことで列はどんどん流れる。気づけば、私達の後には広場1周ほどの列が続いている。こんなに早く進むとは、と有難く思う。ガイドさん曰く、これはミラクルだ、と。やった。

 以前訪れた時はセキュリティチェック等なく、すいっと入った記憶がある。訊けばあの9.11の後、テロ対策でセキュリティチェックが始まったという。最大4時間待ちということもあったようで、ここもいずれ入場がオンライン予約になるのでは、と思う。

 やはり入れて良かった~と思う。1506年の着工から120年の時をかけて完成された荘厳なるカソリックの総本山である聖堂だ。入ってすぐ右側廊のミケランジェロのピエタ像。以前はガラス越しではなかった(夫は触れられたという。)が、心無い人に破壊された事件後、こういうことになったそうな。
 バラバラになったマリア様の指と鼻を修復する作業は、それは大変だったという。その姿は本当に美しく、心が洗われるようだ。

 中央にある、鍵を持つ聖ピエトロ(ペテロ)のブロンズ像の手は、訪れる信者に触れられ金色に輝いている。聖堂内で絵に見えるものは全てモザイクなので、フラッシュ撮影もOKなのだそう。屋上のクーポラに上るエレベーターの列は凄いことになっていたが、30分ほどの見学で十分満喫した。

 これで本日の観光は全て終了。乗ってきたバンはその後予約が入っているとのことで、タクシー3台に分乗してホテルまで戻る。私と夫は最後の1台になってしまったが、最初から、支払いはカードは使えないとか、ガイドさんが払うと言うとその人が来るまで待ってはいられない、お前が払えとか言われながらの20分の乗車は、ずっとドキドキ。無事に添乗員のTさんが先着してくれていたので事なきを得た。2台目のタクシーの運転手さんは随分親切だったとか。

 次の夕食集合時間まで3時間弱。綺麗になった部屋でお茶を淹れて一服し、休息。夫は眠っていたが、私は少し横になって眠れず、出発まで記事を書いて時間調整。

 夕食は徒歩ですぐのレストラン。最後の晩餐ということで、ワインやジュースがツアーからプレゼントされた。今夜のメニューは、パスタがリガトーニのアマトリチャーナ、メインはサルティンボッカア・ラ・ロマーナ、デザートはパンナコッタ。紅茶を頂いて(なぜかポットの蓋がフィニッシュと言われた。)お腹一杯。

 ホテルに戻り、夫は県人会のNさんとLINEの交換をして部屋に戻ってきた。
 長いと思った9泊11日の旅、とりあえず体調を大きく崩すこともなく、無事に帰国出来そうでほっとしている。
 明日はローマの空港へ直行し、パリ経由で羽田を目指す。
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2024.4.2 旅は8日目 アッシジ観光を終え、32年ぶり永遠の都ローマへ

2024-04-03 03:59:00 | 

 昨夜は夕食を終え、部屋に戻って記事を書き、さてお風呂に入って寝ようとしたが、夫がお湯が全然出ないという。ヨーロッパの古いホテルで皆が一斉にお湯を使うとよくある話である。ああ、出遅れた。せっかくバス付の部屋に当たったというのに・・・。
 添乗員Tさんに確認すると今晩の入浴は諦めて明朝をお勧めするとのこと。
 けれど、やっぱり諦めきれず、生ぬるいお湯、温水プール並みの水に夫がポットで沸かしたお湯を何度も入れて、何とか入れる状態にしてくれた。身体を温められたことで随分さっぱりした。

 今朝のスケジュールは6時半起床、7時朝食、8時30分部屋の外に荷物出し、8時50分集合である。熱いシャワーを浴びるため、30分ほど余裕を持ってスマホアラームをかけて就寝。
 それにしても、4つ星ホテルを名乗りながら、皆がお湯を出したら宿泊客全員がお湯の恩恵に浴せないとはなんとも・・・である。

 日付が変わる前に眠ったようだったが、4時半過ぎにお手洗いで目が覚める。そのまま二度寝は出来ずじまい。夫も5時半過ぎに起き出し、「もう熱いお湯が出るよ」とバスタブにたっぷりとお湯を張ってくれた。せっかくなので朝風呂の贅沢。はぁ、さっぱりした。
 身支度を終え、昨夜夕食を摂った階下のレストランへ向かう。素朴な卵料理を少しずつ、添乗員Tさんお勧めのクリームチーズ、チョコクロワッサン、ヨーグルトとカフェ・ラッテを頂いて朝食終了。朝食をしっかり頂くと、お昼は軽くて大丈夫だ。

 窓の外は綺麗な青空が広がる。今回の旅で初めて傘が要らない良いお天気だ。空気はきーんと冷たく冷え込んでいる。外に出て写真撮影タイム。遠くの山々の稜線が美しい。眼下一面に緑が広がり、時折菜の花の黄色が混じる。赤い屋根の建物が可愛らしい。
 部屋に戻り、ポーターさんが荷物をピックアップしてくれたのを確認し、一休みしてロビーに降りてチェックアウトを済ませる。

 今日は午前中アッシジ観光だ。アッシジは12世紀の清貧の聖者フランチェスコの街である。フランチェスコとはフランス人の子どもという意味だそう。父は裕福な豪商で、母はフランスから嫁いだという。この街に宿泊する旅行客は少ないので、朝のうちは本当に空いている。まさに私達グループだけの貸し切り状態だ。これまで訪れた街はどこも煙草の煙で息苦しかったけれど、さすがに空気の澄み方が違う。

 昨日は土砂降りであたりの風景もろくに見られなかったけれど、40年ほど前に訪れたフランスのモン・サン・ミッシェルとよく似た雰囲気を醸し出している。大理石の色が似ているからだろうか。
 今日のガイドのマリア・ジョバンニさんがホテルまで迎えに来て、観光スタートだ。坂道を上り、まずはサンタ・キアーラ聖堂を目指す。聖堂前の広場にはカルーセルが設置され、イースターの休暇で子供たちが社会科見学に来ているのか、記念写真撮影中で賑やかだ。

 白とピンクの大理石で作られたこじんまりしたゴシックの聖堂は、聖フランチェスコの忠実な弟子であった聖キアーラ(クララ)に捧げられたもの。内部地下室(クリプタ)には彼女の遺体をはじめマント等遺品の数々が収められている。当時としては長命で、60歳で没した彼女は才色兼備で家柄も良く、素敵な女性だったそうだ。
 中央の祭壇には磔刑に処されたキリストの十字架が掲げられている。

 再び坂を下り、お土産屋さんが軒を連ねるメインストリートを歩く。まだ10時前、ようやくお店が営業を始める時間だ。近くにラベンダー畑があるそうで、ポプリのお店から漂う香りが鼻をくすぐる。
 広場で鐘の音を聞き、ローマ時代の、現在より3mほど地面が低かったという状況を確認する。

 続いてアッシジ観光のハイライト、サン・フランチェスコ大聖堂へ向かう。ここではたっぷり1時間以上はかかるということで、まずはお手洗いを済ませて、入場門へ移動する。石畳の坂道はお天気が良くても結構きつい。
 かつては長崎出身の神父様が複数いらしたようだが、現在は日本人神父様はおられないそうだ。今日は2003年から13年間日本に滞在し、その後ここアッシジに8年滞在しているというベトナムの神父様から案内して頂けることになった。

 フレスコ画の傑作で埋め尽くされたサン・フランチェスコ聖堂は、上下二層になっている珍しい造り。上は白い大理石から成り、下は赤い大理石から成り、受難(血の色)を現しているという。1230年に完成した下の教会は、天井が低く荘厳な雰囲気。まずは階段を下り、聖フランチェスコの墓がある地下室でご挨拶を済ませる。平和の祈りが日本語で書かれたカードを頂く。表の絵はジョットの描いた「小鳥に説教する聖フランチェスコ」。

 急な階段の上り下りで早くも青息吐息になってくる。お話自体はとても興味深く有難いのだけれど、立ちん坊で説明を聴いているのはなかなかしんどく、ついつい座りたくなってしまう。つくづく観光は体力だ、と思う。今回のグループの方たちは若くても60代後半、70代以上の方が過半数を占めるが、訊けば皆さんジムに通ったり、毎日泳いだり、マラソンに参加したり、旅行を楽しむために健康維持に余念がないご様子。

 続いて1253年に完成した上の教会へ。明るく淡い色彩のジョットのフレスコ画で天井、壁一面が埋め尽くされている。聖フランチェスコの生涯のエピソードが沢山の場面に描かれ、さながら大きな絵本が敷き詰められているよう。教会前の広場にはいくつものアーチが続く回廊が巡らされ、独特の雰囲気を醸し出している。神父様のお話しが40分ほどで終了し、その後、一旦解散。

 ランチの時間までに小一時間あり、30分ほどの自由散策時間を頂けた。お天気は良いが、風がとても冷たく、身体がどんどん冷える感じ。厚着をしてきた筈なのに、なかなか追いつかない。お店に入って暖を取りながら時間調整。もう決して来ることはないだろうから、とサン・フランチェスコ聖堂のレリーフのタイルを一つ買い求めた。

 ランチは坂を下り、バスの駐車場にほど近いホテルのレストランでウンブリア料理。ペンネとサルシッチャのクリームソース、七面鳥のソテーにミックスサラダ、デザートはティラミス。相変わらずボリューミーで、全部半分程度でギブアップ。夫は今日も昼から赤い顔をして白ワインを愉しんでいる。食事中大きな窓から外の美しい風景を堪能し、とても幸せな気持ちになった。

 バスに荷物が搬入されるのを見届けてから乗り込み、いざ、ローマへ向かって出発だ。ローマまでは180㎞、約3時間の旅。
 昨日までの雨粒でろくに見えなかった車窓とは打って変わって、青い空、白い雲。緑の大地には糸杉、オリーブの木が広がる。白、黄、ピンクの花も見える。高速に入ったら、いきなり首が折れるのではないかと思うほど爆睡してしまった。夫もワインが効いたのか、気持ちよさそうに眠っていた。

 2時間弱して、ドライブインでお手洗い休憩。夫は飲みなれたカフェのキャラメルマッキャートを買い求めていた。私はなんとなくお腹が心配でお手洗いを往復したけれど、音沙汰なし。
 出発後小一時間して、無事ローマに到着した。白や淡いピンク、濃いピンクの八重の桜の花が咲いている。日本も開花したようだが、こちらで桜が見られるとは思わなかった。

 ホテルはテルミニ駅近くの便利な場所だ。これまで宿泊した4か所に比べて一番部屋が広く快適そのもの。荷ほどきを含め30分ちょっとの休息時間を経て、添乗員Tさんが界隈の要所・要所のポイントを案内してくださるというのでついていく。
 駅構内のスーパーマーケットや隣接するフードコート等を一周。ラーメン大好きな夫は10日近く脱ラーメン状態。2日前の夜にラーメンとはいえないスープヌードルを頂いたけれど、イマイチ、イマニくらいだったので、もう少しちゃんとしたラーメンが食べられそうと聞いて、すっかりラーメンモード。

 Kさんも同行すると仰るので、皆さんと別れてそのまま少し早めの夕食になった。夫はとんこつ醤油ラーメン、私はチキン白湯ラーメンを頂く。なかなか美味しかったが、日本円相当で2,200円ちょっと。私がペロリと頂けるほどの量なので、男性にはとても足りないだろう。つくづく日本のラーメンは安くて美味しいのだと再認識。

 ひとまずお腹を満たしてから、スーパーに物色に行ったけれど、触手を動かされるものもなく、疲れたので早々にホテルに戻ってきてお茶とお菓子で一服した。

 明日は終日市内観光。長かった旅も明日が最後の観光になる。見学予約時間の関係で出発が早いので、今日は早めに休みたいと思う。
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