今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

月島でもんじゃ通りで鮟鱇鍋

2011年12月04日 | お酒

 4時頃には終わる予定の和室の襖と障子の張替え作業、終わる見通しが立たない。娘が6時から予約していた月島の鮟鱇鍋の「ほてい屋」、六時半に変更する。

 しかし、6時になっても終わらない。とりあえず、かあちゃんと娘達を月島に向かわせる。作業が終わったのが7時過ぎ。十分すぎる出来栄え。自宅近くでタクシーを拾い、夜分のこと、早く着くだろうとのことで昭和通り経由で月島もんじゃ通りに突入。「ほてい屋」の路地の前に約15分で到着。その間、娘から「仲居さんから鍋の火を付けるとセッツカレテる、今何処にいる?」との携帯の嵐。

 Img_4075 タクシーで駆けつけた「ほてい屋」、今井美樹の夫、  布袋寅康の経営と聞いている。布袋の浮気にもできてる今井美樹は昔からファンだか布袋には関心がない。しかし、娘が苦労して予約したようだ。娘達が到着してすでに1時間近く経過していた。後ろで待機している仲居さん連中にさぞや落ち着かなかったことだろう。

 既に鮟鱇鍋には火が付けられグツグツ煮えていた。慌しく辿り着いため、コースの刺盛が目の前にあるが、まずは生ビールを乾いた喉に押し込む。ゆっくり飲む間もなく仲居さんが個々の器に鮟鱇鍋を盛り付けを開始。セルフではできないシステムらしい。自分以外の家族は飲まないので、1時間もあれば十分と思うが手順のためか容赦はないようだ。

 しかしながら、鮟鱇鍋はいつでも旨い。生ビールの後、「初孫」の300mlを注文し手酌で鮟鱇を楽しむ。たどり着いて約1時間、慌てて食べても満腹となる。娘が支払いを済ませてくれる。オジン達の結婚記念日との気遣いだと気がつき嬉しい。

 月島はかあちゃんの出身地、オジンも隔月くらいで会議で立ち寄る。明けて翌日には月島での会議もある。 

 体も鍋で温かい、帰り道は築地まで歩こうかと勝どき方面へ。小学生の時、「勝鬨橋」の端にゴザを敷き、真ん中で跳ね揚げる様を見物したことことを思い出す。同じ思い出をそれぞれ娘達に話ながら、川面を背景にした都会のイルミネーションを満喫して築地本願寺の前からタクシーでアキバへ。

 今は東京TOWERがオレンジのイルミネーションが下流に見えるが、来年は上流にスカイツリーのイルミネーションが見えるだろう。

 翌日は、仲間と勝どきトリトン内の「飛賀屋」での懇親会。二日続きの月島であった。


古都・小郡(新山口)駅前の一角で

2011年11月23日 | お酒

 前々週の北九州とさ程遠くはない山口に新幹線で東京を立つ。新山口には昼過ぎに到着。前夜遅くで指定席は取ってはいたが、3人席のど真ん中。長旅なので一列車早いが、自由席後部の二人席に確保。PCで仕事しながらの旅は意外と時間の感覚が無い。Img_3841

  それにしても、忙しい出張である。新山口(旧 小郡)に到着後、僅か十数分を特急列車で山口まで移動。駅そばを忙しくかっ込んで、荷物をコインロッカーに預けてタクシーで山口県庁と山口市役所に。

 山口県庁、流石に歴代首相を配しただけある、美しく威厳に満ちた建物である。県庁前の道も広く美しい。明治以来の長い歴史を感じさせる。(写真は県庁ではない)

 山口県・市での仕事も終えた後、夕刻に新山口(小郡といったほうが馴染みやすい)に戻り、駅前のビジネスホテルチェックイン。荷物を部屋に置き、直ちにロビーへ集合。

 Img_3849さて、そこからが問題である。見知らぬ土地で飲み屋を探すのはいつも難しい。まずはホテルタイアップの飲み屋マップで街の地理を概略把握。

当てもないまま飲み屋の看板と品書きを覗き歩くうち、後ろから束髪の老人から声をかけられる。「なにかお探しでは?」。とんで火に入る、か?、天の救いかと「五橋を飲ませる店はないですか?」と尋ねて、ご老人曰く「私の知ってる店でよろしかったら」と。

  なんとホテルの裏のビル1階。「さくら道」、時間も早いせいか客はいない。カウンターが4人、奥に二人掛けのテーブルが一つのこじんまりとした店である。女将さんが一人、常連さんが中心そうなファミリーな雰囲気。四人組のこと常連さんに申し訳ないと思いつつも全てのカウンターを占拠。早速「五橋」を注文。女将との会話も新鮮で楽しい。お通しの一つに「赤あわび」は珍しい。赤あわびは柔らかく和え物や酒盗にすると旨い。我々が酒好き判断したのか、女将お薦めの地酒「長門峡」を出してくれる。

 Img_3852そのうち、仲間の一人が歌いたいというので、二階のスナック?「クラブ 二条」を女将から介される。さらに携帯で値段交渉もしてくれる。有難いことだ。交渉成立、仲間の皆さん中々の芸人ぞろい、続けざまに鬱憤を晴らすがごとくに曲を次々に入力。そのうち、他の夫婦連れのお客さんグループも入り、旦那には申し訳ないが仁義無きデュエットに突入。気のいい仲間がパチパチとデジカメ。「おんと゛りゃあぁぁ・・デジカメ消せやぁ」と旦那から一括。気の弱い私はその前に、やさしいママさんに見送られて仲間を残し早々に離脱。

 とはいっても、「さくら道」の女将に教えられた気になる店に行くためだ。三階の日本酒バー「eau de vie(オー・デ・ビュー)」である。利酒士の和服の美人が経営している店があると1階の女将に教わった。山口にはめった来る機会が無い。然らば、是非にも立ち寄るべし。

 ということで、ひとり3階へ。照明を落としたカウンターメインの店内。バーらしく、棚には地酒を中心とした日本酒がズラリと並んでいる。ワイングラスでじっくりと味わうようだ。肴は最初の出された三種の「あて」のみとのこと。それもまたいい。利酒士について、地酒の四方山話などに花が咲く。その間、お薦めの地酒「竹鶴」、「金雀」を小さめのグラスで賞味させてくれる。ママさんの薦める酒は、解説付きで特徴のある古酒など旨い酒、されでも、さりげなさのいい雰囲気がある。

 カウンターの隅にいた広島からきたという営業マン?さんと意気投合。彼から翌日に泊まり予定の福山情報を教わり、ついでに福山のお薦め店情報をゲット。

 翌朝、JRを使い宇部市での会議に往復した後に新山口に戻る。新山口から広島への乗り換え15分の間にホテル裏の酒屋に直行。自分用に「五橋」2升を自宅に送り届け、急ぎ新幹線ホームへ駆け足。そして、次の予定地広島へと向かう。

 


2千m稜線の野天風呂

2011年11月13日 | お酒

 小倉での業界のイベントも無事終了、何処にも寄ることなく北九州空港から会社へ直行。溜まっている決裁を済ませて帰宅したのは七時は過ぎていただろうか。

 Img_3695 翌日の土曜は、仲間のアルファードの新車で長野へドライブ。行き先は、一昨年に家族で泊まった高峰温泉。今回は高崎市倉渕の合間川温泉経由。昼飯ついでにひとっ風呂。透明の内風呂と褐色の露天風呂を急ぎ足で浴びる。いずれもしょっぱい塩化泉。昼食は「お切り込み」、各種野菜のほか、長ネギ(下仁田ネギ?)と油揚げをとろとろになるまで煮込むのが特徴で、「ほうとう」と似てはいるものの、私的には甲州の「ほうとう」よりも旨いと思う。

 晴天の二度上げ峠を抜け北軽井沢へ、小浅間の峠から千代田区の保養施設のある軽井沢プリンス通りを抜け、国道のバイパスの高原通りを小諸へと向かう。高峰高原へ向かう道は高度が上がるに連れ紅葉も濃くなる。2千メートルの稜線近くでは紅葉の終盤?と多彩な顔を見せてくれる。

 Img_3702 高峰温泉は一昨年の7月以来の3度目ではあるが何回でも違う顔がある。今回は新たに作った野天風呂なる露天風呂が新しい。脱衣籠を持ち稜線伝いに50m先に作られた櫓の上に屋根もない脱衣所と4人も入れば一杯の風呂場が作られている。

 尾根筋の露天風呂は実に気持ちがいい。景色が眺められる昼間もいいが、星空を見ながらの夜もまたいい。

 気分よく風呂に入り、星空観望会で年甲斐もなくロマンチックな気分になるが、仲間はおっさんばかりで酒の肴にもならない。今回の日本酒は、宿の燗酒を飲んだ後、部屋では島崎藤村が詩に詠んだという小諸大塚酒造の「純米生酒 浅間嶽 献寿」を飲む。高度が高いせいか持ち込みのカンビールが胃の中で弾けているようで量がいかない。

 さて、翌日は車で稜線伝いに池の平。池の平では極軽いハイキング。それでも普段の不養生、酷く息が上がっていた。

 Img_3780 帰りは、湯の丸からナビにない新しい自動車専用道を走り、佐久を経由しコスモス街道沿いに走る。目的は初谷温泉。「ショヤオンセン」と読む。胃腸に良く効くという炭酸泉が売りである。立ち寄り湯を表立ってはおこなってはいない。あまり知られていないが「日本秘湯を守る会」の提灯があった。ここもかと、少しがっかりである。

炭酸泉の感覚はあまりない。湯船は透明な湯船とやや茶褐色の小さな湯船である。コスモス街道から狭い道を入ったわかりづらい立地で静かな湯治気分にはいいだろう。

 下仁田で苦労して探した下仁田葱を購入し一路アキバへ。都内の道から運転を交代する。

 この日は、震災で本祭りが出来なかったことから、区長肝いりで神田明神の神輿を仕立てることになった。町会連合での渡御の日でもある。

 旅行予定はそれ以前のため隣接町会の役員も旅行仲間にいる。 神輿渡御も秋葉原界隈から神社に戻った頃を見計らい、アキバに帰着し、そうそうに解散となる。前週の九州からの疲れもありまっつぐ帰宅となる。

 


小倉・魚町のあたりでブラブラ

2011年11月12日 | お酒

 業界恒例のイベントが北九州市(小倉)で開催された。羽田から北九州空港へ。空港は周防灘に浮かぶ海上空港である。東日本震災の津波のイメージがあるためか多少の不安は残る。リムジンバスは門司の半島を横切って小倉へ到着。土地勘がないせいか下関が目の前が何故か解せない。

  駅近くのビジネスホテルに荷物を預け、まずは会社のブース設営のために西日本総合展示場に向かう。駅前の展示場のブースでは、はや、作業も真っ盛り。静岡工場からの展示品も届き設置作業など。パネルなどの作業も一段落しホテルに戻る。

 翌日からの展示ブースの成功を口実に、かつ気合を入れるために名前は思い出さないが駅前のコレットの一角へ。

 会場設営メンバーで店は満員状態。盛り上がる皆を残し魚町観天街方面の偵察。小倉での飲食街で有名なのは魚町付近だそうだ。日本初のアーケード商店街である魚町観天街を中心にした飲み屋街である。

 観天街周辺をブラブラ観察しているうちに「小倉再生酒場」へ入る。日本酒はほとんどなく焼酎系である。元職場のメンバーに携帯でお暇ならと誘う。Img_3637

 翌日からは、立ちっぱなしのブースでの接客の連続。他社のブースの「偵察」兼「息抜き」もままならない。初日も終了し、社の慰労会もそこそこにに元職のOBさん等約30名と居酒屋「コール天魚町店」へ。一時間ほど忙しく歓談し次の会合へ。

 

 10数年前の研究団体主催のアメリカ視察旅行グループとの懇親会。魚町二丁目の旬鮮ダイニング「凛屋 魚町店」。すでに前日の魚町偵察で、店の場所は確認済みで一直線。店も和風の個室でインテリアも洒落ている。懐かしいメンバーと落ち着いて機会が持てた。料理もお洒落でボリュームもある。日本酒は熊本から駆けつけた仲間にちなんで「美少年」とする。

 まだ話足りないないが所定時間オーバーで店を後にする。店を出て次の店探しにウロウロするわけにいかない。ほんの少し先に前夜の「小倉再生酒場」があり入る。「マッコリ」で積もる話の続きをする。Img_3639

 

最終日も無事業務終了。会場に隣接したホールでの立食式の全体懇親会に出席。乾杯と同時に真っ先に小倉名物「焼きうどん」へと並ぶ。流石に人気はある。二日間もあったが会場を抜け出ることが出来なかったため魚町の「焼きうどん」の有名店で食べ損なったからだ。会場では、小倉名物の食彩と地酒も振舞われていたが、広い会場の挨拶周りで飲み食いしている暇はない。

 

 主な挨拶を終えたところで、会場を後にし目と鼻の先の下関へJRで向かう。「ふく」を食しに行こうというわけだ。新下関からタクシーで壇ノ浦を通り過ぎ、「みもすそ川別館」へ。同行のメンバーが、以前奥さんと泊まって評判がよかったと予約した店である。

 大きな皿に本場のふくの刺身は、透き通るほどに皿の絵柄が美しく旨い。現在、山口の酒の代表は「獺祭」といわれているが、「五橋」は「獺祭」とは違い、あっさりとしに和食に相性のよい旨い酒である。双方飲み較べながら「ふく」のオジヤも食べ終える。満腹である。

 満腹になったところで、宿泊予定の皆さんを残し一人小倉へトンボ帰り。小倉ではブースで頑張ってくれたメンバーをホテルの居酒屋「つぼ八」で待たせている。厳密に言えば三次会である。

 

小倉の街は、歴史的にも九州の玄関口として、魚町に限らずさぞや奥が深いことだろうと推測できる。

 翌朝、チェックアウト後のホテルに荷物を預け、霧雨降る小倉城八坂神社側から入り見学。細川忠興が築造した堂々とした城郭が美しい。

 午後から会社に戻る都合で時間も無くあわただしく駅方面に戻る。少し時間がほしいが今度の機会にすることとした。しかし、今度はいつになることやら?


湯布岳の温泉三昧

2011年10月23日 | お酒

 母の葬儀、法要等も滞りなく済ませ、久しぶりの落ち着きを取り戻した。半年近くの毎週の病院通い、妻はほぼ毎日の連続であつた。ホームでの2年前のベッドからの転落で、骨折しまったく動けなくなってからだ。

 家族も相当に負担だったし、長い間、家族全員で遠出が出来なかった。家族への慰労の意味もあり、思い切っての遠出との結論である。となると即決、ヨドバシアキバの旅行代理店に直行。外国もいいが普段から湯布院にいきたいとの娘の意見、あれこれ迷うと、まずは決まらない。その場で九州の別府、湯布院に決定。国内も落ち着いて気が疲れずいいだろうとの結論。

 金曜日の朝、羽田から大分空港へ。大分空港でレンタカーに乗り換え、昼食場所を探しながら海岸伝いに走る。レンタカー会社の店員さんから紹介された海鮮浜焼きの店で昼食。

 武家屋敷などで有名なImg_3274杵築市に立ち寄り、大分空港道路無料区間に入り別府に到着。まずは友人の娘さんが先月嫁いだという地獄を雨模様の中見学する。お客は殆どいなかったが泥の噴出しは半端ではない。

海辺のホテル「清風」にチェックインの後、鉄輪温泉街の「ひょうたん温泉」に行く。高いところから豊富な湯量の打たせ湯で有名な温泉だ。清風では山側の部屋で別府湾は望めなかったのが残念だった。駐車料金を取られたのも意外ではある。

 
 翌日、別府から高速に乗り、チェックインにはまだ早いのと「やまなみハイウェイ」九重をドライブ。阿蘇での演習があったのか延々と続く自衛隊の各種車両とすれ違いながら人道専用の「夢の大吊橋」に到着。「夢の大吊橋」どうにも往復に手間取りそうだと外から眺めただけで外周りで湯布院へ向かう。

 湯布院では大きな旅館で面構えもいい「山水館」に到着。少し早いがチェックイン。ホテルで湯めぐりカードを貰い、早速に山に近いホテル「七色の風」に車で直行。霞がかかる湯布岳の中腹に位置する露天風呂は、天候のせいでお客も少なく、柔らかい泉質が体に大変心地良い。Img_3322

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宿舎「山水館」の個室での食事タイム、食事もさることながら注文した地酒「吟醸生貯蔵酒 ゆふいんの森」も旨い。この旅館は、湯布院では規模も大きく、丘から見ると目立っている。内容的にも代表的な旅館と見える。わかる気がする。

翌日の朝は晴天。帰り際に寄った山すその「お宿 梅園」の露天風呂は人も少なく、由布岳の絶景を眺めながら気持ち良く入浴できた。風呂の素朴さと景色の派手さがミマッチだが、離れの個室も人気のようだ。

 昼時少し前に「彩岳館」に昼食に立ち寄る。ここもガイドブックにも載る絶景の露天風呂があるが食事だけとした。湯布院の泉質は、全体的に柔らかいためか湯あたりがしにくい。女性に人気もうなづける。何回でも入浴は可能のようだが、福岡までの運転を考えるとやめておいた。


葬儀の段取り

2011年10月21日 | 出来事

 仕事場に自宅から携帯電話。長期入院中の妻の母親が危篤とのこと、夕方から夜半にかけ一度は持ち直したので自宅に帰る。ひとっ風呂との矢先、病院から再度電話。家族全員で再び駆けつけたが深夜に静かに息を引き取る。度重なる入院の末の92歳の大往生である。

 妻は一人娘のため葬儀段取りはすべて二人で行わなうことなる。覚悟を決めていたので葬儀社にすぐ連絡、病院からの移送を済ませた後、親族葬と決めてあった葬儀社との深夜の段取も二時過ぎに及ぶ。夜更けであるが義母の遺体に連れ添ってきた妻と子たちにも今後の経験のため打ち合わせに立ち合わせる。

 祭壇、飾り、遺影飾り、御棺、納棺儀式、火葬、お寺さん等のさまざまなグレードの選択を強いられる。今回は以前から覚悟をしていたため心構えはしていたが、いざとなると迷うものだ。基本的な料金はあるがそれでは葬儀の用には足りず必要なものの多くは入っていないことがわかるが、オプションとはいっても必要なものである。以前の見積もり書の2倍近くになった。30数年前の自分の父母のときは町会や請負師であった父の下職会などが仕切ってくれたせいか、細目はお任せで不義理も多少はあったと思いがする。記憶が朧である。年月の経過で中味も大きく変わっている。

 不明の不部分は参列者と数とお返し、通夜ぶるまい、お清めのグレードと数。火葬場での控え室の費用。導師への謝礼、火葬場や霊柩車の運転手のチップは予め設定されている。

 その他もろもろは当初には入っていない。祭壇も生花祭壇と当初見積もりを大幅にオーバーする。しかし、妻や娘たち(孫)の気持ち、故人から受けた生前の恩を思うと至極自然に追加。

 深夜、2時過ぎにようやく葬儀の交渉一段落。火曜日深夜に亡くなったため、金曜日が友引の関係で水・木の通夜・葬儀が時間的に困難となり金・土の親族中心の葬儀と決定。あらかた取り決めたらほ゜っかり二日間の空白。やることは多いがとりあえず当日の金沢での仕事予定はけりをつけようと予定通り金沢へ。喪主とはなったが親族葬なので会社にはすべて辞退を告げる。

 当日朝から片道予約で金沢、長野、群馬と三日間の客先との打ち合わせ予定が入っていたが、金沢だけでキャンセルし日帰り。「黒帯」、「手取川」など酒を呑む機会がないまま空港へ。

 金沢駅で名産のふぐの卵巣の塩漬け「ふく子」と「ごりの佃煮」を購入し岐路に着く。いずれ落ち着いたら酒の肴でいっぱいやることにする。

 

 都内に戻り、親族葬儀も滞りなく済ませる。予定オーバーも一般的なこと。義母らしいすばらしい見送りの会であったとは思う。


両国駅舎跡の土俵居酒屋

2011年08月29日 | お酒

 今年の暑さは特に異常だ。黙っていても汗の噴出す午後3時過ぎ、OB会の打ち合わせに両国駅での待ち合わせ。両国基点に水辺ラインを使った東京散策コースの打ち合わせである。

 隅田川の船客乗り場での打ち合わせを終えて、ひとまず飲み屋に行く前に鼠小僧次郎吉の墓で有名な回向院に行く。回向院は次郎吉以外にも歌舞伎役者の墓や小動物の供養でも有名である。改装して以来初めてのお参りだが、昔の面影は無く綺麗に整備されている。

 回向院のお参りの後、暑さで周りを散策する気にはならずに両国駅舎を改造した居酒屋へ直行。数年前までは地ビールを元の両国駅舎内で作り相撲甚句を流していたビヤホールだった。今は「両国八百屋丁 花の舞」となりチェーン店に変わっていた。屋台風の入り口を奥に進むと、ビヤタンクと相撲甚句が無くなった代わりに元駅舎で天井の高い店の真ん中に土俵が作られている。

 土俵近くのテーブルに席を取り、つかみ取りの枝豆を2掴み注文。オジンの手が伝説の「雷電為衛門」の手形とほぼ同じ大きさ、深川の八幡さんで確認済み。「知らざぁ掴んでみようか!」とムンズと掴むと用意の大皿に、一掴み目でほぼ一杯、2掴み目では大きくこぼれる。つまみはこれで十分なのだが、既に枝豆以外にツマミは注文済み。暑気冷めやらぬ体に生ビールは実に旨い。続く日本酒は当然に冷酒。「純米吟醸 八海山」、「純米 〆張鶴」これまた旨し。

 チェーン店とは言え「花の舞」、土俵は設えてあるが両国の本場でしか絶対聞けない相撲甚句が無いのはやはり寂しい。

 


東京駅ビルの飲み放題

2011年08月14日 | お酒

 東京駅八重洲北口改札出てからすぐの構内に「ほろよい横丁」がある。2階のエスカレーターを上り「オールドステーション」に到着。言うなればビヤホールの一種である。サントリーのアンテナショップ的な雰囲気である。1時間800円と2時間1300円の飲み放題メニューが売りの店。会社仲間の新幹線の発車時刻の調整に便利使っている。また、東京駅ビルの飲食街のため、東京で千葉や埼玉方面など別れる仲間と軽く飲むには気楽な飲み屋である。

 土曜の夕方、地元アキバの仲間と秋葉原で待ち合わせて東京駅へ。ほろよい横丁に直行、さしも土曜は六時近くではあるが客はボチボチである。平日の夜の六時過ぎの賑やかさとはチト違う。まずは飲み放題のスタートにプレミアムモルツの生ジョッキを注文。飲み放題は1人1品以上のつまみが注文のルールなのだ。ソーセージの盛り合わせと特製サラダを。後は時間に任せてビールや角or白角ハイボールの各種を注文。焼酎のソフトドリンクはあるが日本酒はないのが寂しい。ビール、ハイボールを一人6杯以上飲んで、つまみをあれこれ4~5品注文して2時間近くたった。いい気持ちになったところでお勘定は3千円弱。ビールやハイボール好きにはたまらないだろう。

 店を出てやはり日本酒が恋しいと、秋葉原に戻りガード下の「真澄」に。いつもの煮付けと「真澄吟醸生酒」300mLを〆にする。 


松本の馬肉料理、姥捨4回通過

2011年08月11日 | お酒

 松本、長野での仕事に朝7時台の新幹線に乗る。我が家からは松本に行くのは「あずさ」より新幹線が早いし酔わない。長野で乗り換え篠ノ井線で松本までだが、旨いことに名古屋行きの「特急しなの」の接続がある。予定よりも聖高原を超え30分も早く松本に到着。

 しかし、客先は大雨の影響でテンヤワンヤとのこと。オジンも長年経験していることから夕刻には一段落するであろうと、まずは、高速で翌日予定の長野の顧客へ。聖高原を抜け長野の顧客の挨拶を終えた。そした、また松本へとんぼ返り。本日、姨捨、聖高原は三回目である。まだ一段落していない松本周辺の顧客への挨拶も早々に終える。 

 夕方近くに松本に戻った。ホテルを探す前に松本城のすぐ近くの縁のある寺に寄ってもらう。この寺は、既に他界した義母の従兄弟が住職をしていた寺である。松本市内では市内観光案内図にもある松本城主ゆかりの名刹という。

 元住職の墓にお参りして当面当てない駅近くのホテル街へ向かう。Img_2926  お盆直前、どこのビジネスホテルも一杯だろうとグレードは少し高いが「ブエナビスタ」へ飛び込む。エグゼクティブクラスしか空いていないと言われたが、ウロウロするのも面倒なのでチェックイン。

 夕食兼用で、馬肉専門店の居酒料理屋「新三よし」へ。馬肉料理の専門店、メニューを見て「たてがみ、霜降り、赤身の三点盛り」、「食べるラー油がけ、かける冷しゃぶサラダ」なる長ったたらしい名前の肴を注文。酒は当然に信州の日本酒である。「純米吟醸 白馬錦」、「純米 御瑚鶴」、「純米 北アルプス」を頼む。信州の酒は相変わらずに旨い。「新三よし」は馬肉を使ったオーソドックスな刺身類や様々な工夫をこらした料理とリーズナブルな価格が嬉しい。

 明けて翌日。長野で打ち合わせのため、またも高速で姥捨・聖高原を通過。長野の二件の仕事も早々に、東京での会議のために昼の新幹線に飛び込む。3時の月島での業界会合に間に合わせ無ければならない。乗った新幹線は、会議ギリギリより一本早かったためか余裕の到着。上野で降り、我家のある秋葉原のコインロッカーにバックを預けて手帳と扇子、そしてサングラスだけの手ぶらで月島に向かう。それにしても松本、長野も35度超、車の出入りで汗をかいたり冷やしたり、帰ってきた東京も猛暑。

 我が家にたどり着いたのが、いつもと変わらない10時近く、猛暑の旅行は、いやはや疲れる。


妙高の緑、新潟平野の稔

2011年07月24日 | お酒

 Img_2873 新幹線「MAXとき」の自由席1階の最後部座席、途切れ途切れの携帯電話で出たり入ったり。いつの間にか燕三条に着く。迎えの地元社員と妙高へ。妙高は始めてであり中々に遠い。若い時代にスキーで憧れてはいたが縁の無かった妙高高原は始めてである。抜けるような青空の中、妙高山が独立峰のようで美しい。  

 妙高ICを出てSAの広さに圧倒される。妙高高原の緑に圧倒されながら妙高のお客さんとの話も終えて高原から新潟平野へ後戻り。まだ穂は見えないが確かに期待される新潟平野の稔に圧倒される。

 弥彦や燕のお客さんを訪問して燕三条駅前に到着。駅近くの「ぜんてい」にチェックイン。「ぜんてい」焼酎、その他のメニューは揃ってはいるが、日本酒の品種は少ない。「越の寒梅」フェアなのか各種の寒梅を揃えたメニューブック、いまさらの感がある。「白梅特別純米生酒」、「?純米超辛口」を注文。肴は「あいそれ」、「かわはぎ」、「特製豆腐」などを注文。いい時間をすごした後、相方の運転代行を注文。この地の運転代行はタクシーより安いらしい、すぐに来た。

 こちらは、翌日の会議のために「ぜんてい」から新幹線に駆け足。タッチの差で乗り遅れ、燕三条駅のKIOSKで生ワッフルを購入し、新潟までの僅か10数分の新幹線の間に茶漬けの代わりに食す。新潟駅前のホテルに着いたのが10時過ぎ。持ち込んだPCで翌日の準備作業を終えたら既に12時をすぎていた。

 いずれにしても忙しい出張ではある。珠にはのんびりしたいとは思う。


信州安曇野も酷暑の夏

2011年07月17日 | 出来事

 「スーパーあずさ」に乗り、ひたすら「数独」に挑戦。小一時間したところで体調がおかしいことにきずく。冷や汗がでて気分が悪い。すわっ!!いよいよ脳梗塞かとぞっとする。よくよく考えると「乗り物酔い」である。今までは殆ど新幹線なので揺れないため、下を向いての「ひたすら数独」でも酔わなかったことに気づく。

 まずは原因が判明しほっとして松本に到着する。少しは涼しいと思いきや夕刻近くの松本も酷暑だった。打ち合わせを終えたら7時近くになっていた。打ち合わせのメンバーと夕食を兼ねて一杯てなことで、まずは安曇野のビジネスホテルにチェックイン。

 安曇野市穂高駅近くの「勝味庵」。いわし料理とトンカツ料理が売りの店とのこと。9時閉店と早めの店だが、久しぶりの「あずさ」で揺られたせいか些か疲れた。丁度いい按配である。

 店はコの字の厨房を囲むようにテーブル席や小上がりと座敷がある。小上がりに落ち着き、まずは生ビールで喉を潤す。自慢のいわし料理はあまりにも暑いせいかパスし、肴はトンカツ料理の梅ヒレカツ巻と馬刺し、冷奴などを注文。生ビールを追加した後は、焼酎に切り替え話に花が咲く。

 気がつくと既に9時を回ている。早速、仲間は自車なので運転代行を呼び、我々をホテルで落としてもらう。

 さて翌日は、アルプス山間を縫う中央高速で飯田へ。抜けるような夏空ではあるが車外に出るとオーブンレンジに炙られているような暑さだ。早い梅雨明けといい今年は異常な暑さだ。飯田は今のところ心配はないが、その後の水不足が心配だ。現地で打ち合わせの後、山間の施設へと向かう。進入禁止のゲートを開錠し車で沢筋まで入る。鬱蒼とした沢筋の施設の確認のため入ったが涼しいと思いきやまだまだ暑い。この地でかくも酷暑とは、何処の避暑地も同じかと憂う。

 思った以上に時間がかかり、諏訪あたりのお客へ寄ろうかと考えたが時間がなく、松本発の「あずさ」での帰京となる。帰りの車内では当然に「数独」を控える。


放射能・風評被害の元凶

2011年06月13日 | 出来事

 オジンの幼少時代、東京都内では1950年代から1970年代前半までチェルノブイリの対数的に一桁上のすなわち10倍近い放射能を浴び続けていた。当時、黒い雨と騒がれていた。現在、関東、東京地区ではその数値が一桁少ない数値の何が問題なのかも明らかにされていない。問題が時間軸を無視して報道されているからだ。当時の同級生は皆元気である。当時、今の基準で問題といわれている放射能汚染といわれているお茶を10数年間毎日飲み続けていたのだ。

 このことは、今のマスコミ報道では伝えていない。そして、過去との原爆時代との比較など政府は認識しているが積極的に情報を伝えていない。もし政府が報道したら、言い訳としかマスコミは報道しないし袋叩きに会うのが落ちだ。今では、いかにも幼児や妊婦など庶民の立場だとマスコミに出場して大声で騒ぎ立てる者の声ばかり、論理を放射能の恐怖を煽り立てるばかりである。出演料は持てはやされた彼らの懐に入る。

 しかして、スーパーでは関東近県の野菜は売れず、太平洋沿岸の魚は世の中のおばさん達には振り向きも去れない。市場ではまともな値段がつかない。元気出して立ち直ろうなどは掛け声だけだ。風評被害は、拡大するばかり、かくも無知とマスコミ受けする恐怖の暴論がまかり通り、無知故の被害を拡大再生産している実情を見ると嘆かわしい。

 ネットユーチューフ゛で、外国気象庁発の毎日の動画データは、いかにも派手派手しく放射能が拡散しているような印象を与えている。放射能の単位が何故か分かりずらくしている。現時点ではまったく問題外の数値を真っ赤に表示している。他国の意図的な操作であると感づくのは正常な感覚だろう。飲み水はすでに安全宣言されている。3月のいち時期だけのデータを意図的に振り回している地下水メーカーがいるからだ。滅菌されていないボトルウォーターほど危険なものはないのは常識だ。

 政治の世界は復興で一丸であるべきところ足の引っ張りあい。原発張本人の自民党、政府内で団結すべき民主党内で足を引っ張る面々。その他の政党も同罪、嘆かわしいと思う毎日である。復興一本、一丸となるべき時期に「不信任案提出」信じられない暴挙。狂っているとしか思えない。この国の亡国が見え始めた。さもありなん、政治家を家業とした苦労知らずの世襲宰相の継続の成れの果ての付けである。

 そのな世の中、オジン達は放射能を気にせず空いている居酒屋を席巻する。そして、放射能を浴びながらプールも海水浴も運動会も、そして宿題もせずに毎日外で遊んでいた頃を思い出そう。被害地を憂い、復興を願い、そして、浅草橋「明よし」で樽が半分無事だったという「福島の栄川」を飲みながら、地の産物を肴に大いに盛り上がった所である。

 


「大阪国」と「ビリケンさん」の街

2011年05月22日 | お酒

 大阪不慣れなオジン、新幹線へ到着してまず建設工事とあいまって魑魅魍魎とした天王寺駅周辺でウロウロ。東京の地下鉄には普通にある出口Noと駅周辺図が、大阪には総じて少ない、「大阪国」の陰謀か真に分かりずらい。漸く、ホテルへ到着後すぐに谷九へ。タクシーを待つが何時までもこない。仕方なく地下鉄へ乗る。これもまた案内図が少なく構内を散々に迷う。駅員さんに反対の改札で使用済み乗車券を貰い反対側で出る。乗るのもウロウロ、降りて後もウロウロ、真にプリンセストヨトミ(敵前調査のため2年前に単行本で購入・読了)の本拠地には、駅員さんの親切さは別としてイライラされ通しである。

 チェックインの天王寺のホテル。チェックイン後、OB・現役合同会出席のため、まずは谷町へ。御堂筋線で通称谷九「庄助」での会。六時での開会とのこと、六時半に店前に着きながら会社からの電話で七時着となる。会出席者に詫びた後1時間程参加して会社の懇親会へ途中退席する。タクシーの運ちゃんへ天王寺の「ごちそうビル」と言うと、通りもまっつぐにビル前へ速やかに到着。ビル地下の「夢屋」へと入る。既に規定の二時間は過ぎ、盛り上がりも九分程進んではいる。そこから約一時間、ツマミは少なかったが、またまた盛り上がる。一次会のメンバーから三次会のお誘いの電話で、またまた谷九のスナック「名称不明?」へ。

  残念ながら谷九「庄助」、天王寺「夢屋」は忙しすぎて印象談は省略。

 翌朝は谷九での全国研究発表会へ。前日からスタートしていた発表会、二日目だが各発表ブースを駆けずり回り、合間に挨拶やらで大忙し。夕方からは、研究会の発表者やら参加した前夜の仲間と晩飯代わりに通天閣で待ち合わせ。当然に麓の串揚げの街へと繰り出す。大阪は何でも串にする。シュークリームも串揚げにするそうである。「朝日」のメニューには意味不明の串揚げの横に確かに書いてあった。たこ焼き、シュウマイなども注文。

 座敷に座り、メイメイに食べたい串やモツを注文。メニューは豊富、何でも串にするものであると感心する。一年ぶりの大阪の夜、ご利益を祈念しつつ「ビリケンさん」の足を擦り、串揚げを頬張った夜でした。

 翌朝、午前で終わる発表会もそこそこに朝発の新幹線で東京の会社へ。昼前に品川着。8時過ぎまで会社勤務、アキバ駅前で寄り道して10時過ぎに帰宅。忙しい大阪出張でした。

 

 

 


ガラスキのゴールデンウイーク・湯河原

2011年05月15日 | お酒

 ゴールデンウイークの後半5月5日のこどもの日の午後、義母の入院先から直接四つ木ICから高速に乗り東名高速に乗る。家族同伴、行き先はいつもの奥湯河原温泉の2泊3日の旅行。連休明けの会議資料作成のためにパソコン同伴。途中、部屋飲み用にと山口の「吟醸純米 山猿」を購入。首都高を抜け東名高速へ入るがガラスキの状態。対抗車線には延々と続く渋滞。時期をズラセバ楽なもの。

 家族が是非に見たいと小田原城へ向かう。小田原の祭の最中。小田原城で着くなり、城の広場でアントニオ古賀のライブを横目に目の前の食堂に入る。後一つという小田原丼を注文。家紋に因んだ三角おむすびと名物の梅干のお茶漬けである。小田原城天守閣からの眺めはまあまあである。

 小田原を後にして海岸通りの一般道を走る。またまた対抗車線は延々と渋滞。着いた晩に宿のカラオケで居合わせた横浜の方から聞くと伊東から渋滞と聞いた。

 夕刻近くに奥湯河原に着く。元職の囲碁会でも度々世話になっているので顔なじみだ。まずは部屋に落ち着き、ひとっ風呂。いつもながらいいお湯である。食事を終え100円玉10曲分を丹前の袂にぶち込みカラオケルームへ。先客がいるから楽しい。ビール、「山猿」を持込み先客や後客と盛り上がりながら歌いこむ。皆さん、相当にお上手である。当然、翌晩も一人カラオケへ直行。後から入ってきた女学生時代の同級生という85歳の四人組の操作タブレットのカラオケ手配士に徹する。皆さん声が出ていて伸びている。大変お元気で感動ものだ。一人ひとりの歌メニュー10数曲を記した準備している手書きの紙を渡される。流石であるお母様方。

 翌日、昼食は湯河原市内のバス通りの魚屋の二階「魚繁」。サザエや白魚などを組み込んだ昼食後、幕山公園に行く。湯河原へは何度も訪れてはいるが初めてである。囲碁の名将藤沢秀行の定宿といわれてる「杉の宿」の少し先だ。現役時代に囲碁合宿で泊まったことを思い出す。幕山公園は期待以上のものである。さつきとつつじの合間で、石楠花も終わりに近いがそれなりに落ち着いて綺麗な公園だ。

 翌々日の午前、小雨降る西湘バイパスを鎌倉へ。ゴールデンウィークにもかかわらずガラスキ状態。茅ヶ崎から江ノ島へ。江ノ島の駐車場にスムースに入り、初めて島のエスカーで頂上を目指す。単なる三回乗り換えのエスカレーターに350円支払い頂上の江ノ島神社へ。晴れていれば海より鎌倉市街が見たかったが残念である。歩いて下り、20数年ぶりの鶴が丘八幡宮へ向かう。

 鶴ヶ岡八幡宮の駐車場もガラスキ状態。横からお参りと結婚式を眺めつつ、相当に変わった沿道の蕎麦屋「峰本」に。店お薦めの特別メニューの昼食。一寸お高いが趣向が凝らして美味であった。

 天気があまり芳しくなかったとは言え、ゴールデンウィークにしては意外な静けさの行楽地。震災後遺症というかマインドの低下の影響は相当なものだ。


震災でブログ中断、再開「寸又峡温泉」

2011年04月03日 | 出来事

 震災直前の温泉旅行。買い換えたばかりの仲間のアルファードで、地元仲間といつもの旅行。東日本大震災は、この旅行の一週間後に発生。今思えば早くでよかったか?震災時は房総半島の突端での会議中。会議中止で東京へと一目散。津波注意報の東京湾岸沿いにコンビナートの火災を避けつつ夜中の三時近くに自宅へ。以降、管理しているプラントの面倒などブログ書き込みの暇なく今に至る。

 さて、思い出しつつ徒然に本文。いつものように、アキバ中央口でクーラーボックスにビールと氷を仕込んでいざ出発。いつもと違うのは今年正月に亡くなった仲間が参加していないことだ。どこか世話がかかるが昔からのくったくのない個性的なキャラクター。そこにいないなりに寂しいものだ。今回の旅は車では珍しく相当に長距離である。東名高速に乗り、御殿場ICを過ぎ、相良牧野原ICで降りる。それでも所要時間は2時間半はかかったか。

 Img_1914 SLで名高い大井川鉄道と併行する国道沿いに走ること小1時間、12時前に川根茶で有名な川根温泉に到着する。大井川鉄橋を渡るSLの勇姿が自慢の立ち寄り温泉である。露天風呂に入りながらのSL見物は醍醐味だが、露天風呂は当然に混んでいる。飲み食いがメインの我々は早速2階の食堂の窓際に陣取り、つまみと生ビールなど酒類、そして茶蕎麦を注文。二階でSLを見物した後にひとっ風呂といく算段だ。SLが鉄橋の向こうから白い煙を上げて近づいてくる。アキバ育ちの仲間たちにとっては懐かしい思いは持たないが、それなりに良い眺めである。列車が去った後、早速に露天風呂に直行。晴れた空の下、無色透明なツルツルとしたいい湯だ。美人の湯とも言われている。

 川根から大井川を上流に向かう前に、売店の女性から教わった地元の酒屋で地酒を購入する。アプト式鉄道の始点「千頭」まで国道を遡り、寸又峡への分岐を入る。車一台がようやく通れる狭い崖道をひたすら奥地へ。今思うと走行中や到着後に見舞われたら空恐ろしい思いがする。

 温泉街の一番奥の「求夢荘」に到着し浴衣に着替えた後、早速に町営の浴場に行く。坂の上の一番の高台にあり、受付もある。湯番兼受付のおじさんに100円を支払い、暫し、湯の由来と温度差についての講義を聴く。粗末ではあるが湯質は極めてよい。川根温泉もよいが数少ない利用者と掛け流しの故か、さらに清潔感に溢れ湯質も素晴らしい。秘湯の所以でもある。

 Img_1943 求夢荘の木の露天風呂は狭いが素朴でいい。清潔なのだが湯質のためヌルヌルすぎて木枠につかまないと滑って溺れてしまう。落ち着いて入るには内風呂がよいだろう。

 食事時に、川根の酒屋で購入した地酒「吟醸 のもり」、「純米大吟醸 志太泉」、「吟醸おんななかせ」の持ち込み。ご主人から快く受け入れてもらいカラオケセットのある大広間へ。燗酒とビールをそれぞれ各人一つづつ注文し、恒例の購入地酒の利き酒会。 山菜料理のほか、猪鍋、鹿刺、山女焼など沢山の料理が追加料理を断られたのも頷ける。宿お薦めの冷酒「吟醸寸又峡」を注文。飲み終わってから持ち込みの利き酒はいつものこと。

 Img_1984 朝はメンバー4人と「夢の吊り橋」ハイキング。トンネルを抜け、ダムサイトから階段を下り吊橋へ。吊橋では寒風が吹きすさび水面は白浪である。一人分の通路しかない橋が風でユラユラと揺れる。少しスリルはあるが面白い。橋を渡った先は展望台への登りで一汗をかく。旅館からぐるりと約3km、小一時間のハイキングである。「求夢荘」の女将と旅館前で記念撮影してさようなら。

 10時過ぎに寸又峡温泉に別れを告げ、東京への帰路へ。寄り道せずに大井川沿いに下り、静岡空港近くの吉田ICから高速に乗る。昼食のため焼津ICで降りて焼津魚市場へ。昼時、どこも混雑のピーク。ようやく見つけた魚料理専門の食堂に入り、海鮮丼に白魚の刺身と地酒を注文。ナビ役割で運転からは開放されているため気楽に一杯。魚市場で土産のシラスと干物を買い込み、いよいよアキバへの帰還の途。