森村誠一作「人間の証明」で有名となったフレーズ「母さん 僕の麦藁帽子は何処にいったんでしょう・・」との舞台。その昔、軽井沢開発以前は長野への街道沿いの霧積温泉が避暑地であったという。伊藤博文が仲間と憲法草案をここで日夜作成したと聞く。与謝野晶子や多くの文豪などが長く逗留した地でもある。
明治になり軽井沢が開発され、霧積温泉も山津波で大半の旅館が流され一挙に廃れてしまったようだ。現在は後で開業した姉妹旅館も閉館し、山奥の一軒宿になってしまった。
今では山奥の霧積温泉は、秘湯中の秘湯と言える。気になっていた温泉であった。
いつもの地元仲間と秋葉原駅前で集合し、群馬の山奥の温泉宿へ。途中、碓氷峠の横川に寄り道。かって難所だった旧国道18号線・碓氷峠の上り口の、今は安中市に合併した旧松井田町の国の重要文化財のアプト式鉄道の景勝「めがね橋」から続くトンネルを歩く。
山深いが赤いアーチ橋が印象的な「坂本ダム」に寄り、昼食兼ねて温泉施設「峠の湯」に立ち寄る。
自分はレストランで「峠の釜飯定食」を注文。景色のよい広々とした露天風呂で一風呂浴びる。麓の駅へとの往復列車が汽笛を鳴らしながら発車する。子供は喜びそうだ。
のんびりした時間を持ち、いよいよ霧積温泉へ。途中、安中市の水源である山深く人の気配の感じられない霧積ダムを見学し目的地へと向かう。霧積に到着。閉館した姉妹館の霧積館の駐車場に車を置いて、唯一繋がるドコモで「金湯館」に到着の電話。
徒歩で直接行くと20分くらいだそうだが、仲間を見回すと歩いて宿まで気合の仲間はいない。霧積ダムで知り合った新潟からきた旅行者は「金湯館」への登山道をずんずん登っていった。我々は暫し待つ。迎えのマイクロバスがやってきた。女性の二人組と乗り急峻で狭い山道を10分位走り大きな水車が目印の宿に到着。宿の手前には鼻曲山への登山道の案内板がある。霧積温泉「金湯館」は高崎市倉渕の境にある標高1655 m鼻曲山の南斜面。鼻曲山は、長野県軽井沢町の北東隅とも接し浅間山の絶景ポイントでもある浅間隠山の稜線上にある。山の反対側はオジンの最近の仕事の一つでもある林業エリア。しかしながら、稜線は言うに及ばす近くに足を踏み入れたことがない。鼻曲山再接近である。いつかは仕事的にも行くかねばならないとは思う。
宿につくと、直ぐに1階の部屋に案内される。角部屋含む三部屋使用。二階は寝室とのこと贅沢な部屋使用。驚いたのは部屋前の洗面所。冷水が二つの蛇口から洗面器に流しっぱなし、何と蛇口のバルブがない!!持参した「缶ビール」や日本酒を溢れる冷水に漬ける。あっという間の飲み頃。洗面所ではなく自然の冷蔵庫だ。
まずは部屋到着し自然のクーラーで冷えたビールで「乾杯!!」。ひとまず宿の周りをブラブラするが稜線の向こうでの熊出没の話を聞いているので歌を歌いながらの散策だ。風呂は冷泉に近い淡い炭酸泉が体に泡を纏わりつかせる。露天はなく普通の内風呂だが気持ちが良い。露天は欲しいが川の上流域で水量もなく川を愛でるわけにもいかなそうだ。
食事は1階での部屋食、素朴な山菜料理中心だか川魚の刺身もある。まずは宿の地酒をぬる燗で一人約二本づつ注文。飲み終わった後、買ってきた千葉と地元坂本宿の「木戸泉」と「坂本宿」でワイワイと談笑。
翌日、妙義山へ行く。歴史ある「妙義神社」の古木に挟まれた参道のとても長い階段を上り参殿する。汗を流したあとはお風呂で一休みである。妙義ふれあいプラザ「もみじの湯」の露天風呂は妙義山と桜を背景に麓に広がる景色が素晴らしい。
年はとっても文化的な触れ合いも肝要と帰り道で明治五年に設立した富岡製糸工場へと行く。世界遺産登録へと力が入っているのが分かる。市の駐車場に入ると地元の祭メンバーが盛り上がっている。製糸工場からの帰り、駐車場に戻ると既に祭が閉会し、テント下で仲間の打ち上げパーティーの最中。町会のメンバーの皆さんからは、売れ残った煮込みやおでん、更に運転担当以外はお酒までいただき折りたたみ椅子で一緒に盛り上がってしまった。されど、帰りを考えると後ろ髪を引かれる思いで一路アキバへと帰る。
次の旅行は秋かな?