今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

改元の裏側「女帝誕生潰し」の罪障

2019年01月01日 | 政治評論

愛子様  平成改元の大騒ぎの裏側でほくそ笑んでいる連中がいる。安倍首相、いかにも天皇保守派を説き伏せたような印象操作の4月発表、とんでもない出来レースである。雅子様と愛子様をセットで病気に仕立て上げ、あるいは追い込み、女帝の目を潰す仕掛けの集大成であった。皇室内の確執もあり嘆かわしいことだ。リベラル人は誰も気が付いてはいても言葉に出さない。

 世界の中で先進国とは言いつつ男女格差では最低水準の日本。職場でも自宅での男女の役割を見ても、シングルマザーや独身女性への偏見と差別の根源を正さなければならない時、何故、愛子様の女帝の天皇皇嗣への道を完全に排除してよいものか?

 文化人と言われる皆さん、つい昨年初めまでは女帝論議もあり有識者会議も立ち上がっていたはずだ。何時のまにか天皇譲位論議に押され霞みマスコミも文化人も圧力に屈し沈黙してしまった。女性の地位向上を高らかに謳っている「文化人」や「沈黙する野党」も情けない限りだ。

以上、元旦のテレビで改元時の休日カレンダーに騒ぐマスコミを見るにつけ、日本の明日には希望がないとの年頭の所感を述べたい。

            2019年1月1日午後10時 アキバおじん

 

 


年の瀬の「神田明神」と木の温もりの「新会館]

2018年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 我が家の年末行事の一つに、神棚の注連縄と新しいお札(天照大神宮、神田大神、荒神様)の交換がある。神棚の清掃を終え、お札を戴きに神田明神に行く。銭形平次碑の先の収め処に古いお札を収めた後、新しくできた明神会館でお札を3千円で購入する。年始の準備の終えた大賽銭受けの横の階段から、本殿前で新しいお札に御霊を吹き込み願いつつ静かにお参りする。

   神田明神(正式には神田神社という)は、西暦730年(天平2年)に創建し、2029年には創建1300年を迎えるにあたって、地上4階・地下1階建ての文化交流館を建設した。文化交流館のは梁や柱に木をふんだんに使い、木造耐火構造であるという。洋風と和風をマッチした近代的な建物である。

  ちょうどお昼の時間帯、会館内のお土産売り場に隣接したお休み処で昼ご飯を食べることにした。メニューに益々繁昌御膳(2000円)、自然薯と月見うどんとお稲荷さん二個のセット(1000円)。甘味、飲み物メニューは凡そ600円~である。木の使い方も良く、落ち着いた雰囲気で食事が取れる雰囲気である。新しい名所となるだろう。

 例年になく静かな年の瀬。体調を壊し不本意なH30年であった。H31年は干支の年男、「神田大神」さんには体の回復と家族中心の生活を期すべく祈る。 


浅草「三の酉」の賑わいと、焼きそば「三島屋」

2018年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム

  今年も、浅草の鷲「おおとり」神社の今年最後の「酉の市」に家族で出かける。商売繁盛の「熊手」が人気の神社、神社大鳥居の遠くから並ぶ人並の大部分は「酉の市」の煌びやかで景気のいい掛け声を聞きに来たのだろう。参道脇の石原慎太郎一族などの有名人の名入の「大熊手」も見物だ。江戸の風情を感じる。

 鳳神社の参拝前に、接客商売の縁起物「熊手」のルーツ「かっこめ」を我が家の神棚に鎮座まします「かっこめ」を収め、新しい「かっこめ」を求めに行く。神社社務所直轄販売の「かっこめ」は千円、「熊手」より見た目は遙かに質素だが直轄だけに「ご利益」はありそうだ。

 屋台の並ぶ裏道から入り、隣接のお寺「妙見様」をお参りの後、参拝者の横からお賽銭を投げて神社のお参りをする。「酉の市」の賑やかな空気をたっぷりと吸い込み、参列者の列を横切って人の波の屋台道へと出る。

 帰り道すがら、腹も空いたのでいつもの三島屋」で一休み。焼きそば」、「たこやき」、「今川焼」などがテイクアウトで人の列のできている。いつもながら、路上のお客の列と犇めく屋台のためか死角となって案外座れるのだ。今年もテーブル席が丁度一つ空いていた。

 この店の、たこ焼き(350円)、やきそば(350円)は美味しい。屋台の500円と比較して量も遜色なくリーズナブル。今川焼(100円)、蜜豆(300円)、あんみつ(400円)など甘味も充実。飲み物はセルフでクーラーから缶類のソフトドリンク200円と座って飲めて安心して食べらる。3人で約3千円でお腹一杯になる食べた。 来年も「鷲神社」酉の市の賑わいと「三島屋」で焼きそばを食べたいものだ。

 帰りは、西浅草の街をブラリ旅しつつ、当家の宗派、浅草本願寺「阿弥陀様」へお参りする。

 

  


新宿御苑のユリノキの種子と高級ハチミツ

2018年11月25日 | 森林と環境

 今年もユリノキの種子を求めて、新宿御苑にブラリ散策。JR千駄ヶ谷駅で降りて新宿御苑の千駄ヶ谷口へ約5分。入苑後、昨年H29年と較べて日本人の約倍近く印象の外国人の多さに驚く。苑の紅葉はいま少しだが、今少しの間合いの美しさとコントラストにオジンは満足。

 目的は御苑のシンボリツリーのユリノキの種。種の獲り頃と見込みビニール袋を持って公園の中心の樹齢約120年のユリノキの根本に這いつくばること小1時間。リュックサックに帽子にマスク、さぞや変な日本人だと思われたことか。翼のある種子を千~二千個は採取したか。勿論、御苑のパトロールの方にご了解を得る。

 理由は外来種のためだ。120年前に国内初に北米か欧州から持ち込んだものという。かつて、北米では西海岸からロッキー山脈に付き当たりまで、一面のユリノキの森林があったようだ。向こうではチューリップツリーと呼ばれている。20年もあれば高く・マッツグで、太く、花はチューリップに似て、蜜は高級ハチミツとして人気が高い。住宅資材や船舶材、家具(ホワイトツリーとして)などに使用され、今は殆どがトンもろこし畑や麦畑、牧場にとって替わられ森林で残っているところが少ないようだ。

 国内では、迎賓館前並木、日比谷公園外堀、上野博物館前シンボルツリー、街路樹に多い。個人の庭には、移植が難しく、早く大高木となるために殆ど普及していない。個人では、相当の庭園をお持ちのご仁ならば植えられていられるようだが・・

 そこで、オジンは群馬の社の山にユリノキを植え育てようとの試みなのだ。杉、ヒノキは植えてから収穫まで50年前後は必要だ。若い林業人には長い間育ててもインセンティブが少ない。団塊世代のオジンにはお目にかかれないが、彼らに自らの成果(インセンティブ)を手にさせてやりたいの一念なのだ。幸い、凡そ70~80年生の一本のユリノキの大木が社の山に生えている。土壌との性もあっているのだろう期待ができる。

 森林崩壊が叫ばれている今、この試みはSDG's」の地球環境面での理念にも沿っている。森林の更新の新たな試みでもありと自負している。

 10年先前後には、純国産・級純粋ハチミツ「群馬産ユリノキのハチ蜜」乞うご期待。


「カメラを止めるな」と浄水場の歴史

2018年08月24日 | うんちく・小ネタ

 最近話題の映画、格安製作費300万円で作ったという「カメラを止めるな」を観た。ホラー映画と思っていたら、あにはからんやネタバラシ映画だった。原作or原案騒動の前だったので新鮮な気持ちで鑑賞した。

 ロケ地がどこかで見覚えのある風景、きっと、古い浄水場のポンプ室かなと思いつつ映画のどこかに施設名称があるかを探すが見つからない。後日調べたところ水戸市水道局の廃止した芦山浄水場だったとのこと。

 調べてみると大変歴史ある浄水場であることが分かった。寛文2(1662)年、水戸藩主・徳川光圀が笠原水道を布設した。歴史江戸時代末期、外国からの持ち込まれたコレラの大発生が起こり、明治になると赤痢、腸チフスなどの伝染病が毎年一定の数発生していた。笠原水道は、明治・大正と水戸市民の水道として機能してきたが、大正時代となり人口増加と、伝染病の原因は飲料水に問題があるのがわかり、ろ過・消毒などを行った近代水道の緊要性が提唱されるようになり近代水道の布設を大正14年に議決した。その後、昭和5年から浄水場の建設に着手し、緩速濾過法による芦山浄水場、高区配水塔と低区配水塔を建設し、昭和7年から給水を開始した。

 ところで、大正後期までは赤痢・チフスによる乳児の死亡率が大変高く、飲料水によるとわかっていた。近代水道の普及と大正12年に当時アメリカで導入されていた塩素滅菌機の導入と国産化により乳児の死亡率は一挙に低下したことは案外知られていない。

 現在は浄水場は廃止されているが、歴史的な建造物から二つの配水塔と含めて「近代水道百選」に選ばれている。ロケ地として開放しているため「欅坂46」のMV『もう森へ帰ろうか?』や「各種仮面ライダーシリーズ」、「金田一シリーズ」のロケ地としても有効活用されているようだ。

 原作、原案騒動、双方のそれなりの言い分は理解できる。頭を絞って「元祖カメラを止めるな」と中をとって飲み屋で手打ちをしたらどうか。ジジイの知恵である。


本白根の噴火と「草津温泉」

2018年06月30日 | 温泉とお酒

-y  草津温泉は5~6年ぶりだろうか。家族と万座プリンスに泊まり、帰りに立ち寄った時以来だと思う。万座も十分きつい上に、草津の硫黄香に女房や娘たちが湯あたりした覚えがある。以降、帰り道の柔らかい四万温泉が好きになった。

今回は、建設中の八ッ場ダムがある吾妻川流域の公的機関の会議があり、その会議前の講演依頼だ。宿泊付きで泊りは町役場近くの老舗の「ホテル櫻井」、地元浅間酒造と親戚関係もあり団体客も多い。

 森の役割をメインに山体崩壊(土砂崩れ)のメカニズムも少し触れた講演も順調に終了し、まずは湯畑見物へとホテル専用の湯畑循環バスに乗る。今は本白根山の噴火で客足が落ちていると思いきや、湯畑あたりにも結構お客がいて賑わい噴火の影響はほとんど見られない。温泉街の懐かしい風景と女房のお袋さんを連れて「白旗の湯」に入ったことを思い出した。何時リューアルしたのか「白旗の湯」はオシャレに建て替えられていた。

 湯畑の正面の参道の急階段を上り「光泉寺」へ。日本三大薬師如来という「温泉薬師如来」別名「遅咲き如来」をお参りする。「光泉寺」は真言宗のお寺で、奈良時代に活躍した高僧の行基(ぎょうぎ)が草津に立ち寄った時に、病人のために祈祷したところ温泉が湧き出たのだとか。有馬温泉の「温泉寺」、山中温泉の「医王寺」とともに、日本三大温泉薬師のひとつとして数えられているとのこと。

 参道の急階段を上りきる案外とホテルが近い。ブラブラと歩いてと途中の酒屋で部屋の飲みの酒を仕入れつつホテルへと戻る。懇親会前に浴衣に着替えホテル自慢の大浴場に入る。当初の硫黄香のきつい温泉を想定していたが、なんと柔らかい!!  露天風呂は湯畑の源泉とは言っているか思ったより温く柔らかい。「いい湯ダナ」で嬉しい誤算である。近々、家族で四万温泉に行こうかと思っていた矢先、草津もまたいいかなと思う。しかし、四万は中之条の「ふるさと納税」の振興券を使い切らなければと思うと悩むところだ。

 ホテル櫻井での宴会では、浅間酒造の日本酒が出たが、昔よく飲んだ代表的な「秘幻」ではなく「浅間山」であった。燗酒でいただくがスッキリした飽きの来ない飲み口の清酒だった。その夜は、サッカーワールドカップだったが久しぶりの講演と「いいお酒」でぐっすりと寝入ってしまった。

 

 


「万引き家族」、「空飛ぶタイヤ」そして提案「中原の虹」

2018年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 御徒町に最近できた上野トーホーシネマズ。久しぶりに映画でも見ようってんで、土曜日の朝っぱら早くから「コンビニ」で買った握り飯と、最近はまっている「麦茶ラテ」をリュックにしょっ担いで出かける。

  目当ては外国のカンヌ映画「〇△賞」というテエヘンな賞をいただいたという「万引き家族」だ。巷の話題のかけらでも吸っとかねぇと、世間様から置いてけぼりにされちゃあ情けねぇてなことだ。

 荒筋は、 様々で厄介な体験を持った得体の知れねえ5人プラス1人の偽装家族(共同体?)が繰り広げるドラマてぇ設定だ。幼児虐待など世の中の底辺を語っているようだが、あまりにもアッケらかんとして悲壮感が見えちゃねぇが、そういう意図だろう。

  まあ、現実的でない点は鼻っから織り込み済みとのことだろう。外国人受けのする造りだ。

 翌週。ハリウッドなど金のかかった映画がとっても好きなオジンとしては、主義を替えて金のかかっていない日本映画て池井戸潤の「空飛ぶタイヤ」を観た。たまたま最近、池井戸潤と浅田次郎の小説で読む本も無い時、新刊の単行本が出るのを待つ間に再読していた小説だ。「空飛ぶタイヤ」は、三菱自動車のリコール隠しを題材としたノンフィクション、長瀬も案外と役者だのうと感心しつつストーリーも原作をうまく表現している。

 たまには、宇宙戦争ロボット戦記、恐竜のハリウッドから暫しオサラバし、人間ドラマや社会問題映画もいいものだ。

 映画界に期待はしちゃあいねぇが「提案」だ!!。浅田次郎の全四巻の大長編小説「中原の虹」を映画化してくれろ。満州馬賊「張作霖」と日本を含めた諸外国の草刈り場とにった滅びゆく西大后「清国」を描いた小説だ。これを日中合作で映画化すると面白ぇ。 日本の満州政策と日中戦争の一端を小説で暴いている・・原作どおりなら中国共産党は乗ってくるぜ!!

 てめえの親父は、都合二回の招集で満州に従軍していたとは聞いている。今となれば残念だが、その時のことは息子の俺に話さないままに、あの世に逝っちまった。外国と違って日本の歴史教育。特に近代史はが学校では教えたがらねぇ!! ガキの頃から明治以降、特に大正・昭和初期あたりに来るとの時間切れハイサヨナラで卒業が通り相場だ。特に昭和の前半はまったくで余程教えたくねぇんだろう。縄文・弥生、藤原・足利、後醍醐、後白河よりも余程大事だとは思うがねぇ。

 危ない安部ちゃん、学校から歴史の時間も選択制にして無くそうという魂胆見え見えの昨今、近世歴史音痴の日本人には、中国、朝鮮半島、ロシア問題など冷静に判断するには、いい勉強になるてぇもんだ・・

 ところで、オジンが浅田次郎のイチオシは何だといえば明治・大正・昭和初期が舞台の「天切松闇語り」。最高傑作は「中原の虹」だとは思っている。そして、今回の語り口は「天切松」風にしてみた・・趣向。

 さて、次は「焼肉ドラゴン」で浪花の下町物語にするか・・・

 


「越後長野温泉」と「弥彦神社」、日本海の「寺泊」

2018年05月29日 | 露天風呂と地酒の旅

 連休明けに洟垂れの頃の仲間7名と恒例の「地酒と秘湯の旅」。今回は新潟は日本海に近い燕三条まで新幹線で行き、山側にバスで40分ばかり走った先の「越後長野温泉」である。この温泉は、ビューの「地温泉」企画で一つで塩化物泉の一軒宿「嵐渓荘」。信濃川の支流である五十嵐川の更に支流、守門岳を源流とする「守門川」の川沿いに佇む国有形文化財の宿である。

 今回は、地温泉企画に申し込むも予約できず直接予約となった。あにはかららんや、幸運にも国有形文化財の部屋二室に泊まれることとなり、川面のせせらぎを聞きながら落ち着いた旅の宿の雰囲気を満喫することとなった。

 東京駅からの上越新幹線、車内に着くや否やビールで乾杯しつつ、燕三条に昼前に到着。近くのイオン隣の蕎麦屋「小嶋屋総本店」に入る。ここは地元の蕎麦屋でも人気店だそうだ。12時前だというのに既に予約客以外は満席。席に付き、まずは酒の肴として天ぷらや玉子焼きを注文しビールと「八海山」で乾杯。へぎ蕎麦も肴に送迎バスまでの時間潰し。やや大ぶりの一口サイズに盛られた蕎麦は、つるっとした感触が「へぎ蕎麦」特有のたまらない食感。酒との相性もすこぶる良く実に旨いの一言。

 送迎バスまではたっぷり時間があり、隣接する「イオン」で宿飲みの地酒を仕入れ、近くの「燕三条地場産業センター」へと向かう。世界に誇る「職人の街」燕市の金属加工品の見物と一日早い土産品購入。爪切り、はさみ、おろし金など。さすがに包丁を買う輩はいなかった。以前センターで「スワダの爪切り」を購入し今でもよく切れて重宝している。駅前発の送迎バスに向かう途中、告示前だが、女性知事候補の演説に出会う。いまいち盛り上がっていない前知事の女性問題突然の県知事選挙の舞台でもあるが、原発再稼働と前知事の女性問題を同等に争点にする選挙は、なにかロジックが可笑しいと思いつつ再生エネルギー派としてエールを送る。

 駅前ロータリーから宿の送迎バスに乗り信濃川の支流の五十嵐川沿いに約40分走る。ハヤブサが生息する名勝の断崖「八木鼻」を横に見て五十嵐川の支流「守門川」沿いに曲がり越後長野温泉の一軒宿「嵐渓荘」に到着。国指定有形文化財の三階建ての本館に落ち着く。貸し切りタイムに宿の自慢の別棟の深湯と、露天の塩化物泉の風呂に入る。こじんまりとしているが野趣あふれる露天風呂である。30分限定なのでいまいち落ち着けない。

 夕食は、別棟の広い宴会場に我々だけで、座敷の真ん中に料理膳がおかれている。料理は自分の知る限りの山菜をそれぞれに趣向を凝らした料理のアラカルト。宿の提供する日本酒は地酒の「五十嵐川」を注文し山菜料理を堪能する。ヤマメの焼き魚、越後牛のステーキでとどめ。半端じゃない満腹感である。

  部屋に戻り、三条市唯一の酒造であり三年連続金賞を受賞している「福顔酒造」の地酒「吟醸 五十嵐川」,特別純米 福顔を部屋で飲む。五十嵐川の伏流水で仕込んだ酒はしっかりして爽やかな酒である。夜遅くまでオジン達はスマホ談議で盛り上がるが、スマホ談議の中身は、超初心者の域を出ていない。ブログ歴20年のオジンも含めて最近のSNSは当分は危険と確信した。

 翌朝、ブラリ散歩は八木鼻に向かってのウォーキング。行き止まりの市道の割りには地元の車の往来がある。どれもフル新聞を積んでいるので資源ごみの回収日であることがわかる。途中のでも子供たちが回収作業を手伝い、朝もやの中、意気揚々と軽トラの荷台に乗っていく。近くの集落の集荷場所へと行くのだろう。八木鼻へと向かう道の右手奥には烏帽子山が残雪を少し残し佇んでいる。田植えの終わった田んぼの水面に烏帽子山や八木鼻が映り込んでいる様は静かで美しい。

 朝餉も山菜料理がメインのご馳走である。食事の後、川辺に立ち守門川の美しい流れに暫し時を忘れる。

 宿に別れを告げ送迎バスで燕三条駅へ戻る。到着するなり8人乗り駅レンタカーで日本海に面した寺泊へ直行。寺泊に到着と同時に人気のランチスポット「海風亭 寺泊日本海 」に滑り込みギリギリ7名の個室を確保する。数量限定で人気の刺身ランチをゲットした。天気予報通りの雨が降り始めた。観光客で賑やかな寺泊の魚市場の見物と買い物もソコソコに「弥彦神社」へと向かう。

  先人の偉業である巨大な放水路である「分水」沿いに走ること20~30分で「弥彦神社」へ。小雨そぼ降る「弥彦神社」の駐車場から深緑の大鳥居をくぐり、樹齢百有余年の杉の並木を本殿へと向かう。三回目の訪問ではあるが、小雨の中の参道の杉並木にはただならぬ霊気を醸しだしている。深緑の弥彦山を背景にした本殿では、「二礼 四拍手 一礼」の出雲大社式の拝礼。今までは仕事で時間が無く寄ることができなかった「宝物館」、仲間からの誘いもあり初めて入る。宝物館には、絵画や5mはある寄贈の長刀、二階には約200人の歴代天皇の肖像画(佐川清寄贈)が展示されている。それにしても歴代200人の天皇陛下の肖像画を見て(拝謁か!!)、女帝の多さに驚く。男女同権、現代にこそ女帝の価値を改めて問いたい。

 燕三条への帰り道、弥彦町役場の近くにある「日本一の大鳥居」をコンビニ側の裏側から見物。コンクリート造りだがスケールの大きさには圧倒される。7~8年前、燕市に新潟営業所を開設したときにも、その大きさに驚いたものだ。予定の新幹線のいい時間に燕三条駅に到着する。新幹線内では運転の呪縛から解放されて、宿で飲み残した地酒を車内で空にする。

 来年も仲間と秘湯・地酒の旅続けられるといいが・・・

 

 


五十年の水業界とのお別れは「八重洲」の裏路地

2018年05月08日 | 居酒屋

 既に新緑の五月も終わろうとし梅雨に入ろうとしている。いろいろありすぎて書きかけのブログが多くなってしまった。という事でボケ防止もありボツボツと再開することとした。

  まずは、人生の大きなイベントのひとつ、4年間勤めた「丸の内」の職場を退職した。学校卒業後、爾来50年の水業界からの退職でもある。「丸の内」の職場は、東京駅日本橋口に面したビルにあり自宅から歩って通える極めて便利なところだった。学校を卒業し、日本列島改造と高度成長に沸き立つ時代、水理計算が一番苦手な「オジン」が就職した先は思いもよらず水稼業。本来の専門の土木屋から情報処理、営業、施設の管理などなど。中小企業へ転職後で約7年、大企業にM&Aされ三度目の職場の4年間を最期に、足掛け50年弱に及ぶ水稼業ともお別れであった

 お別れの際のお決まりは送別会。有難いことに3月末から4月初めにかけて八重洲の街を中心の送別会。本ブログ名の「今日も駅前」の店は八重洲中心となった。大人数や少人数に対応した海鮮個室 鮮や一夜 八重洲店」。分かりにくいビルの狭いエレベータを上がった6階、中は全室個室で魚料理中心の店でプレミアム飲み放題だと「一ノ蔵」、「玉乃光」の純米酒もそこそこ充実している。送別会の定番ではあるが恥ずかしながらの花束を頂く。少し恥ずかしいが今回は家族へ感謝を篭めてしっかりともって帰る。二次会は大人数故にチェーン店「塚田農場」。塚田農場をそこそこに、皆から別れて水戸方面の特急で帰る同じ花束を抱いた仲間と東京駅内のほろよい横丁「蕎麦・いろり庵」へ。日本酒に塩辛と天ぷらで退職後のあれやこれやで語り合う。お爺にはにあっている。

 二日後に別グループが開いてくれた送別会。小さな個室が多い越後酒房 八海山」、こじんまりとして使い勝手がよい。個室の椅子席で6人で八海山」など新潟の酒が中心で越後の酒の代表的な銘酒が揃っているプレミアム飲み放題を注文。オジンのつまらない日本酒の薀蓄を我慢して聞いてもらいつつ越後の酒中心に楽しいひと時を過ごした。ここでは花束の代わりにオジンの名前をラベルにした「純米吟醸 〇〇郎」の化粧箱入り四合瓶を頂く。心遣いに頭が下がる。一人で飲むには勿体ないが一人飲むのも芸がないと、翌週には近所の行き着けの飲み屋での飲み会に持ち込みあっという間に無くなった。

  さて、年度も改まって平成30年度の4月中旬、そろそろ落ち着いたので丸の内の元同僚と久しぶりの飲み会をだいひょうてきやろうと八重洲の路地裏「小樽」へ。「小樽」は料理は豊富で酒の種類も多く、しかも低価格で退社時刻早くか予約がないと中々入れない人気店である。壁のメニューのホタルいかの沖漬に目が行き、まずは生ビールと沖漬けを注文。路地裏で目ただない店だがメニューが豊富で酒もそんなには安くはないが旨い酒がそろっている。壁一面の単品メニューでも皆でつつける量はある。酒もそろっていていい店である。

 何れにしても、暫くは世話になった八重洲とはお別れとなるだろう。これからは虎ノ門が本拠となるが、体のことを思えば少し控えることとするかと考えている今である。

 

  


目黒川花見⇒代官山⇒渋谷桜まつり

2018年03月24日 | まち歩き

 今年は桜の開花が早い。おそらく三月末までは持たないだろうとリュックを背負ってのウォーキングを思いつく。てなもんで、まずは秋葉原から日比谷線で乗り換えなしの中目黒へ。何の根拠か分からねぇが都内ナンバー1と言われている目黒川の桜並木に敬意を表して見参。

 混雑する中目黒駅を抜けると人込みを分け入り目黒川に到達。八分咲きの桜が目黒川を覆っている。昔の目黒川はドブ臭くて叶わなかったが、下水処理場が整備され処理水が清流として流れている。桜見物のおば様達が「まあ~目黒川の水てキレイだわ( ^^)~~」との感想。東京都下水道局の皆さんに感謝!!。今の目黒川沿いには洒落た店は多いが、桜の季節だけか商売っ気が多くて今いち垢抜けしてない。

 

 帰りは「代官山」から渋谷ヘと思い、目黒川の途中から早めに代官山方面へと向かう。スマホの地図ソフトを頼りに代官山駅へと向かうが、不規則な地形と路地の洒落たブティックに目を奪われて肝心の駅にたどり着けない。咽も乾いた。コンビニのテラスで外人さんの隣でカフェラテを飲みながら今いる場所をスマホで確認。渋谷を目指してウォーキング再開、20分後に桜通りに到達。六分咲きの桜通りを通り抜け久しぶりの渋谷駅へ到着し目黒の花見は終了。

 さて、次のターゲットは何処に?  スカイツリーと隅田川、門前仲町の川からの花見、ドライブで権現堂・・・

 

 


「空飛ぶタイヤ」と新宿御苑の「ユリノキ」

2018年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

  休日の昼下りウォーキング、神田駅近くの喫茶店で、昨夜購入した浅田次郎の現体験と言われてる「ブラック アンド ホワイト」を読み始める。最近は池井戸潤浅田次郎の小説を交互に読むのが習いになってしまったようだ。粗筋もうろ覚えの小説も多く、再読、再々読でも新鮮なトキメキ。書店で自宅にあるのも忘れ再購入もしばしば。両人の小説は、流れるようなストーリー性と人物設定の旨さ、そして社会性に嵌まったようだ。両人の作品はストーリーの面白さ故にドラマや映画に度々取り上げられヒット作品も多い。近々、池井戸作品の「空飛ぶタイヤ」が映画化するという。大型トラックのタイヤ脱落で、親子の死亡事故原因を巡って中小運送業社長が大手自動車メーカーを相手に戦う物語である。

  読書中、ふと新宿御苑の「ユリノキ」が見たくなり新宿へと向かう。このユリノキは明治初頭に北米から持ち込まれた外来樹で新宿御苑に初めて植えられた。その後、「上野国立博物館」の前庭や「迎賓館」の正面の並木に使われている。成長が早く通直で巨木となり、それぞれにシンボルツリーにもなっている。おまけに花時には、チューリップのような花弁にたっぷりの蜜をため養蜂家にとっては貴重な木だとのこと。

 何故、ユリノキかというと、山に「苗木を植えて10年後くらいにハチ蜜を取る!」という気の遠くなる話なのである。果たして生き永らえて己れが植えたユリノキからの蜂蜜を食する至福に会えたらとの夢である。


神田「は満寿司」、秋葉原「真澄」で新年会

2018年02月04日 | 居酒屋

  地元仲間との新年会は、神田駅北口近くのガード下にある「は満寿司」。間口は狭いが一階にはカウンターとテーブル席が二つ、二階も20人近くの宴会ができるという部屋があるという。こじんまりとした江戸前のすし居酒屋である。

  既に暗くなりつつある土曜の午後5時に店に集合。仲間6人が漸く集まったのが5時半過ぎ、爺さんになれば時間も多少ルーズになるのは致し方ないか。料理と酒は飲み放題のおまかせ。テーブル狭しと刺身、揚げ物、あん肝などの料理は酒の肴には十分な量である。酒はビール、焼酎、ハイボール、日本酒は「菊正宗」の常温か燗酒の一種類のみである。最近、こういった昔ながらの酒の出し方を出す店は少ない。最近の飲み屋は、純米だ吟醸だと銘柄いろいろと用意してあるのが主流。下町のすし屋は、飲み物は燗か常温、あくまでも肴が主役で酒はわき役との役割分担は地酒ブームの前からお決まりのこと。昔ながらの寿司屋が神田駅ガード下に今も生きている。

「二世宰相達の庶民達の鈍感な政治感覚に「ああでもない、こうでもない」と年寄りの話題あっと言う間の二時間半。一人4千円で酒と寿司で腹いっぱいになって大満足。腹ごなしも兼ねて河岸を変え秋葉原のガード下「酒造 真澄」に移動。JRのガードの耐震工事で、暫くは神田駅東口のガード下に移転していたが、昨年秋に秋葉原の元のガーと下に戻った。真澄では「真澄 あらばしり」の四合瓶を注文。スッキリとした尖ったあらばしりの吞み口は相変わらず大好きである。

 


朝獲れの「若鹿」のお味は

2017年12月31日 | ジビエ

 年末のこと 山の仕事の打ち合わせのため東京から群馬に向かっていた。新幹線でボケ防止のナンプレに興じていた時、携帯に前日に仕掛けた罠に鹿がかかったとの連絡が入る。前日仕掛けた初めての罠、獲物猟友会のTさんに仕留めをお願いしたとのこと。打ち合わせ現場に着くと、すでに職員が血抜きとブロックへの切り分け作業の真っ最中。山でTさんが素早く解体し、食べれるところとそうでないところを切り分けてくれたうだ。一頭の1/5くらいしか食べるところはない。残りは山へ放っておけばイノシシや熊や野犬などが始末してくるとのこと。穴を掘って埋めるには労力や時間がない。部位ごとの切り分け作業は初めての経験、血抜きや部位の切り分けなどの処理は意外と時間がかかる。

 獲った鹿は雌の若鹿、猟としては繁殖抑制を考えれば文句はない。雄は替わりがあるので効果は薄い。今回は猟の免許を取って初めての罠猟。かけた翌日にかかるとはビジナーズラックか、はてまた相当数の鹿がいるのか。しばらくは、罠猟からは目が離せない。

 午前中の打ち合わせも終わり午後からの打ち合わせに下仁田へ。高崎の山から峠越えの下仁田での打ち合わせも終わり、山の事務所に戻ったのがすっかり暗くなった6時近く。山から下りてきた職員と暫しの猟談義、都内へ帰るオジンに獲ったばかりの鹿肉を分けてくれた。

 猟友会のTさんからはレバーは今日中に焼いて食えとの教えがあり、新幹線車中からアキバの飲み屋の親父にニラを用意してくれと電話。着いてから早速、店の親父と用意してもらったニラと獲れたての鹿肉でレバニラ炒めで乾杯。残りの鹿肉は3日後の仲間の集まりで鹿肉を出してもらう。新鮮な鹿肉は焼いても柔らかく臭みも全く感じさせない、実に美味であった。大いに盛り上がったの当然、仕留めてもらった猟友会幹部のTさんの素早い熟練の肉の捌き方によるものと感謝!!

 現在、群馬県では獣肉は放射能検査、食肉加工施設などの手続きが遅れていると聞く。そのため飲食店では食材として販売・提供できない状態。店で出す場合は、メニューには載せずに個人的な仲間内での無償提供が前提だとのこと。店には手間をかけて悪いが、むしろ面倒臭くなくていい。処理しきれないくらい捕獲すると本業の仕事に差し支えるので、ほどほどが良いと思う。


福島・高湯温泉と地酒の旅

2017年12月23日 | 露天風呂と地酒の旅

   大晦日の本日、遅くなりましたが、漸く暇ができて12月初の「温泉と地酒の旅」をアップします。アキバの地元仲間と日本の名湯の一つ福島県の高湯温泉に出かける。東京駅から新幹線で福島まで二時間弱。長くも短くもなく飲みすぎない丁度いい乗車時間である。福島駅に着き、まずは宿で飲む地酒を確保するため「きしなみ酒店」へと向かう。10年数前に「野地温泉」に同じメンバーと行った時も地酒を購入した酒店である。小さい店だが置いてある酒は地元ならではの旨い酒がずらりと揃っている。「奈良萬」、「壺中春」など福島の珠玉の酒が新聞紙にくるんで保存ケースの中に鎮座している姿はその時のままだ。前記の生酒と「純米 いい、あんばい」を購入する。駅前の蕎麦屋「西口喜多屋」では、市バスの発車時刻まで石臼で挽いた二八蕎麦やそば味噌の肴に店の地酒「奥の松」で時間を潰す。

 送迎バスを使わずに高湯温泉行の市バスで約40分の旅。スカイラインの入り口からすぐの「玉子湯」で降りるはずだったが全員がバスのブザーを鳴らすのを忘れ、次の停留所「あったか湯」で慌てて降りた。もともと宿の送迎を使わずに早めの市バスにしたのは、早めに宿に着きチェックインまでの時こ、この「あったか湯」に歩いてる入るためのこと。結局、入湯の後は「玉子湯」までは下り坂、結果オーライとなった。源泉からでるこの湯は乳青色で高湯温泉そのもののだ。ここ高湯温泉は斎藤茂吉がこよなく愛した温泉、茂吉の文献や紹介に力をいれている。

  ひと風呂浴びた後は、スカイラインを緩やかな下り道を手前のバス停「玉子湯」へ。高湯温泉他では大きな温泉旅館である「玉子湯」は開湯150年、自家噴泉が二か所あり宿の裏の小屋掛けから透明な源泉がボコボコと湧き出て湯屋へと木樋で導かれている。木樋は硫黄分が付着し見事な乳黄色、

 野天岩風呂の「天翔の湯」、「天渓の湯」は男女入れ替えだが、いずれもダイナミックな拵えと露天風呂の広さと開放感がある。源泉も風呂に注がれると青味が強くなり温度も適温、体に優しい上に解放感溢れいつまでも入っていたい気分になる。今回はすべての風呂も入る予定なのでいつまでも浸りたいが長湯は禁物と出て、この旅館の起源の自慢の「玉子湯」へ。

 旅館の裏手にあるこじんまりとした萱ぶきの湯屋「玉子湯」は、湯治場の雰囲気満載で脱衣所が湯船の脇にあり歴史と湯屋風情が満喫できる。この日は、本館内の風呂も入り、計四か所の湯に入り温泉三昧に浸った。夕食までの小一時間、部屋では福島市内で買い求めた「ひやおろし奈良萬 生酒」でスロースタート。 夕食は個室に案内され、しばし小宴。

  翌朝、野天風呂と入り残した内湯に漬かった後、送迎バスの時間まで宿の裏手の「高湯神社」へ。宿裏手の雪の山道を買ったばかりのスノーシューズで神社へと向かう。静謐なすがすがしい山道に気が洗われる。人気のない山道、足跡からは今朝は誰も来た形跡は見当たらない。「高湯・玉子湯神社」へとお参りし、宿の全景を見ながら山道を戻る。

  送りの送迎バスは宿泊客で満員、補助席をだしてなんとか出発する。福島駅に到着後すぐに駅レンタカーに直行し、七人乗りのワンボックスカーで二本松へと出発。二本松は、仲間の一人H君の父親の郷里と聞く。郡山と福島の間にあり、なかなか訪れる機会がなかったところだ。二本松の「霞が城」が目的地である。市内で人気の蕎麦屋の「鈴石屋」で昼食をとる。

 

 「二本松城」、別名「霞ケ城」は白河の丹羽光重公が二本松藩に移封されたときに築城。その後、戊辰戦争により官軍の総攻撃にあい落城。その際、板垣退助の官軍に対置した主力軍不在の12歳から17歳の少年兵の悲劇は「二本松少年隊」として語り繋がれている。現在、城は国史跡で「県立霞が城公園」となっている。昭和57年に箕輪門が復元されたが天守閣はいまだ復元されていないが、つづら織りの道と高く聳える石垣と見事な黒松が素晴らしい城跡である。天守跡へは上り坂を小半時の上り坂を汗を流す。途中、「日本の三井」と言われる、鎌倉の「星影の井」、印西の「星影の井」と、ここ二本松の「日陰の井」を見て、もう限界かと思われる頃突如として天守跡が現れる。澄み切った青空のもと安達太良連峰が眼前にして、天守跡の広場で暫し休憩、景色に見とれる。

 帰り道、二本松から下道の国道で福島駅へ向かってドライブ。途中や市内も震災の名残りは見当たらない。表向きの復興は進んでいるようだが、やや店のシャッターが気にかかる。近いうちに、福島の温泉と酒を求め、また訪れようと思う。




住吉の老舗居酒屋と錦糸町馬刺し

2017年11月24日 | 居酒屋

 半蔵門線と都営新宿線が交差する「住吉」は、昔から下町風情の色濃く残る地区である。その住吉に昔から地域に親しまれてきた老舗居酒屋の「山城屋酒場」がある。同じ年の昔の職場仲間と会おうということになり、「虎ノ門」、「新宿」の職場から二人、もう一人は住まいは千葉だが、当日は下町散策で門前仲町、清澄白河などをぶらついての合流。

 山城屋酒場前で待つこと数分、開店一番乗り。店幅全体をカバーする大暖簾と引き戸を開けるとL字の大カウンター。左はじから三人座り、まずは「もつ煮」と生ビールで久しぶりの邂逅に乾杯する。吉田類などその筋の名士も立ち寄る店はメニューも豊富で価格も安い。刺身の盛り合わせやトロ刺し、串焼きで酒も弾む。古希を過ぎても仕事は現役。仲間のいずれも来年以降も職場続行は決定済み、年金減額でも働けるうちは働くという「安部ちゃん泣いて喜ぶ殊勝(首相)な心意気」。

  千葉の仲間は趣味の単独行での山歩き。先日は群馬の山歩きのため、深夜に車を走らせ麓に到着後、若い連中でも大変な二日掛かりのコースを単独行で一日で走破。そして夜の高速を千葉まで取って返すという荒行をやってのけた。感心を通り越し、古希を過ぎた爺さんのやることかと呆れて物が言えない。山城屋酒場も6時過ぎるとボチボチカウンターは満席近くなってきた。カウンタ席の奥はテーブル席があり4人以上の客のために開けてあるようだ。気が付くと二時間余、ホッピーやハイボール、酎ハイで話が弾みそろそろ次のお客に席を譲ることとする。

  二次会はタクシーで一駅、錦糸町のJRA中央競馬会裏の馬刺屋「ち馬」。競走馬には申し訳ないが、モモ、ヒレ、コウネ、タテガミ、フタエゴ、タンなどの「馬刺し盛り」を注文。個人的には脂身があり噛み応えがあるコウネが好きである。馬の部位の名札を見ながら馬刺と店自慢の馬レバテキで燗酒を酌み交わす。馬で精力を付け??締めのラーメンと店を後にして「錦糸町」から総武線で家と反対方向の「平井」へと向かう。

   平井の駅から2~3分の「やなか草」は、東京ラーメンの王道「ちばき屋系」の「醤油味」。オジンが大好きなラーメンでもある。閉店近く珍しく空いていた店に入ると栗の大木を挽いた自然の風合い豊かなカウンターの一枚板の長テーブルと素材感満点のテーブルのお出迎え。しばし、銘木とのふれあいにウットリする中、旨いラーメンと別注のメンマを肴に燗酒での三次会。醤油ラーメンの味を一層引きたてていた。