散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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シカルの井戸 / ナイジェの功

2015-07-06 09:53:42 | 日記

2015年7月5日(日)

 JC説教はシカルの井戸端、サマリアの女とイエスの例のやりとり、ヨハネ福音書4章1~26節である。これ自体、一幕ものの演劇脚本の味わいがある。

 サマリア人の女は、ユダヤ人であるイエスと相互疎外の関係にあり、しかも「不身持ちな女」としてサマリア人コミュニティの中で疎外されている。後者の疎外ゆえに炎天下の井戸にひとり水を汲みに来てイエスと出会い、前者の疎外を乗り越える縁(よすが)を与えられるというお膳立てが、既に相当にドラマチックである。そしてその後のやりとりの面白いこと。

 「私が誰だかわかっていたら、あなたの方から水を請うただろう」というイエスの挑発に、女が本気でかみついてくるのが、リアルであり痛々しくもある。所属しながら疎外されているサマリア人コミュニティの伝統において、女はイエスに反論する。

 汝は我らが父祖ヤコブよりも偉大なりというか、汝何者なりや・・・

 そのひたむきが、女をイエスに確実に結びつけていく。

 

 何度も読んだはずなのに、子どもたちに語ろうとして読み直すと必ず(必ず!)新しい発見がある。これが恵みというものだ。

 その一、女は水瓶を置き忘れたまま町へ駆け戻り、「メシアらしき男と出逢った」と人々に告げる。イエスの到来を告げ知らせる熱心が、疎外の垣をあっけなく乗り越えさせている。炎天下に人目を盗んで井戸に出かけていった女とは、既に別人格になっているともいえるが、何しろ「コミュニティからの疎外とコミュニティへの復帰」をこの箇所の大事なテーマと見ても間違いではないはずだ。

 その二、「ゲリジム山でもなければエルサレムでもない、生身の人間という『神殿』において内面的・霊的な礼拝を捧げる新時代が来ている」というイエスのメッセージは、宮清めの結句においてイエスが「三日で立て直してみせる」と宣言した、あの言葉と直接連続している。エレミヤの預言した「新しい契約」の成就を、ヨハネ福音書は繰り返し証言しているのである。

 ともかく一行一行が面白いんだよ。4章4節「しかし、サマリアを通らねばならなかった」・・・なぜ「ねばならなかった」なのか、とか、そこからしてね。

***

 夕食後の戯れに、次男と三男がアルジェリアとナイジェリアで言葉遊びしている。

 「アルジェリアの首都はアルジェ、ナイジェリアの首都はナイジェ」

 「それは、ないない」

 ふと思いついた。

 「アルジェリアの女性とナイジェリアの女性、奥さんにするならどっちがいい?」

 「・・・」

 「・・・」

 「ナイジェリアの女性に決まってるだろ、『ナイジェの功』っていうじゃないの」

 「?」

 「?」

 シラケ鳥が羽音高く飛びすぎた。しまった、スベったかと思ったらそうじゃないんだって。二人とも「内助の功」という言葉を知らなかったのである。

 親バカのようですが、彼らの語彙は今どきの同世代水準をはるかに上回っている。その二人が知らないということは、どうやら死語なのね。そりゃそうか、男女機会均等の時代だもんな。

 でもね、「機会均等」は掛け声倒れで進まず、良くも悪くも「内助の功」を果たしている女性は今でも多いのに、それを賞賛する言葉が先に廃れるのを進歩とは呼べないよ。

 古くて良いものも、新しくて良いものも、どちらも遠いという平和な日曜の晩でした。

 


眠い土曜日の覚醒ゼミ

2015-07-06 09:02:44 | 日記

2015年7月4日(土)・・・前後します。

 田舎で畑回りの仕事をしても、別にどこかが痛くなるということはないのだが、いつも後で困ることが二つある。

 ひとつは皮膚がかぶれやすいことで、それがあるから真夏でも長袖の古シャツで作業する。もっとも、百姓や職人は大概そうしているもので、嬉しそうに袖をまくるのは海水浴ならいざ知らず、野山の流儀ではない。それでも何かしら袖口から入り込んでくっついたものが、数日遅れて湿疹やら痒みやらを引き起こす。これが困る。

 もうひとつは、得も言われず心地よい疲労感が徐放剤の成分のように沁みだしてきて、その後1週間ほども眠くて仕方がない。寝ても寝てもまだ眠れる、10代の再来のような具合である。将来、田舎へ帰ったらどうなるんだろう。

 なので、眠い!だけど今日は、修士論文指導だったりする。

***

 今日の出席者は2名だけ、どちらも女性である。ゼミ生は全員で10人ほどもいるわけだから、今月はハザマ・・・などと失礼なことを考えていたら、結果から言うと非常に非常に活発で有意義だった。

 2人の取り合わせがちょっと面白い。お顔立がそんなに似ている訳ではないのだが、髪型を含む姿の全体が妙に似通っている。一学年違いで実は今日が初対面、挨拶を交わして分かったことが、Aさんは山梨出身で現在は千葉在住、Gさんは千葉出身で現在は山梨在住である。そして何よりも研究テーマ、Gさんは18世紀から19世紀のウィーンで精神病院の建設とそこへの患者収容が行われていったプロセスを丹念に追っており、Aさんは現在の日本における精神科長期在院患者をどうしたら減らせるか、考えようとしている。まるで互いを映し合う鏡のようである。

 歴史となれば、僕も熱が入る。日本の精神医療関連法の推移について、国際関係と関連づけながらAさんに講義。マジメで地頭(じあたま)の良さそうなAさんが、近代日本史の超基本事項や年号を理解していないことに考えさせられる。Aさんの咎というよりも、これが日本の教育の現状なのである。

「過去を知らないでは、未来を考えられませんよね」とGさん。

「その通りです。だから今の日本は、これまでにも増して過去を知ることが必要です。そのための教育環境を整えずに、選挙権だけを18歳に引き下げるのは、非常にアンバランスなことです。」

 むろん、偶発的なアンバランスではない。それをデザインしている者がある。だからこの小さなゼミも、一つの戦いなのだ。彼女らに歴史の重要性をとことん知ってもらうなら、その分だけ日本の社会の質が向上することになる。

 たまたま廊下を通りかかったO先生にお願いして、社会福祉の観点から即興の小レクチャーをしていただいた。元気者のW先生がガラス越しに笑顔を投げていく。すれ違うようにK先生が通る。これがコミュニティというものだ。web会議では足りない。集まって行うゼミでは必ず大小の事件が起きる。それこそが肝腎なのである。