散日拾遺

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TPPと林業の教訓

2015-07-07 12:30:18 | 日記

2015年7月7日(火)

 天が曇ると、織り姫・彦星のデートが叶わないと言ったりするが、そんなものでもあるまい。雲は地上の僕らを天から遮る。数十億の好奇の目が見あげていたんじゃ、年に一度の逢瀬が台無しでしょうよ。安心してお楽しみくださいませ。

 

 朝のラジオの時事解説、TPPについての懸念を述べる前振りで、日本の林業が事実上壊滅させられた経緯が語られた。日本は世界でも有数の山国であり、しかも山々は裸ではなく豊かな森林資源を備えている。ところが日本の木材の対外依存度は非常に高い。これはたとえば材木種に関する需要と供給のミスマッチといった自然な理由から生じたのではなく、きわめて人為的な操作、ハッキリ言えばアメリカの売り込み戦略に譲歩して政府が日本の林業を見限ったのが原因だという、思いっきり要約すればそういう話のようである。

 ことの起きたのは1964年頃で、輸入木材への関税の引き下げや、建築基準法の改定による2×4(ツーバイフォー)工法の導入などが一塊となって進められて云々。寝ぼけた頭でぼんやり聞いた話だから、随所に聞き間違いや誤解がありそうで検証を要する。ただ、アメリカであれどこであれ自国産品を有利に売り込むためには相当のことをするから、これと渡りあって自国産業を守るのが政府というものの役割、TPPが「世界史の必然であるグローバリズム」などとはアメリカの掲げる理屈、背後に存在する巨大なアメリカ・ローカリズムの得手勝手を、ちゃんと見極めて対処しなければという結句はしっかり聞いた。

 いつでも思い出すのが、かの悪辣な18~19世紀のイギリスである。イギリスの求めることはいつでも単純明快、表面だけ見れば至ってきれいで、グローバルな価値をもつかのようなものだった。要するに「自由貿易」である。障壁を撤廃して自由で公平な貿易を行い、その結果は市場における民衆の自由選択に委ねよということ、ただそれだけだ。しかし底意たるや明らかすぎるもので、この条件を獲得するためには戦争も辞さなかったことから、それがよくわかる。

 自由で公平な取引を行うなら、産業革命を終えたイギリスのもちこむ廉価な製品に、地元産品が太刀打ちできるはずがない。形式的な平等が、結果における極端な不平等を必然に帰結することを、イギリスは知っていた。だから結果を強いることなく、ただ形式的な平等だけを求めれば良かったのである。事実、インドでも中国でも伝統産業は壊滅的な打撃を受け、その効果は迅速に政治に波及した。「自由貿易帝国主義」というタームの言い当てている所以である。

 20~21世紀のアメリカが、それを踏襲しているといえば単純に過ぎるだろうし、状況ははるかに複雑化している。これを受けとめる周囲のほうも、イギリスが相手にした昔日のムガールや清朝ではない。TPPの理念の裏にある計算は十分見通している・・・はずですよね。アメリカについていけば悪いようにはならないと思っているらしい、どこかの島国を別にすれば。


苦難

2015-07-07 10:02:41 | 日記

2015年7月6日(月)

 全国キリスト教障害者団体協議会というものがある。その名の通り、各地に存在するキリスト教主義の障害者団体の全国組織である。昨秋、埼玉の教会で話をさせてもらったのが縁になり、東京で開かれる今年度の総会初日で講師役を拝命した。それが今午後である。

 会場で配布された資料を見直して、昨年はわが郷里の松山で総会が行われたことを知った。近藤先生が二日にわたって講師をつとめられ、案の定、開会礼拝は小島先生である。そのあたりのことを認識していたら少々緊張も募ったかもしれないが、いつものぼんやりで見れども見ていなかったのである。

 例年70~80名も集まる総会に、今年は欠席やキャンセルが相次ぎ30名そこそこの参加者となった由。講師の不人気ゆえではないと主催者が請け合ってくれる。メンバーの高齢化が進み、それぞれの障害の進行もあって、遠方の会への参加が皆、困難になっているのである。それでも、長野、岡山、広島といった地域から多くが集っている。肢体・視覚・聴覚の障害をかかえた当事者、その支援にあたる人々、参加が貴重である。

 それを想像して、冒頭の挨拶は少し前から決めていた。

 「見よ、兄弟が共に座っている / なんという恵み、なんという喜び

 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り / 衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り

 ヘルモンにおく露のように / シオンの山々に滴り落ちる

 シオンで、主は布告された / 祝福と、とこしえの命を」

 (詩編133)

 新共同訳で「共に」と訳された言葉は、口語訳では「和合して」、文語訳では「相睦みて」とされた言葉である。かつて小島先生がこの箇所で一文をものされ、「もともと仲の良いものばかりを『兄弟』と呼ぶのではない、仲違いしているもの、立場を異にするもの、それらすべてが主の食卓を兄弟としてともに囲むのだ」と説いた。

 今日の光でこの句を見れば、共に座っているものの中には当然ながら各種の障害をもつものがあり、その家族があり、そして健常者があったのである。昨年の小島先生のお働きを知らぬままに、このことを紹介して話を始めた。

 といって、何か大したことを話したのでもない。精神の障害に関しては、皆の関心事であるけれどこの場の参加者は少ないように見える。それで少しく情報提供のようなことをした。後半では、精神病者監護法に始まるわが国の法制度の沿革について、思わず熱弁を振るってしまった。「弱いところに働く力」というタイトルなのに、弱さを恵みと受けとめることのできない僕らの国の過去と現在について、悲憤慷慨するような話になった。いつまで経っても、青臭い書生気質が抜けないのである。

 それでも、上梓したばかりの『パラダイム・ロスト』を示しつつ、スティグマの話をできたのは何かの益にはなったのである。反スティグマの淵源は、当然ながら教会に求められるものである。どんな子にも門を閉ざさないことを身上として幼稚園を運営してこられた I 牧師が、教育の世界でスティグマがむしろ強化されつつある現状について、負けずに熱っぽく話してくださった。

 

 それよりも、夜の部の証(あかし)で打ちのめされる経験をした。証を担当なさったのは、牧師夫人として出発し、今では御自分が牧師として集会(教会)を主宰なさるY先生である。五男一女の母であるY先生の末の息子さんが、ある年の降誕節に交通事故に遭った。予備校へ自転車で出かける途上、「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」自動車にはねられ、頭部に重傷を負ったのである。医師の予測を裏切って一命をとりとめたが、重い障害が後に遺った。その後の歩みを、感情を抑え事実に語らせる形で、30分にわたって聞かせてくださった。

 自分の話が、いかにも薄っぺらいものに思えた。というより、薄っぺらいものだったのだ。証の間ずっと、高2の三男がY先生の御子息に重なっていた。苦難がなぜあるのか、その苦難がなぜその人を襲うのか、いつになってもわからず納得できない。しかしいつの頃からか、この人々が自分(ら)の代わりにそれを負ってくれているという観念が、証明不要の公理のように脳裡に定着している。この人々の口から出るとき、自身もおそらくは厄介な障害を負っていた使徒パウロのあの言葉が、常とは違う力を帯びて響くのである。

 「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っている。」(ローマ人への手紙 8:28)

 万事が益となる・・・愛息の事故も、その障害さえも。

 勇気ある人々に、恵みと祝福がありますように。