散日拾遺

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孤独死 / Aクリニックへの行き帰り / 責任

2015-07-08 07:52:40 | 日記

2015年7月8日(水)

 単独で生活している高齢者の男女比を見れば、女性の方がハッキリ多い。高齢者そのものに女性が多いのだから、当然である。ところが、孤独死のケースに限って男女比を見ると、7対3で男性が多いという。象徴的である。

 「孤独死とは孤独生の問題である」という例の公式をここに当てはめれば、「独居者は女性に多いが、孤独な者は男性に多い」ということになる。

 あらためて、性とは何だろう、男性とは何者だろう?

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 A君のクリニックで診療にあたる。精神疾患の問題と生活の問題と、これは数の比で表しにくいが、それこそ印象としては7対3ぐらいだろうか。例の氷山の比喩で、水面上が精神症状、水面下が生活の苦労と言ってもいいかもしれない。僕らの社会が豊かであるという実感が、到底もてない。

 診療後はいつものように、A君が夕飯をごちそうしてくれる。スポーツマンで特にサッカー好きのA君だから、まずは「なでしこ」の戦いぶりから入り、アメリカのサッカー熱に話が広がる。御子息がデンバー大学留学中で、秋からサッカー部入りが決まったとのこと。

 帰りの電車の中で『身体の零度』の続きを読む。あまりに面白いので、いつになくゆっくりじっくり読んでいる。著者の読書体験や幼少時の風景が、僕自身のそれと大いに重なるらしいのが嬉しい。『大地』『隠れた次元』『草枕』『三四郎』・・・むろん、論が進むにつれて僕の知らなかった世界が開かれていく。身体所作の話がものすごく面白い。齋藤孝が『身体感覚を取り戻す』でセンセーショナルに言挙げした周辺を、こだわりをもって緻密に論じ分けていく。剣道家のT君や相撲道のH君・O君にもぜひ勧めたい。こんな読書体験は久々で、S先生への感謝を新たにする。

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 帰宅し、メールをチェックして愕然。激しい憤りが湧いてくる。

 視聴者からの抗議のメールが転送されてきているのだが、メール発信の日付が何と4月20日である。抗議の内容自体は、僕の担当部分ではないけれども誤解に基づくもののようだ。さっそく担当者に連絡して善後策を協議する。誤解であるけれども、それを解くためには電話での説明はもとより、抗議者のもとへ出向いて説明することもやぶさかではないと担当講師。

 問題は2ヶ月半にわたる放置・遅滞である。担当者への問責の言葉が、いつになく激しくなった。これは「打ち過ぎ」ではないと信ずる。公共放送は巨大な力をもつ。それに傷つけられたと感じる人がある時には、個対個の場合とはまったく違った配慮が必要になる。それを理解しない者に、この職責を負う資格はない。

 

 そう、「より大きな危険を運営する者に、より大きな責任が生じる」という例の原則である。

 不適応学生であった僕が、法学部で学んだ数少ない金言だ。そして今日、すべての人々の共通認識(=常識)とされる必要のあることだ。

 項をあらためて書こう。