散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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「一行飛ばし」の続き ~ 恨みの記憶の世界標準

2015-07-15 12:05:15 | 日記

2015年7月15日(水)

 個々の日本人はさておき、集団としての日本人が迫害者への憎悪や怨嗟を「水に流す」淡泊さについては、ひょっとして世界的にも定評があるのではあるまいか。それは美徳のようであるけれども、ドイツと対照させて指摘される「歴史的視点の欠如」や「忘れっぽさ」と実は同根であるようにも思われる。寛容というよりも、過ぎたことに対して基本的に無関心なのである。赦したのではなく、忘れたのだ。あるいは意図的に忘れたのですらない、関心の外に去ったのだ。

 たぶん、日本以外の世界では、それは当たり前ではない。

 真珠湾の奇襲の「悪」について、アメリカならぬオーストラリアの首相が言及したのは21世紀に入ってからだ。例はいくらでも挙げられるが、最近ぎょっとさせられたのはイスラム国である。

 「日本人はアメリカに原爆を2発も落とされ国中を丸焼きにされたのに、なぜアメリカの戦争の片棒を担ぐのか?」

 と言うのである。日本人が「忘れた」ことを、彼らが覚えていてもち出してくるのだ。これにぎょっとさせられるには、二つの意味がある。

 ひとつは、そういわれて「そういえばそうだったかな」とこちらが妙に納得する恐ろしさである。自分自身がアメリカへの恨み辛みをよくよく自覚したうえでそれを克服したのなら、「その件は既に解決済み」と答えることができるだろう。しかし、父祖の嘗めた粒々辛苦をただ関心なく忘却しているだけだと、それが外からの刺激で活性化されることが十分あり得る。今後、日本の若者からイスラム国へ投じる者が出る場合、ひとつのパターンになりはしないかと思う。

 もうひとつは、そのようにも「忘れる」ことをしないイスラム国(というか、これが世界標準だと先程来言っているんだが)を敵に回してアメリカの腰巾着を続け、しかも今日の衆議院から始まる新たなスタイルでアメリカの援護射撃を続けた場合、決して忘れ去られることのない汚点が彼らの「日本」イメージに記されるだろうということだ。

 

 「1945年を境にして、日本の兵士に殺された人間が世界に一人も存在してこなかった」メリットを内田樹などが強調するのには、だから十分な理由がある。繰り返すが、かくも忘れるのが得意なのは日本人の特性であって、決して世界標準ではない。アメリカへの大きな「貸し」を不問に付してきたことは、我々の美徳とばかりはいえない。

 少々くどいけれど、この機会に再記しておく。


2015年7月15日

2015-07-15 08:33:11 | 日記

2015年7月15日(水)

 採決する?今日?

 本当に?

 

 昨日の強風ですっかり雲が吹き払われ、空は快晴である。34℃まで上がるが、夜半からは台風11号の接近で雨になるらしい。

 天気晴朗ナレドモ嵐(カゼ)近シ・・・


釜石艦砲射撃 / シロアムの園

2015-07-15 07:34:28 | 日記

2015年7月14日(火)

 巴里祭?

 いやさ、釜石が艦砲射撃で甚大な被害を出した日だ。1945年7月14日。

 その事実も、それがこの日であることも、今日初めて知った。忸怩たるものである。

 

 防空壕で2時間息をひそめ、出たときには街が焼亡し、夥しい遺体が散乱していたことを、語り部さんが高校生らに話している。その事実を「これまで知らなかった」と若者らが言い、不戦と平和の念をかき立てられる。貴い営みだと思う。

 ただ、いつものことながら、そこに一行が抜けているような気がしてならない。悲しみと必ず連れ立ってやってくるはずの、怒り、憤り、憎しみといったものである。さらに踏みこんで言うなら、加害者 ~ 砲撃の主体に対する憎悪であり怨嗟である。語り部さんに注文をつけるのではなく、ニュースを聞いて共有するこちら側の問題として言うことだ。空襲やら艦砲射撃やらの実情を知って、いきなり「不戦の誓い」に飛ぶのは僕には不自然に思われるし、だから腰が座らないのではないかとすら思う。生身の人間の本能的な反応は、糾弾であり報復であって不思議はないはずだ。

 今さらアメリカに対する敵意を煽ろうというのではない。そうではなくてね、赦しとか和解とかいったものには、キューブラー・ロスの死の受容ではないけれど、それなりのステップがあるはずだと思う。爆弾を落とした者、砲撃を加えた者に対する怒りや憎しみは、人間として自然な反応だ。それを踏まえて、初めて次のステップへ進むことになる。我々も中国で同じことをしたのではないか、これをも承知で戦争を決断したのは、少なくとも形式的には我々のほうではなかったか、等々。それやこれやの大きなループを経て、仕上がりが平和への祈りであり不戦の誓いである。当初の怒りが大きければ大きいほど、内省も自問も深いものになる。忍耐が要る。祈らずにはいられない。その末の赦し、謝罪、和解でなくては、所詮きれいごとを出ない、というより不自然・不誠実ではないかしら。何かが抑圧され、否認されている。

 日本はアメリカと戦争をした。アメリカは日本を焦土にし、膨大な数の非戦闘員を殺した。これらは事実であって、それを伏せる意味はさらにない。それを踏まえて何を決断するかは次の話である。しっかり決断したいから、まずは事実を明確にしたい。一行飛ばしをしないで直面していきたい。中国・韓国やアジア方面に向けても同じことである。

***

 公文和子ちゃんのケニア報告について、S姉がメールで詳しく教えてくださった。

 ずっと昔の教会学校での説教や、医学畑の人々に引き合わせたことなど、僕から受けとったことについても言及があったそうで、まったくもって汗顔の至りである。

 1983年から84年にかけての大雪の冬、御両親に連れられて教会にやってきた笑顔の少女は見慣れた制服を着ていた。その時分から彼女のエネルギーや行動力は群を抜いていた。僕はといえば、いろいろ思いつきはするが、そうした思いつきを実現する体力にも行動力にも欠けていて、いつでも何でも計画倒れだった。豊かな行動力と少しの勇気があったらやってみたいと思ったこと、それをはるかに超えることを和ちゃんが見事にやってのけつつある。脱帽である。

 

 シロアムの園、覚えてやってください。

 http://www.thegardenofsiloam.org/