散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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名古屋の地下鉄のことなど

2015-07-21 18:12:10 | 日記

2015年7月21日(火)

 勝沼さんより:

 『バラバ』は子どもの頃、日曜洋画劇場でやっていたのを見た記憶があります。子どもの頃のことなので、クライマックスの戦車の戦いのインパクトだけは覚えています。少年ジャンプの人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の戦車で戦うシーンの元ネタとして知ってる若者も多いかと思います。

 昔は色んな映画が地上波で放送されていた、いい時代でした。

 ・・・そうだったんだ、どうもありがとう!

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 名古屋の地下鉄。

 乗り込むときに駅員さんが、「ケータイは後にして、まず御乗車ください!」と声をかける。具体的かつタイミング良い教示で、これは名案だ。乗車後の客のマナーは、東京とちょぼちょぼかな、立たされている年寄りもあり、替わってもらえる年寄りもある。いきなり背中に荷物を押しつけられ、ふりかえれば本人はスマホに夢中というのは、東京都同じく随時頻繁。

 すべての線でかどうか分からないが、東山線ではドアの両側の目の高さあたりに小さな鏡が取り付けてあった。身だしなみチェックばかりでなく、挙措動作や心構えのセルフチェックを促すようで、しゃれたアイデアではないだろうか。「鏡」って端倪すべからざるものなんだよね。

 

 平日の地下鉄はけっこう混んでいる。長野の学生が少し遅れて到着した。

 「詰めればまだ乗れるのに、混んでくるとあっさり一台見送るのね、後ろから押しのけて乗るわけにもいかなくて」

 確かに同じ印象を僕ももった。乗り込んだ客がもう少し詰めれば良いのにと思うのと、混雑をきらって次を待つのんびりを好ましく思うのと、半々の気持ち。何しろ首都圏でも関西でも見ない風景で、名古屋のこういうところが僕は好きである。

 

 帰りの新幹線で隣りに座ったひとり旅の小学生、名古屋から新横浜までの間ぶっとおしで、脇目ふらずに両手でゲームを操作し続けている。川島の筆法では、この子の前頭前野は既に深刻に傷害されている恐れがあるだろう。ホットケーキ、めしあがれ!

 

 


久々に碁の話 ~ 銘琬ワールド讃仰

2015-07-21 06:33:09 | 日記

2015年7月21日(火)

 久しぶりに碁の話。

 王銘琬(おう・めいえん)九段は台湾出身、1961年生まれ。お目にかかってみると意外に背丈は小さいのだが、碁のスケールは素晴らしく大きい。風呂敷を広げて石の幅で勝負するという独特の打ち方を考案・実践し、サッカー用語になぞらえて「ゾーンプレス」と命名した。武宮宇宙流の次世代版ということになるんだろうか、宇宙流同様ヘボが真似するとあっという間に負けるけれど、御本尊はこれで本因坊2期、王座1期の実績を残している。趙善津(ちょう・そんじん)本因坊への2000年の挑戦手合いでは、第1局で立ち上がり早々シチョウアタリを見落とし、中央の種石を取られるという僕らみたいなポカをやった。二日制の碁が一日で終わってしまう珍事、59手での投了は挑戦手合史上最短記録だが、その後盛り返して本因坊を奪取したというからなおスゴい。なお、二日制の番碁が一日で終わった例は確か他にもあったはずで、そういうことをしでかす人柄たちが素敵である。

 銘琬さんの日本語はイントネーションよりもアクセントの強弱が目立ってちょっと楽しいが、それより楽しいのが『ゾーンプレス・パーク』という怪著である。編集者の仕掛けも奏功したか、食べかつ飲みながらの難解珍妙奔放至極な放言高言、深いようでデタラメなようで、気持ちが腐ったときはこれで笑うに限る、そんなお人である。

 

 銘琬さんにいくつかの名言がある。

 『碁は殴るか構えるか』

 これは一般向けに書かれた本のタイトルで、あまりにも見事に言いたいことを表しているから、御著そのものは買わずに終わった。碁は盤上の格闘技などといわれる。これをボクシングに喩えるなら、着手の意図は実際に殴る(=攻撃する)か、パンチの威力を増すために(あるいはパンチを防ぐために)構えるか、そのどちらかに尽きることになる。そのあたりの戦術的意図を明確にせよということに違いない。ついでに言うならプロや高段アマは「構え」に意を用い、また相手の構えから次のパンチを予測して未然の対応に余念ないのに対し、ヘボアマはろくに構えないでいきなり殴りかかっていく。たまたまヒットするのは僥倖というもので、大概はあっけなく的を外し、腰が伸びたところを逆襲される。長ドス振り回すヤクザのチャンバラと同じで、碁会所で少々勝てたところで上達はしませんよと言ってるのに違いない。

 何回か前のNHK杯解説で、横田茂昭九段が「攻めるときは自分の石の弱点に留意し、守るときは相手の石の弱点を衝くことを考える」と話しておられたが、これなどにも通じるところがあるかな。さらに書き留めておきたいのは、同じくNHK杯解説で銘琬さんが早口で語ったフレーズである。

 「攻めるというのは、価値の小さいところを相手に打たせるということ」

 なんだと。

 あ、と目からウロコ体験。ゾーンに入ってきた相手の石を豪快に攻めあげる銘琬流にして、この表現は実に聡明だ。解説を聞いてるとよくあるんだよね、「中に一手入れさせたことに満足」とか、「ダメ場を打たされるのは石を取られるよりつらいので、ここは反発」とか。この観点からすれば碁は石の効率を競うゲームで、これが僕らヘボアマに最も欠けた発想である。そう悟ったところですぐにヘボが治るわけでもないが、少なくとも打つのはずっと楽しくなるはずだ。

 

 などと嘯きながら、今日は愛知SCへゼミ指導に出かける。伊田篤史の十段獲得に加え、王景怡が女流トーナメントを制して意気あがる日本棋院中部総本部、白鵬・鶴竜・輝ノ富士の競り合いで興の高まる大相撲名古屋場所、暑い名古屋がいよいよ熱い。