散日拾遺

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6歳の頃

2016-09-12 08:06:46 | 日記

2016年9月12日

「思い出してごらん/5歳(いつつ)の頃を」 ・・・ 中島みゆき『5歳の頃』、これまた名曲。

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yoko 様

 再三のコメント、ありがとうございます。

> 私が、子供の頃に初めて「死生」を意識したのは、偶然にも先生と同じ6歳で、小学校に上がる前でした。

 拝見して、これはたぶん 「偶然」ではないのだろうと思いました。以前から気になっていたのですが、発達のある段階で「死生」に関する感度が急激に高まる時期があるのではないかと思います。そういう時期がなかったら、かえって不自然でしょう。例数を集めてみないと何もいえませんが、少なくとも私一例、yoko さん一例、あわせて二件の実例がここにあるわけです。そこからいろいろと考えてみても面白いのではないでしょうか。

 場当たり的な思いつきですが、この年齢が精神分析的な発達段階論で言えば、エディプス期から潜伏期への移行期にあたることも気になります。この時期に「死」をめぐる葛藤が急速に強まることにはたぶん必然的な理由があり、それが潜伏期(学童期)にいったん抑え込まれた後、思春期に至って再活性化するというプロセスは、生きる欲動全般の運命であるとともに、その裏返しとしての「死」への恐れにも当てはまることではないかと思うのです。

 思春期に備えて性教育を行うことは今ではひとつの「常識」になっているのでしょうが、同じく思春期に備えて死生観教育を提供するという観点が欠落していることは、今日までの教育の大きな欠陥ではないでしょうか。性教育が「生む」ことにまつわるモラルの問題だとすれば、これと対を為す「死ぬ」ことにまつわるモラル教育も、当然ながらたいせつな課題でしょう。

 昨日は自殺予防に関するNPO団体の集まりが東京であったらしく、そこで就活中の若者の自殺リスクが問題になったことをTVニュースで見ましたが、若者の自殺の根本的な予防を考えるなら、ターゲットとすべき年代はむしろ学童期ではないかと思います。

 以上、さしあたり根拠を欠いた思いつきであることを重ねて付記します。これから臨床心理を勉強なさる方には、ぜひ考えてみていただきたいことです。

 末筆ながら最近お父様を見送られた由、平安を心からお祈りいたします。

Ω

【yoko さんより第二信(抜粋)】

私が、子供の頃に初めて「死生」を意識したのは、偶然にも先生と同じ6歳で、小学校に上がる前でした。

その時は、上野の博物館で恐竜の化石展に連れて行ってもらった時でした。

暗幕の暗闇の中に浮かぶ、骨だけで姿を保っている恐竜。

その眩暈がするような壮大な時間の渦に呑み込まれてしまったんです。

今を生きている人間も生物も、死生の繰り返しの一部で、誰もそれに逆らえないのだなと感じ、何とも言えぬ気持ちになりました・・・。それこそ何度も悪夢を見たり;。