散日拾遺

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5月2日 トニー・ブレア、労働党政権を勝ち取る(1997年)

2024-05-02 03:56:16 | 日記
2024年5月2日(木)

> 1997年5月2日、イギリス労働党の若き党首トニー・ブレアは、659議席中419議席を獲得する大勝利をおさめ、18年ぶりに労働党政権を勝ち取った。
 ブレアは1953年にエディンバラに生まれ、オックスフォード大学を卒業後、父親と同じ法廷弁護士になった。1983年、労働党から出馬して下院に初当選。その後は87年「影のエネルギー担当大臣」、88年「影の雇用大臣」、92年「影の内相」と着々と党内の地位を駆け上っていき、1994年には、スミス前党首の急死を受け、労働党党首に就任した。
 41歳で党首となったブレアは、労働党の党綱領から産業国有化の方針を削除し、経済政策を自由市場経済に転換するなど、党の近代化に積極的に取り組み、党首就任の3年後に、20世紀で最も若い英国首相となったのである。
 2000年5月には、第四子の誕生に伴い育児休暇をとって話題になった。現役首相の子供誕生は、約150年ぶりの「快挙」だった。
 ブレアの演説のうまさには定評がある。論旨が鮮明で、なおかつ心情のこもった誠実な話し方は、立場を異にする人々からも評価されている。イラクへの英軍派遣を説明する演説の際、反戦の立場をとるミラー紙でさえ、ブレアの確固たる信念に貫かれた潔い態度を評価したほどだった。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.128


Sir Anthony Charles Lynton "Tony" Blair
1953-

 珍しく同世代の人物が登場した。「影の○○大臣」とあるところは読み流さないようにしたい。二大政党制の家元イギリスならではの shadow cabinet のことである。与党の現職大臣達に対して、野党は仮に政権交代した場合に各ポストを誰が担当するか検討し公表する。そのように構成される野党側の仮想内閣が shadow cabinet で、選挙民は常に実際の内閣と影の内閣を引き比べ、それが投票に反映されることになる。立憲民主党は政権を目ざすというなら、影の内閣を作れなければいけないのである。

 ブレアは魅力ある人物だが、二つの点で好きになれない。
 一つは文中にもある通り、2003年のイラク戦争でブッシュのアメリカに追従する形で派兵を強行したことである。ありもしない「大量破壊兵器」を口実に米英が火中の栗に手を伸ばした茶番だが、これは日本も慎ましくお供しているから大きなことは言えない。ブレアはブッシュのプードルと皮肉られた。日本はポチというところか。もう一つはテロ対策を進めるにあたって、ひたすら監視強化に走ったことである。
 在任中の育児休暇については「取得を検討したものの、結局公務を外れる形での育児休暇はとらなかった」とWikipediaにある。「まず隗より始めよ」というのは、こういう文脈で使っていいのかな。
 初期の業績のうち、北アイルランドの和平を進めて1998年のベルファスト合意(聖金曜日協定)の締結に至ったことは賞賛されてよい。

 19世紀のグラッドストン以来、久々の「習慣的に聖書を読む首相」だったそうで、一方では他宗教への関心も強く『コーラン』を少なくとも三回通読したのだそうだ(僕は一回だけ端折って読んだが、面白かった)。そんな人物なら、迂闊にサダム・フセインを除いた後、中東に何が起きるか予測できそうなものである。実際にはイラク戦争参戦を決定するうえで侵攻、もとい信仰が影響したとTVで語ったそうだから、せっかくの聖書もどこをどんな風に読んだのか、よく分からない。
 妻子は全てカトリック、本人は国教会の信徒だったが、2007年12月に首相を辞めた途端カトリックに改宗したというのが愉快なところ。人にはさまざまな面があるものだ。
資料と写真:https://ja.wikipedia.org/wiki/トニー・ブレア

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