散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

5月5日 シャネルNo5が発表される(1921年)

2024-05-05 03:29:58 | 日記
2024年5月5日(日)

> 1921年5月5日、パリのオートクチュール「シャネル」が、第5回のコレクションでシャネルNo5を発表した。シャネルNo5は、ロシアの調香師エルネスト・ボーに「シャネル」のオーナー、ココ・シャネルが依頼して作り出した、当時としては斬新な香りの香水であった。
 ココ・シャネルは本名をガブリエル・シャネルといい、1883年にフランスのオーベルニュで私生児として生まれた。スーツで名高いシャネルだが、出発点は「シャネル帽子店」だった。それまでの華美な装飾を捨て、シンプルで斬新な帽子のデザインを手がけて評判をとり、帽子の素材だったジャージを使って婦人服のデザインも始めた。
 1914年、本格的に婦人服のデザインに乗り出したシャネルは、コルセットで体型を整えて着るそれまでの婦人服と違って、機能的で体を締め付けない服を提案した。また、喪服にしか使われなかった黒をシンプルなドレスに仕立てたり、労働着であったセーターを日用着にしたりと、次々と新しいアイディアを打ち出して人気を博した。人造の宝石をアクセサリーに使ったのも、シャネルが先駆者である。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.131



Coco Chanel(出生名:Gabrielle Chasnel / Gabrielle Bonheur Chanel)
1883年8月19日 - 1971年1月10日

 こんなアッパレ偉大な人物とは知らなかった、恥ずかしながら、そもそも女性であることを知らなかった。

> 戦間期における彼女のデザインは女性の社会進出が進んでいた当時の世相と適合し、

 まさしくそのことだ。これはもう歴史的必然以外の何物でもないが、必然を形にするために偶発的な才能が求められることの鮮やかな一例である。囚われない発想のあり方に、私生児という生まれが関係しているのかどうか。

> シャネルは第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるフランス占領の間、ドイツの外交官かつ諜報員であったハンス・ギュンター・フォン・ディンクラーゲ(Hans Günther von Dincklage)男爵と不倫し、ドイツ当局に協力的な姿勢を取っていた。ドイツの敗北後、「裏切者」たちが枢軸国に対する協力者として訴追される中、シャネルは愛人のフォン・ディンクラーゲとともにスイスに亡命し処罰を免れたが、この対独協力行為(コラボラシオン)と亡命は、しばしば批判の対象となった。

 それはそうでもあろう。1944年9月のパリ解放直後にシャネルは逮捕・尋問されたが、わずか数時間で介抱された。「極めて有力な人物のコネ」があったからだという。

> その人物が誰であるのか、確かな手掛かりは何もないが、多くの場合これはチャーチルであると考えられている(!)

***

 ところで僕らの世代の大方の人間にとって、シャネルの名を知ったきっかけは十中八九、マリリン・モンローと決まっている。
 1952年8月に発行された『LIFE』の記事の中で、「ベッドでは何を着ますか?」という質問に「シャネルN°5」と答えたことは、既にあまりにも有名だった。
 これには後日談がある。1954年に大リーグのスター選手、ジョー・ディマジオと結婚し、新婚旅行を兼ねて日本を訪れ大歓迎を受けた。その際に報道陣が「寝る時は何を付けますか?」と下心丸出しの質問をしたところ、彼女は嫣然と微笑みながら「付けるのはラジオだけよ」と返したというのである。
 これなどは、是非とも生の言葉を確認したいところ。LIFE誌の記事に関しては、モンロー自身の語った言葉が YouTube で聞ける。ゆっくりした聞き取りやすい発音で、「"What do you wear to bed?" と聞かれたから、シャネルの5番と答えたの、まさか裸でとは言えないし、それに本当のことだから」と語っている。
 てっきり put on かと思ったが wear だったのだ。では「ラジオを付ける」は何と言ったのだろうと、好奇心はそこへ向かうのである。
 いずれにせよ当意即妙のこの返しからも分かる通り、実に頭の良い人間であったことは間違いない。出演映画の中では、地味だが可愛い『バス停留所 Bus Stop』(1956)を推したい。

Marilyn Monroe
1926年6月1日 - 1962年8月5日

Ω