散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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コメント御礼 ~ アジサイの青の訳

2024-06-03 17:43:32 | 日記
2024年6月3日(月)

 カエル先生よりコメントあり、感謝とともに転載。
 ぼーっと見ているのでなく「分析」とおっしゃるのが、この方らしい。御尊名を伏せるが、物質の分析方法について貴重な業績をおもちの研究者である。

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 アジサイについての記述に興味を覚えました。じつは、酸性土壌におけるアルミニウムの植物毒性について少しかじっていましたので。
 アジサイの青色はアントシアニンとアルミニウムとの結合によるもので、酸性土壌ではアルミニウムが土壌から溶出しているからのようです。どうして隣り合ったアジサイが、一方は青色でもう一方は赤色なのか、根元にコンクリートでもあってアルカリ性なのかなどと考えながら外出したところ、近所で思わぬものを発見しました。一方が青色で、他方が赤色です。品種が違うからなのか、アルミニウムの分析でもしたくなりました。
 それにしても、色の違うアジサイが並んで咲いているのが不思議ですね。


Ω

6月3日 ビゼーとヨハン・シュトラウス二世が亡くなった日(1875/1899)

2024-06-03 03:21:19 | 日記
2024年6月3日(月)

 6月3日は同時代に生きたビゼー、ヨハン・シュトラウス二世の二人の作曲家が亡くなった日だが、この二人は偶然誕生日も同じ日付である。ビゼーは1838年10月25日に生まれ、1875年の6月3日に36歳の若さで亡くなった。一方、ヨハン・シュトラウスは、1825年10月25日に生まれ、73歳まで生きて1899年の6月3日に亡くなっている。
 ジョルジュ・ビゼーはフランスのブジヴァルで、声楽教師の父とピアニストの母の間に生まれた。19歳で作曲したカンタータによりローマ大賞を受賞し、その才能を評価された。代表作「カルメン」初演では、ヒロインが ”魔性の女” であることから聴衆に受け入れられず、その後徐々に人気が出るのだが、ビゼーはそれを知ることなく失意のうちにこの世を去った。
 ヨハン・シュトラウス二世は「ワルツの父」と呼ばれたヨハン・シュトラウス一世の長男で、彼自身は「ワルツの王」と呼ばれる。「美しき青きドナウ」やオペレッタ「こうもり」などで有名である。父親は彼が作曲家になることには大反対だった。しかも、愛人を作って家を出てしまったため、二世が父親と同じスタイルで楽団を作り、作曲・演奏し始めると、事実上のライバルとなった。
 このように音楽も人生もまったく趣の異なる二人の音楽家だが、奇しくも生没は同じ日付である。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.160

  

左:Georges Bizet、1838年10月25日 - 1875年6月3日 
右:Johann Strauss II. (Sohn), 1825年10月25日 - 1899年6月3日 

 『カルメン』が魔性の女で聴衆が云々とあるが、同じビゼーでも『アルルの女』の方がよほどやりきれない。ドーデもひどい原作を書いたものである。

> 南フランス豪農の息子フレデリは、アルルの闘牛場で見かけた女性に心を奪われてしまった。フレデリにはヴィヴェットという許嫁がいるが、彼女の献身的な愛もフレデリを正気に戻すことはできない。日に日に衰えていく息子を見て、フレデリの母はアルルの女との結婚を許そうとする。それを伝え聞いたヴィヴェットがフレデリの幸せのためならと、身を退くことをフレデリの母に伝える。ヴィヴェットの真心を知ったフレデリは、アルルの女を忘れてヴィヴェットと結婚することを決意する。2人の結婚式の夜、牧童頭のミティフィオが現れて、今夜アルルの女と駆け落ちすることを伝える。物陰からそれを聞いたフレデリは嫉妬に狂い、祝いの踊りファランドールがにぎやかに踊られる中、機織り小屋の階上から身をおどらせて自ら命を絶つ。

 ケガをして長く入院した際に『カルメン』の歌詞を原語で追い、たとえばこんな台詞に夜間の妄想を逞しくしたものだった。
peut-être jamais, peut-être demain
mais pas aujourd'hui, c`est certain
  言い寄る男たちが「いつ、なびいてくれるのか」と迫るのを、「明日かしら、ないかしら、でも今日じゃないわ、それだけは確か」と一蹴する場面である。

 それにしても二人の人物の生没の日が同じだなどと、よく気づくものだと思うが、気づく人は気づいたとも気づかぬうちに自ずと気づいてしまうものらしい。

Ω