散日拾遺

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6月15日 ジョン王が「マグナ・カルタ」に署名(1215年)

2024-06-15 03:03:40 | 日記
2024年6月15日(土)

> 1215年6月15日、イギリス王ジョンは貴族たちの突きつけた勅許状に署名させられた。これが63条からなる「マグナ・カルタ」(大憲章)である。その内容は、教会が国王から自由であること、課税には貴族たちの同意を必要とすること、自由民を裁判によらずに逮捕してはならぬことなどを含み、要するに国王も法のもとにあることを明文化したもので、これがイイギリス憲法の先駆けとなった。
 これほど国王の権限を制限された文書に署名させられたジョン王は、失政続きの「ダメ国王」だった。フランスに所有していた領地は奪われ、その奪還には失敗し、ローマ教皇との間にトラブルを起こして破門され、さらに国内では、重税を課して貴族や市民の反感を招くといった具合だった。
 「マグナ・カルタ」に署名させられた後も、これを遵守するような王ではなかった。結局、彼の死後、一部に修正を加えられ、1225年にようやく公布されている。
 その後「マグナ・カルタ」の存在はいったんは忘れられたが、17世紀になって、国王と議会との関係を明らかにした文書として再評価され、アメリカ合衆国の建国にも影響を与えた。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.172

John
1166年12月24日 - 1216年10月18日または19日

 「ダメ国王」だからこそ「マグナ・カルタ」が世に残ることになった。名君・聖君に対して権力を制限することなど誰も考えないし、できもしない。これが歴史の面白さで、「最高権力者である国王も法の下にある」という原則はヨーロッパの歴史が見出した最良の伝統の一つである。『クアトロ・ラガッツィ』が記すとおり、天正遣欧使節らが目を見張ったのはローマ教皇庁の壮麗でもなければ、ヨーロッパ列強の軍事的充実でもなく ~ それらは安土城と信長を知る彼らに何ほどの驚きでもなかった ~ 「万民が法の下にある」というこの原則だった。
 ジョンはプランタジネット朝(アンジュー朝)第3代のイングランド王である(在位:1199年 - 1216年)。
 父・ヘンリー2世(在位:1150-1189)、兄・リチャード1世(獅子心王、在位:1189-1199)、さらには母・アリエノール・ダキテールまでも巻き込んだ骨肉の争いを、映画『冬のライオン』(1968年、イギリス)で夢中になって追った。
 父ヘンリーはピーター・オトゥール、母エレノアことアリエノールはキャサリン・ヘプバーンである。心動くまいことか。ああまた見たくなった!

Ω



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