散日拾遺

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6月8日 オ-ウェルが代表作『1984年』を刊行(1949年)

2024-06-08 03:20:10 | 日記
2024年6月8日(土)

> 1949年6月8日、イギリスの作家ジョージ・オーウェルは、全体主義の近未来社会を描いた小説『1984年』をロンドンのセッカー社から刊行した。5日後にはアメリカのハーコート・プレス社からも刊行し、やがて世界で1500万部を売る大ヒットとなった。
 オーウェルのもう一つの代表作『動物農場』(1945年刊)は、スターリン主義の社会を動物寓話で風刺した作品である。そしてこの『1984年』は、全体主義の社会の中で、権力の思うままに意思までも操られてゆく人間像を描いている。政府による情報調査がごく普通に行われ、個人の生活が監視される社会は、当時はありうる近未来のひとつの形に過ぎなかったが、現代社会においてはいっそう現実感が増している。
 オーウェルは1903年にインドのベンガルで生まれ、父とは離れてイギリスで育った。学業に秀でていたため、奨学金を得てイートン校に進学した。しかし、恵まれない家庭環境からコンプレックスに悩み、大学進学をせずにビルマの警察官になった。
 24歳でヨーロッパに戻り、その後作品を発表するようになるが、常に社会の底辺に目を向け、社会構造のゆがみや欺瞞に敏感であり続けた。『1984年』刊行の半年余り後、肺結核を患い46歳で亡くなっている。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)165

George Orwell(本名:Eric Arthur Blair)
1903年6月25日 - 1950年1月21日

 上掲の略歴には肝心な部分が抜けている。
 1936年、スペイン内戦が勃発。当時、社会主義者であったオーウェルは無政府主義者らに感化され、翌1937年初頭に民兵組織POUM(マルクス主義統一労働者党)と称する共和派の義勇兵に加わった。ところがPOUMは「トロツキスト」のレッテルを貼られてスターリン指導下の共産党による粛清の対象となり、オーウェルは危機一髪フランスに脱出した。敵と思っていたファシストよりも、味方であったはずのスターリニストの方が悪辣だったことを体感し、「粛清」を嫌悪する民主社会主義者へとシフトしていくことになる。そしてこの原体験が『動物農場 』("Animal Farm")と『1984年』に結実した。スペイン内戦と文学から連想すべきは、ヘミングウェイだけではないという次第。
 なお、1950年という没年は微妙なタイミングである。先進国でまともな医療を受けられる立場にありながら、結核を生き延びることができなかった最後の世代ではあるまいか。

 『1984年』に関連した思い出がある。大学を出てしばらく経った頃、O君に誘われて『未来世紀ブラジル』という映画を見た。これがテーマとしてはほぼ完全に『1984年』の翻案だったが、『モンティ・パイソン』のテリー・ギリアムが監督しただけあって、その種のブラック・ユーモア風味満載の仕上げになっていた。中で巨大な鎧武者が主人公を追い回す場面には驚いた。そもそもなぜ「ブラジル」かと一杯やりながら語らったものである。公開は1985年とあり、原作のタイトルに表敬してこの時期に制作したものだったろう。

 もう一つ連想するのは統合失調症のことである。その陽性症状として、「常に監視されている」「どこまでも追跡される」というタイプの被害妄想は典型的なものだが、ふと気づいてみれば、いずれも今日の日常風景の中で現実化している。僕らの姿は気づかぬうちに、そこかしこの防犯カメラに捉えられており、誰かがその気になればGPSによって地獄の底まで追尾される。そのことを不気味も思わず便利とさえ感じているのが恐ろしい。
 世紀の変わり目あたりから統合失調症の軽症化が広く指摘されるようになってきたのは、このことと関係しているのではないか。妄想世界と現実世界との落差が縮まれば縮まるほど、「病気」に陥った際の驚きや恐れも小さくなるであろうという、単純な理屈である。


 ※  バルセロナ市のゴシック地区にある「ジョージ・オーウェル広場」の看板で、手前には監視カメラが設置されていることを伝える看板が立っているというが、今どきの若者にはわざわざこんな看板が設置される意味がまったく分からないことだろう。

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