散日拾遺

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6月7日 スタック遠征隊 マッキンリー南峰初登頂に成功(1913年)

2024-06-07 03:08:46 | 日記
2024年6月7日(金)

> 1913年6月7日、スタック率いる遠征隊は、北アメリカの最高峰であるマッキンリーの南峰、6,194mの登頂に史上初めて成功した。遠征隊は、イギリス国教会副監督のハドソン・スタック、アラスカ・インディアンのウォルター・ハーパー他2名の4人のパーティーで、マルドロー氷河経由のルートでアタックした。一行は3月17日にネナナを出発したが、すでに開拓されていたマルドロー・ルートは前年の地震によって荒れており、ベースキャンプまでの荷物の運搬にも手を焼いた。一番先に山頂に到達したのはハーパーだった。
 山頂に達した彼らは、5キロ離れた北峰の山頂に一本の杭を発見する。それは、三年前の1910年4月3日に北峰に初登頂しながら、その快挙を世間に認められていなかったサウアドウ登山隊の残した星条旗と旗竿だった。
 サウアドウ登山隊が認められなかったのには、少々理由があった。彼らは地元の全く登山経験のない四人の炭鉱労働者のパーティーで、非常に簡素な装備しか持っていなかった。しかも標高3300m地点から、食料としてココアとドーナツしか持たず、たった一日で山頂まで往復したというウソのような話だった。スタック隊の登頂によって、サウアドウ登山隊の登頂成功もまた歴史に残ることとなった。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.164

 
        左:ハドソン・スタック
        右:デナリ(マッキンリー山)北側からワンダー湖を前景に望む

 上掲書の出版は2005年、山の正式名称は2015年にデナリ(Denali)と定められた。バラク・オバマ政権時代のことである。近隣に住むコユコン族の言葉で、「高きもの」「偉大なるもの」を意味する「Deenaalee(/diˈnæli/)」に基づいたものという。
 デナリはエベレスト(チョモランマ)よりも大きな山体と比高を持つ。エベレストの標高はデナリより2700 mも高いが、チベット高原からの比高は3700 m程度に過ぎない。一方、デナリは麓の平地の標高は600 m程度であり、そこからの比高は5500 mに達する。 いろんな比較の仕方があるものだ。
 デナリは高緯度に位置するため気温が低く、夏でも山頂の平均気温は−20 °C程度である。冬には5700 m地点に据えられた温度計の最低気温が日常的に−40 °Cを下回り、1995年には−59.4 °Cを記録した。1969年以前には、中腹の約4600 m地点で最低気温−73.3 °C(−100 °F)を記録したこともある。低温の影響でヒマラヤやアンデスの同一標高よりも気圧が低い。気圧は夏よりも冬のほうが一段と低くなり、冬のデナリ山頂の気圧は夏のヒマラヤ7000 m超に相当する。登山者にとっては高山病の危険性が高くなる。さらに、冬にはジェット気流の影響からしばしば160 km/h(≈ 44.4 m/s)の風が吹き下ろすという。
 この厳しい条件下で、1884年に冬期単独の初登頂を果たしたのが植村直己であり、これが彼の最後の冒険となった。

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