散日拾遺

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自己神化

2023-08-20 12:12:19 | 日記
2023年7月30日(日)

 人は神には決してなれません。ところが人は神のように振る舞おうとします。
久多良木 和夫 牧師『平和の実現を』 ~ 「教会婦人」2023年8月号

 自分こそが正しいと正義を振りかざすこと、自分の正義でもって他の人、他の国を支配しようとすること、それらに焦点を合わせて師は上のように書く。
 こうした人のありようを「自己神化」と見たてることが、思考とモラルにもたらす利益は甚大だが、残念なのは「神」という言葉を見た途端に、多くの人々が目を背けてしまうであろうことだ。自分は神など信じておらず、あるいは神などとうの昔に死に絶えたのだから、この種の言あげは自分には関係ないという次第。
 神を信じないのは自由だが、その代わりに自分を神にしてしまうなら滑稽でしかない。無自覚のうちにそのように振る舞っていながら、「神」と無関係な自分は自己神化とも無縁なりと素朴に思い込むなら、滑稽を超えて悲劇的である。

 高校の男子便所の壁に落書きがあった。抜き書きである。
 「あなたの思想の中でわからないのはですね、なぜ『神がいないならあなた自身が神にならねばならない』ということになるのですか?」
 落書きの主は親切にも出典を明示してくれており、おかげで数年後にめでたくネタ元に出会うことができた。
 ドストエフスキー『悪霊』に描かれた、無神論者キリーロフに対する問いがそれである。問うているのは全編の狂言回しの役を担うピョートル・ヴェルホーヴェンスキー。善良で純粋なキリーロフはやがて痛ましい死を遂げるが、彼が体現してみせた危険は生き残る者たちにまとわりつき、呪いの雨のように降り注ぎ続ける。



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