2014年1月6日(月)
「合宿所」の万年床は、キッチンの冷蔵庫が見える位置にある。冷蔵庫のドアにくっついているマグネット、あれは『人まねこざる』だ。原題は "Curious George." curious は言うまでもなく「好奇心が強い」「知りたがり」という意味だから「人まね」とは違うんだが、意味の近いところで語調の良い言葉を選んだファインプレイである。世界的な人気者と云って良いだろう。
数年前に相当売れたある新書本で、著者がおさるのジョージのことを「やってみては失敗し、その都度、黄色い帽子のおじさんに叱られたりもしながら成長する」という具合に評しており、読んで首を傾げた。ジョージがおじさんに「叱られる」という場面が、記憶の中からひとつも取り出せなかったからである。
周囲の大人はいざ知らず、保護者である黄色い帽子のおじさんは、決してジョージを叱らない。徹底して受容的であり、非干渉的である。与えて導き、楽しみつつ失敗を通して自ら学ぶのを待っている。手許にあるものを見直してみたが、間違いない。おじさんはいつでも優しく微笑んで見守り、決して叱ったりしない。あら探しは本意でないが、教育や成長に関わる事例として引くのなら、こういう間違いは避けたいものだ。
さて、しかし・・・ふと考えた。
黄色いおじさんとは、いったい誰なのか。
徹頭徹尾受容的なこの人物は、そもそもの初めに恐るべき干渉をジョージの境遇に加えている。
こざるの好奇心につけこんで手もなく捕らえ、アフリカの大地から引き離してアメリカへ連れ去った、それが物語の始まりだった。そのように暴力的に連れ帰ったこざるに、この人物は最上の環境と最良の配慮を与え、忍耐と寛容をもって見守り続ける。彼は誰だ?
アメリカそのものではないか。
僕のアメリカ嫌いは多分に感情的なもので、実際にはそれを帳消しにしてお釣りが来るほどの感動と敬意を、3年間の滞在で受けとった。殊に頭が下がるのは、善を追い求めるアメリカ人の熱心さである。彼らの社会の成長の早さは、このことを抜きにしては考えられない。
確かにこの国には過酷な人種差別があった。アラバマ州立大学の夏季講習に二人の黒人学生が登録しようとした際、州知事が公権力を用いてこれを圧し去ろうとしたのは1963年、これに敢然と立ち向かって学生らを擁護したケネディ兄弟は、それが唯一の原因ではないにせよ相次いで暗殺された。
1994年の夏、ユダヤ系の若い精神科医と旅先で歓談した際、彼が誇らしげに話してくれた。自分らの両親の青春期には、白人と黒人がデートすれば大変なスキャンダルになった。今はもちろん何の問題もない。かくのごとくアメリカは成長を遂げていく。しかし、有色人種の大統領はまだまだ先だろうな、女性大統領の方が早いに違いない・・・
彼の予想は覆されたが、それはアメリカの進歩に関する彼の信頼を増強する方向での見込み違いだった。完全に過去のことになったとは言えないが、あれほど深刻であった人種問題を彼らは日々克服しつつある。外科手術にもなぞらえられる自己改造を、彼らは恐れない。それもこれも、善なるものへの熱心ゆえである。
けれども、根幹にある事実は消えない。アメリカは先住民から全てを奪った。それも恩を仇で返す形で奪った。
植民者が冬を前にして寒さと飢えによる絶滅の危機に貧していたとき、これを救ったのは先住民の温情と友愛だった。Thanksgiving には今でもそのことが思い出され、語られる。それを感謝しつつ七面鳥を屠るのである。しかし、その後に何が起きたか、この季節には決して語られない。ケネディらは黒人だけでなく先住民の権利擁護にも熱心だった。しかし、アメリカの流儀による公民権の回復と保障は、根幹にある深い傷そのものまでも消し去る力は持たない。消すことができず、繰り返し出発点に立ち戻る。ポーの「黒猫」のように、殺人者は必ず現場へ立ち戻る。そうせずにいられないのである。アメリカは反復強迫に陥っているというのが、岸田秀の指摘の要約だ。
僕自身、大好きであったし、今も大好きなジョージの場面をマグネットに眺めながら、ふと背筋が震えた。
「合宿所」の万年床は、キッチンの冷蔵庫が見える位置にある。冷蔵庫のドアにくっついているマグネット、あれは『人まねこざる』だ。原題は "Curious George." curious は言うまでもなく「好奇心が強い」「知りたがり」という意味だから「人まね」とは違うんだが、意味の近いところで語調の良い言葉を選んだファインプレイである。世界的な人気者と云って良いだろう。
数年前に相当売れたある新書本で、著者がおさるのジョージのことを「やってみては失敗し、その都度、黄色い帽子のおじさんに叱られたりもしながら成長する」という具合に評しており、読んで首を傾げた。ジョージがおじさんに「叱られる」という場面が、記憶の中からひとつも取り出せなかったからである。
周囲の大人はいざ知らず、保護者である黄色い帽子のおじさんは、決してジョージを叱らない。徹底して受容的であり、非干渉的である。与えて導き、楽しみつつ失敗を通して自ら学ぶのを待っている。手許にあるものを見直してみたが、間違いない。おじさんはいつでも優しく微笑んで見守り、決して叱ったりしない。あら探しは本意でないが、教育や成長に関わる事例として引くのなら、こういう間違いは避けたいものだ。
さて、しかし・・・ふと考えた。
黄色いおじさんとは、いったい誰なのか。
徹頭徹尾受容的なこの人物は、そもそもの初めに恐るべき干渉をジョージの境遇に加えている。
こざるの好奇心につけこんで手もなく捕らえ、アフリカの大地から引き離してアメリカへ連れ去った、それが物語の始まりだった。そのように暴力的に連れ帰ったこざるに、この人物は最上の環境と最良の配慮を与え、忍耐と寛容をもって見守り続ける。彼は誰だ?
アメリカそのものではないか。
僕のアメリカ嫌いは多分に感情的なもので、実際にはそれを帳消しにしてお釣りが来るほどの感動と敬意を、3年間の滞在で受けとった。殊に頭が下がるのは、善を追い求めるアメリカ人の熱心さである。彼らの社会の成長の早さは、このことを抜きにしては考えられない。
確かにこの国には過酷な人種差別があった。アラバマ州立大学の夏季講習に二人の黒人学生が登録しようとした際、州知事が公権力を用いてこれを圧し去ろうとしたのは1963年、これに敢然と立ち向かって学生らを擁護したケネディ兄弟は、それが唯一の原因ではないにせよ相次いで暗殺された。
1994年の夏、ユダヤ系の若い精神科医と旅先で歓談した際、彼が誇らしげに話してくれた。自分らの両親の青春期には、白人と黒人がデートすれば大変なスキャンダルになった。今はもちろん何の問題もない。かくのごとくアメリカは成長を遂げていく。しかし、有色人種の大統領はまだまだ先だろうな、女性大統領の方が早いに違いない・・・
彼の予想は覆されたが、それはアメリカの進歩に関する彼の信頼を増強する方向での見込み違いだった。完全に過去のことになったとは言えないが、あれほど深刻であった人種問題を彼らは日々克服しつつある。外科手術にもなぞらえられる自己改造を、彼らは恐れない。それもこれも、善なるものへの熱心ゆえである。
けれども、根幹にある事実は消えない。アメリカは先住民から全てを奪った。それも恩を仇で返す形で奪った。
植民者が冬を前にして寒さと飢えによる絶滅の危機に貧していたとき、これを救ったのは先住民の温情と友愛だった。Thanksgiving には今でもそのことが思い出され、語られる。それを感謝しつつ七面鳥を屠るのである。しかし、その後に何が起きたか、この季節には決して語られない。ケネディらは黒人だけでなく先住民の権利擁護にも熱心だった。しかし、アメリカの流儀による公民権の回復と保障は、根幹にある深い傷そのものまでも消し去る力は持たない。消すことができず、繰り返し出発点に立ち戻る。ポーの「黒猫」のように、殺人者は必ず現場へ立ち戻る。そうせずにいられないのである。アメリカは反復強迫に陥っているというのが、岸田秀の指摘の要約だ。
僕自身、大好きであったし、今も大好きなジョージの場面をマグネットに眺めながら、ふと背筋が震えた。