2020年4月2日(木)
断腸亭日乗 ~ 永井荷風(1879-1959)は、この日記を大正6年(1917年)から昭和34年(1959年)まで綴り続けた。関東大震災と第二次世界大戦を含む激動の時代で、摘録が岩波文庫版(上)(下)として刊行されている。
冒頭は「大正六年丁巳九月起筆 荷風歳卅九」とある。淋漓たる墨書に対面する趣あり。ちなみに今は令和二年庚子、「かのえね」の年である。
震災後の記事から抜き書きする。
***
十月十六日。災後市中の光景を見むとて日比谷より乗合自働車に乗り、銀座日本橋の大通を過ぎ、上野広小路に至る。浅草観音堂の屋根、広小路より見ゆ。銀座京橋辺よりは鉄砲洲泊船の帆柱もよく見えたり。池ノ端にて神代君に逢ふ。精養軒に一茶す。神代君はかつて慶應義塾図書館々員たり。集書家として好事家の間に知られたる人なり。この度の災禍にて安田氏が松の家文庫また小林氏が駒形文庫等の書画烏有となりし事を語りて悵然たり。弥生岡に日影のやや傾きそめし頃広小路に出でて別れ、自働車にて帰宅す。燈下堀口大学氏翻訳小説『青春の焔』の序を草す。深夜雨を聞く。
十一月朔。風烈しく空曇りて暖気初夏の如し。夜高輪楽天居にて木曜会句会あり。参集するもの湖山、渚山、葵山、野圃、夾日、三一、兎生らなり。苦吟中驟雨来る。小波先生震災の記念にとて、被害の巷より採拾せし物を示さる。神田聖堂の銅瓦の破片、赤坂離宮外墻の屋根瓦、浅草寺境内地蔵堂にありし地蔵尊の首等なり。地蔵の首は避難民の糞尿うづだかき中より採取せられしなりといふ。先生好事の風懐、災後の人心殺伐たるの時一層敬服すべきなり。深夜強震あり。
『摘録 断腸亭日乗』(上) P.70-71 朱書引用者
Ω