2015年9月27日(日)
勝沼さん、コメントありがとう。
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ルメイのことを知ったのはジョン・ダワーの『容赦なき戦争』を読んだ時だと思います。この本の中ではアメリカの要人達は「日本人を民族として殲滅する」と公言していました(ドイツやイタリアに対してはそんなことは言わず)。
戦争中のこういう発言がどこまで本気なのかは分かりませんが、日本人のみならずアメリカ人も終戦を機に180度に近い転換をしたように思えます。
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結句にハッとしました。勝沼さんの指摘には、いつも盲点を突かれます。そうですね、人(々)は変わるということを考えないといけません。そのうえで、展開の仕方はいろいろありますよね。本当に変わったのか、変わったとすれば何がどう変わったのか、変わったから不問に付してよいのか、問題なのは変わった部分か変わらない部分か、等々。
僕のクセとして、ひとつにはおよそ変わるものに対する不信・懐疑があるようです。もうひとつ、変わらない部分に注目し、しつこく食い下がっていく傾きがあるのだと思います。あながちいけないということもないでしょうが、自覚していないとね。
この件に関する最大のポイントはカーチス・ルメイの(あるいはおしなべて戦争の)あっぱれな残虐さではなく、極刑に値するこの大犯罪人を、こともあろうに勲一等旭日大綬章という最高の栄誉で讃えた日本の指導者の精神構造にありました。その倒錯の構造が、今日まで脈々と「変わることなく」受け継がれていることを憂うのです。「昭和天皇はルメイに対して親授を行わなかった。」この短い記載は何を意味するのでしょう。
自分たちを代表する政府、自分自身の属する国家を信頼できないのは、本当に悲しいことです。