2017年6月23日(金)
両親の語ったさまざまな言葉の中に、今にして思い出すちょっとした名言があったりする。
「洗練された都会人は、他人のことを田舎者呼ばわりなど、しないものだ。」
これ、なかなかいいでしょう。
中1の夏に山形から名古屋へ転校した。二学期初日に女性の担任教諭が「イナカからの転校生」と紹介し、生徒らが笑ったことを帰宅して話した時の、母の反応である。この先生には後日ほとほと悩まされることになるが、この時は「イナカ」と言われてさほど苦になったわけでもない。事実山形は田舎だろうが、そのことはいっそ大いに誇らしかった。生徒の笑いも他意のない瞬間的なもので、名古屋にしてからが「大田舎」という認識が街中の中学生にもなれば備わっていた。ただ母が小首を傾げて紡ぎ出した言葉に、子どもながら目を見張ったのである。1969年9月頃のこと。
この週末は名古屋で精神神経学会が開かれているが、勤務先の医師らと一年交替で出席することにしていて今年は留守番である。学会参加中の仲間からのメールに「名古屋は大きな田舎といった感じで、学会が開かれても心踊る感じがない」と率直な印象が記されてあり、それで上のやりとりを思い出した。面白いな、僕などは田舎に近づくほど心が躍るのだが、今日は残念ながら都会東京でおとなしく仕事である。
田舎者を田舎者と呼ぶ田舎者(桃蛙)
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