散日拾遺

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パウロ書簡と呼ばれるもの

2024-01-23 11:11:51 | 聖書と教会
2024年1月14日(日)

 『テサロニケⅠ』と『ローマ』を読み比べると、パウロの再臨理解の微妙な変化が見てとれる…そのように今朝教わった。この機会に少し整理してみる。

 まず、新約聖書を形式上3部に大別する。
  1.  四福音書と、ルカによる福音書の続編である使徒言行録
  2.  手紙
  3.  ヨハネの黙示録
 2.の手紙はあわせて21編、発信人がタイトルに明示されているものが7編(ヤコブ1、ペトロ2、ヨハネ3、ユダ1)、他の14編はすべて使徒パウロが書いたものとかつては信じられていた。近代における考証は、内容・文体などを仔細に検討した結果として、14編中7編だけをパウロの真筆と認めるに至った。
 他の7編は弟子や同労者、後世の信奉者などがパウロの名によって書いたものとされる。これは現代的な意味での盗作・偽作ではなく、新約聖書の時代に地中海世界で広く行われていた習慣であるらしい。これはペトロやヨハネの名を冠した手紙についても同様で、とりわけヨハネ書簡については、「ヨハネによる福音書」3つの「ヨハネ書簡」そして「ヨハネの黙示録」の真の著者はそれぞれ誰なのかという論題が、「ヨハネ問題」として長く議論されてきた。

 で、実際に使徒パウロが書いたものはどれかというと、下記の14編のうち朱字で示した7編ということになる。

 ローマ、コリントⅠ、コリントⅡ、ガラテヤ、エフェソ
 フィリピ、コロサイ、テサロニケⅠ、テサロニケⅡ、テモテⅠ
 テモテⅡ、テトス、フィレモン、へブライ

 それぞれの手紙の執筆年代や場所についてはは不明の点が多い。もともと別々の手紙だったものが後に一書にまとめられたものもあり、甚だ錯綜している。
 ただ、最初に書かれたものと最後に書かれたものは、諸般の事情からほぼ確定できる。そこで時系列に沿って、以下のように並べ直す。
  1.  テサロニケⅠ 西暦50年頃
  2.  コリントⅠ、コリントⅡ、ガラテヤ、フィリピ、フィレモン 西暦50年代半ば
  3.  ローマ  西暦55~56年頃、2 の時期に書かれたものの集大成
 ここまでが真筆で、パウロ自身は西暦64~65年頃のネロ帝による迫害の中で殉教したものと考えられる。その後にもパウロの名によって書かれたものが存在するのは、上述のような当時の「著者」理解から説明される。

 4. コロサイ、ヘブライ、テサロニケⅡ、エフェソ 西暦70~90年代
 5. テモテⅠ、テモテⅡ、テトス(いわゆる「牧会書簡」) 西暦1世紀末~2世紀初め

 福音書の成立時期は、最も早いマルコが西暦65~70年頃、マタイとルカが80年代、やや遅れてヨハネが80~90年代などと紹介されているが、当然異説は多い。いずれにせよ文書としてはパウロ書簡が最も早く、とりわけ『テサロニケの信徒への手紙Ⅰ』は新約聖書の全文書中、筆頭ということになる。
 パウロという人は、きわめて論理的な弁証を身上とする理知的な人物のように見えるが、そもそもの出発点がダマスコ途上の劇的な霊的体験にあることからわかるように、根底において理知よりも直観の人である。その直観においてイエスの再臨が今日明日にも起きることを当初は確信していた。テサロニケⅠにはそうした期待が昂揚感をもって語られる。

 「主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。」(4:15)
 「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。」(5:2-3)

 そのように主の日が近いのであれば、教義について緻密な理論を構築したり、体系的な著書を著したりすることは実質的に意味がない。ただ一刻も早く、少しでも多くの国民に福音を伝えることがパウロの課題のすべてであった。
 その最終計画としてローマからイスパニアまでの伝道旅行に着手しようとしていたパウロが、これから出会おうとする未知の人びとに対して送った所信表明の書がローマ書である。従って、他の手紙のほとんどが自身の建てた教会に向けての牧会の書であったのに対し、ローマ書だけが彼が建てたのではない教会に宛てて書かれている。
 このように考える時、これまで読みづらいばかりだったローマ書の全体が、いくらか柔らかいものに見えてくるようである。以下の言葉もこの手紙の内にあるのだった。

 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
『ローマの信徒への手紙』12章19-21節

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