散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

マメを播く

2014-10-26 09:32:19 | 日記

2014年10月25日(土)

 昼の飛行機で松山へ。空港駐車場はほぼ満杯である。

 こちらのキャパシティも満杯で今月は無理かと思ったが、同僚の厚意のおかげで無事の小帰省、仕事を田舎まで持ち込むのは本意ではないけれど。

 夕方、マメの種を播く。マメは連作を嫌い、一度植えた後は5年間、土地を休ませるのが理想だそうだ。むろん、そこで消費される何かを補えば連作を可能にできるだろうが、それは当家の「商ならぬ農」の発想としては倒錯である。自然が教えてくれる分限に従うのが本筋だ。

 そういう次第で、ここでは何本かの畝を、年ごとに違う作物にあてることで対応している。何年ぶりかでマメを受け容れる2筋の畝の、一方にソラマメ、一方にグリーン・ピース。鋤で地表をならし、30㎝毎に小さな穴を掘り、ソラマメはヘソを下にして一粒ずつ、グリーン・ピースは1~2㎝間隔で2粒ずつ、種豆を置いて土をかぶせる。後者は発芽率が低いので4~5粒を播き、複数発芽した場合は間引くことが推奨されているが、試行錯誤で「2粒」に落ち着いたらしい。

 発芽した苗は、そのまま冬を越して来年5~6月の収穫を待つ。播種が早すぎ、苗が成長しすぎると、かえって冬の寒さに弱くなるのだという。小苗の方が寒さに強いなんて、面白いものだ。

 ほかほかの寝床にもぐりこんだ豆どもを、10月の西日が柔らかく照らしている。


サバイバーズ・ギルト/アップサイクル

2014-10-25 07:14:17 | 日記

2014年10月25日(土)

 サバイバーズ・ギルト survivor's guilt とは、災害や戦争などで犠牲者が出た場合に、生き残った者が亡くなった者に対して抱く罪悪感のことである。相手の犠牲と引き替えに自分が生き延びた(たとえば救命胴衣を譲ってもらったというような)事情がある場合に限らない。というよりも、そのようなケースは別に考えるべきで、そうした事情がないにも関わらず、一般に生存者は犠牲者に対して説明のつかない罪悪感を抱きがちである。戦争しかり、震災しかり。そしてこのことは、人の道徳・倫理の根源に関わる現象ではないかと思う。生きることにまつわる根源的な罪悪感である。

 そうした大きな問題については項をあらためるとして、取り急ぎ書き留めたかったのは、いわゆる「リストラ」に際して職場でもそれ(サバイバーズ・ギルト)が生じていることだ。人員整理の対象にならず「生き延びた」職員が、切られた元・同僚に対して何とも言えない申し訳なさを感じる。いっぽうでは人員削減のツケが確実に回ってきて、労働荷重は目に見えて増強され、罪悪感を呑みこんでいく。ワークシェアということを、なぜかどうしても始めることのできない僕らの社会の現実を、ある患者さんが教えてくれた。

***

 木曜だったか、テレビで「リサイクル」ならぬ「アップサイクル」が話題にされていた。たとえば使用済みのタイヤチューブが婦人用バッグに化ける。「わたしら主婦は荷物が多いので、見た目よりも強さと弾力がありがたい」とユーザーの言、タイヤチューブはうってつけの素材で、ビジネスパーソンにも主婦同様ありがたい話だ。

 消防服も、もともと丈夫で耐火性があるから、同じく上物の素材になる。それを見て、浦河の消防署の一コマを思い出した。町の風景を撮影するため、消防署の火の見櫓へ登らせてもらう階段の踊り場に、等身大の人形(ひとがた)らしきものが置かれていたのである。気になって訊いてみたらまさしく人形で、放水用のホースの廃物を切り貼りし、中に砂を詰めて人の体重ほどに調整した自作品、訓練に使うのだそうだ。

 「既製品は高価なので」と、これはおっしゃる通りで、救急処置の講習用に使う人形なども恐ろしく高いのである。消防訓練などはきわめて公益性が高く、全国の消防署に標準配備するとすればある程度の数が見込めるだろうから、国の責任でしっかりした製品を支給すれば良いのにとも思うが、案外自作品のほうが優れていたりするかもしれないね。

 カート・ヴォネガットは「消防」という仕事を神聖視していたフシがあり、『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』には特にそれがよく現れている。むべなるかな。

 今日も地が平安でありますように。あるいは、今日こそ地が平安でありますように。

 


魂(たましい)とは何か/部長の思い

2014-10-24 08:09:45 | 日記

2014年10月24日(金)

 21日(火)は我孫子市のNPOで話をしてきた。「魂の健康」と「死生観」をからめた最近のひとつネタだが、50人ほどの来聴者の過半が同世代あるいは年長の人々で、それだけに自分自身の問題として身を乗り出して聞いてくれたようである。

 中に中国戦線で戦った経歴をもつ人があり、質疑応答でそのことを語ってくださった。1945年8月の敗戦までは、激戦の中で過酷な場面に遭遇しても戦意を失うことはなかったという。敗戦・武装解除の後ただちに国共内戦が始まり、国民党軍が旧日本兵に武器を与えて八路軍との戦いに協力させるということが起きた。この男性もそのように起用されたが、今度は我にもなく恐怖に駆られ、どうにも戦闘にならなかったという。いろいろ解釈はできるだろうけれど、人間がどこまでも「意味」によって行動するものであることは、間違いないように思われる。

 考えれば分かるようだけれど、穏やかながら矍鑠としたこの男性が満92歳と伺って、二度びっくりした。後で聞けば、現在でも地域のためにあれこれ活動しておられるそうである。戦後これまでの来歴など簡単に語ったうえ、この若造に「私はこれからどうしていったらいいか、御助言をいただけませんか」と問われたのだ。むろん、高いところからの「助言」などできはしない。フロアの力を借りて、答えにもならない何事かをお返しした。

 終了後に、「魂とは何か、心と魂はどう違うか」と食い下がってきた女性二人組があった。これ、急所なのだ。キリスト教を含め何らかの宗教をもたない背景のもとで、これは恐ろしく難問になる。K教会でも同種の質問があった。ここをクリアしないと、まとまらない話である。

***

 以前から気づいていたが、PCに向かってキーボードを叩いていると、いつの間にかひどく息を詰めている。肩も凝るし、考える作業自体が不自然になっているのではないかと思う。ゆっくり腹で息をしながらと意識してみるが、いつの間にかまた息を詰めている。

 これを修正できたら、何かが変わるのではないかと期待をもつが、この単純なことが、単純であるからこそひどく難しい。

***

 ご承知の通り、社内では「長時間労働など当たり前、その負担に耐えることが人材の要件」と考えるものが少なくありません。そんな中で、地方拠点を中心にメンタル不全が増加しつつあるのが現状です。

 会社として、産業医の積極活用や求職者の職場復帰プログラム整備等、取り組まねばならない課題が山積しています。次回は本人とともに直属上司を伺わせることにしました。この種の病気への理解は、管理職の大事な仕事であるとの認識を深めさせたいので、どうぞよろしくお願いいたします。

 とはいえ、管理者の意識・思考を変えさせるのは本当に至難のことです。会社というより、日本はどうなってしまうのか、大げですけれど考えてしまいます。誰もが、いつ病気になるか分かりません。

 人間を手段とせず、大切にする世の中を作りたいですね。

  ー X社Q部長のメールより

***

それにしても、こんなに出歩くことが多くては、どうにもならないし何も片づかない。ちょっと困った。

サバイバーズ・ギルトのこと、消防服とタイヤチューブの「アップサイクル」のことなど、書き留めておきたいが今はできない。

 


国のまほろば

2014-10-21 06:02:36 | 日記

2014年10月21日(火)

聞き手 「理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、現実的な議論をすることが、成熟した大人の態度と言えるんじゃないですか。」

内田樹 「それのどこが『大人の態度』なんですか?人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ、現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。」

 例によって歯切れの良い内田節である。「インタビュー」はカジノ法案審議開始をテーマにしているんだが、このフレーズは普遍性の高い言明だ。

 厄介なことに、カジノ法案を推進しようとしている現首相は彼流の「理想」実現を固く心に誓い、決してそこからブレようとしない。それに対抗するにはこれに負けない強靱な別の「理想」が必要で、「成熟した大人の態度」とかいって骨惜しみを正当化していると、コケの一念に手もなく寄り切られるのが目に見えている。

 「ならぬことは、ならぬのです。」

 あ~あ、まずは自分自身に、よく言い聞かせないと・・・

***

 木曜日にT君からたくさん教わった中の一つ、アイヌ語で水のことを「ワ(ッ)カ」と言うんだそうだ。稚内(わっかない)の地名はそれに由来するんだが、和歌山の「わか」もこれではないかとの説があるという。

 びっくりだがありそうなことで、非常に触発される。お隣の「奈良」は、韓国・朝鮮語で「国」を意味する「ナラ」と同根という説があるだろう。奈良・和歌山は日本の文化の源泉ともいうべき深奥の一帯、その地名に先住民の言葉と半島系の言葉が並んで残っているとしたら、何と不思議で素晴らしいことだろうか。

 日本の美しさはこういうところに由来する。カジノが栄え武器輸出で稼ぐ下品な国の、どこがどう「美しい」のか、どうにもさっぱりわからない。それは現実主義の果実などではなく、強固で偏狭な信念の要請だ。

***

 日曜日にS教会でしたのとよく似た話を、今日は同じ千葉のA市の講演会で話すんだが、日曜日は幼稚園の60周年記念行事、今日のは「人生100年時代の健康作りセミナー」というのが面白いだろう。世代を問わず人生航路を貫く、人として必須の教養に関わることだと威張っておこう。

 主催するNPO法人の名に「まほろば」が入っている。これも古く美しい言葉で、案外アイヌ語に通うものがありはしないかと直感・・・というより期待する。ヤマトとアイヌでは敵対的なようだけれど、「和歌山」の例もあることなれば。

 さしあたり下記、命数を限られた倭建(ヤマトタケル)、切々たる望郷の歌だ。

 倭は 国のまほろば

 たたなづく 青垣

 山隠れる 倭しうるはし

 


5日間

2014-10-19 05:58:24 | 日記

2014年10月19日(日)

 ブログを更新しないと、訪問者はテキメンに減るものだ。あたりまえだけど。

 やはり「数」を気にしている自分があり、そのみみっちさがイヤになってときどき止めにしてしまいたくなる。けれどここ数日はそういう訳ではなくて。

 水曜日、初のテレビ収録で自分でも驚くぐらい疲れた。

 木曜日、御茶ノ水から四谷まで歩き、T君と飲んだくれた。役に立つことや傑作なことをたっぷり教えてもらった。特に言い間違いの件、書いたものか書かないものか・・・

 金曜日、診療の後でイザベルさん、クチブエ君、勝沼さんらと勉強会で、好き勝手に放談させてもらった。

 土曜日、一週間の疲れたあるうえ、今日のことをいろいろ考え、怠惰にして落ち着かない一日。バザーの手伝いにも行かず。

 日曜日、5時30分起きでこれから成田空港近くまで出かける。N先生の赴任された小さな教会の、附属幼稚園60周年、そこでお話しさせていただく。

 書き留めたいことは山ほどあるが、そういうときに限って書き留める気力が残らない。多忙の中で克明な手記を遺した先人たちは偉いものだ。マルクス・アウレリウスなんかもね。

 天気は好し、行ってきます!