2017年9月11日(月)
> selfishと東京
> さっき『東京物語』のラストを確認する為にネットを色々見てたところ、この”ずるい”の英訳(英語版字幕)がなんであったかも見つけてしまいました。selfish だそうです。なるほど分からなくもないような微妙に違うような。。。
> 東京物語の長男長女家族の冷たさは私は都市部、特に東京が持つ魔力ゆえじゃないかなぁと思っています。
> 東京が冷たいというより、東京で暮らしていると田舎で暮らしてる人が別世界のように感じられてしっくり来なくて、うまくコミュニケーションが取れず邪険になってしまったというようなイメージの記憶が私の感覚としてあります。東京物語では東京の生活がせわしなさすぎてという部分もあったようにも見えました。
> この映画のタイトルが東京物語なのも、東京の魔力みたいなものがテーマだからかと勝手に思っております。
> 偶然ですが、東京(都市)とselfishに関連があるようにも思えます。
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勝沼さん、再度のコメント感謝。
これはもう、面白すぎる領域に入ってしまって、とても手がつけられません。 ブログ上ではこのあたりでいったん中断させていただき、あらためてじっくり語らいましょう。
予感としては、「selfish は『ずるいんです』に近いけれどとても意を尽くしていない」「東京と selfish の関連は面白いが、田舎は田舎で selfish でもあり、selfish のありようが違うのではないか」「selfish な田舎が消滅しつつある現在、東京は田舎抜きで selfish な東京たりうか」といったことが浮かんできます。
ええ、面白すぎます!
時に selfish を訳し戻すと「利己的」ですよね、「ずるい」と「利己的」が完全等号で結べないのが話のミソだと思いますが、ちょうど転記しようと思っていた文章に図らずも「利己的」の語が出てくるので、ここに御紹介します。「二十歳の水木しげるが出征直前まで考え続けた、死ぬ意味/戦争の無意味」と帯に対処されています。切なくも面白すぎる名著です。
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仏教は悟りをひらいて絶対境に入らむが為めに修行をする。
修行とは何か。利己に非ずや。金剛力とは何ぞ。何んの為の金剛力ぞ。誰が為の金剛力ぞ。道元言ふ、法の為め。
法とは何んぞ。法とは自己の裡に築かれた価値である。そのために自己を犠牲にすると言ふ……と言ふ事は、自己を幸にする。即ち、ある種の利己主義ではないか……ある人言ふ。法の力に依って萬人を救ふ。この故に吾を犠牲にす。之如何で利己主義か。心理学的に言って之と謂うも明白に利己主義なのである。
彼はかくすれば快なる故であると。
◯
だらだらしているとキリストにすまないような気がする。
彼はあれ程までに人間の事を思ってくれたのに……世人は泥棒をする、嘘をつく、人殺をする。
◯
「地の塩となれ」とは名言だ。真の基督教徒は、地上の塩位しかない。世が立っているのは義人がいるからだ。小数の義人こそ地の塩、即ち、神の国を造るおのである。
神の国とは人類の理想である。その理想を現在から未来へ渡すのが義人である。
そうして人類が神の国を造るまで伝へ伝へるのが義人なのである。義人とは基督教徒であるが、私は思ふ。真の基督教に非ざれば塩に非ずと。
ニセ信者はかへって真の基督信者を殺してしまふ。私は馬鹿信者をみて基督教など言ふにたらぬものと考へたが、真の基督教徒をみて、成程地の塩だ尊敬するにたると思った。
基督教は倫理であって学ではない。倫理、即ち人間の行ふべき道としては世界一の教へだ。
(水木しげる/荒俣宏 『戦争と読書』(角川新書) P.54-5, 昭和17年10月22日の日記から)