散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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点描④ ~ 蜂にもいろいろ種類があって/自家製カクテル「紫蘇栗毛」

2018-08-23 23:38:38 | 日記

2018年8月23日(木)

 偉そうなこと書いていたら、まんまと刺された。

 伸びすぎたアジサイをジョキジョキと剪定中、左手甲に例のツンとした痛みがあり、一緒に作業してた三男に「おい、やられた」「まじ?アシナガバチ?」「アシナガバチ」

 返事しながら「ん?」と自問、いつもより痛みが軽くないか?長身の三男が蜂の軌跡を目で追っている、その視線の先を飛翔する昆虫をトクと見れば・・・

 「脚、長くないな」

 「小さくない?」

 「小さい」

 アシナガバチより一回り小ぶりで脚の長くない蜂種、ただ巣の形状はよく似ている・・・ように素人には見える。庭で出会う蜂で刺すやつといえば「アシナガバチ」と決め込んでるのが浅はかで、アシナガバチにしたって一つじゃないのだ。わが家の庭のは、たぶんセグロアシナガバチ?

 ともかく刺された相手がアシナガバチでないことは、その後の経過が裏書きした。アシナガバチなら時間とともに刺し傷の周囲がパンパンに腫れあがり、48時間後には手がミトンみたいになる。今回はわずかに局所が膨隆しただけで、そう言わなければ気づかれない程度。ギ酸がベースなんだろうが、毒の強さがはっきり違う。ハチの種別を同定したいが、なかなかうまく検索できない。

 翌朝、今次帰省で初めて湿度が下がり強めの風が吹いた。「待てば海路の日和あり」というが陸上でも変わらない。諺が平凡に響くのは我々が都市生活に慣れているからで、日和を待つ知恵も忍耐も日和のありがたさも、自然の中でこそ痛感される。

 GWには手が付けられず、放ってあった3a(アール)地の草刈りにこの時とばかりとりかかったら、たて続けに二つ大きいのが見つかった。

 といっても、風にそよぐ柔らかな草に蜂は巣をかけない。砂の上に家を築くようなものである。ただ、イネ科の青草が生い茂る中に、ところどころ固い茎の草や小灌木が屹立していたりすると、これこそ格好の営巣地になる。固い茎の低いところに巣を営めば、覆いかぶさる青草が理想的な掩蔽を提供してくれる。

 つまり、こんな具合。

 右手に写っているような草原を刈り倒していったら、中央の固い茎の植物が埋もれていたわけだ。その茎に・・・

 これは成長途上のアシナガバチの巣。この少し後で見つかったのは、昨日刺されたのと同種のやや小型の蜂の巣。それぞれ茎ごととって来たのを並べて示す。

 向かって左がアシナガバチ、右が謎の小型バチの巣である。形状の違いもあるが、アシナガバチのほうが個室のサイズがはっきり大きく、巣をかけた草の茎の径も太い。こうして比べるにつけ、小さいとばかり思っていたアシナガバチの強さ大きさがひしひしと実感される。何より刺された後の痛みと腫れのケタが違う。

 アシナガバチの巣の右側に見える3個の黄色いものは、巣から這い出した幼虫である。既に蟻の寄ってきているのが小さく写っている。30分ほどして戻ってきた時には幼虫の姿は影も形もなく、蟻が運び去ったものと思われた。蟻にとっては思いがけない御馳走であったろう。

 なお、フマキラーの缶は大きさの目安に置いたもので、アシナガバチの巣を駆除する際に殺虫剤は使わない。高バサミがあれば十分で、むやみに殺虫剤を撒くのは蜂を興奮させて厄介なだけである。巣を失った蜂は母艦を沈められた艦載機と同じく、もはや何の害も為しえないしその力ももたない。キイロスズメバチなどは話が別かもしれないが。

***

 さて、これは何でしょう?

 これ非常な美味、とりわけ汗かいて仕事した夏の日の終わりには最適。色が写真では少しキツいが、実際はもう少し明るい紫、もちろん人工着色料は一切用いず。素材はというと・・・

 今年オオバはよく茂るが赤紫蘇が不作であったところ、御近所さんが分けてくれたので父が早速ジュースを作った(向かって右の瓶)。クエン酸がたっぷり入って酸味が利いているところに、ものは試しと南予特産の栗の焼酎を加えてみたら、素晴らしく合うのである。

 自家製のカクテル発明とはしゃぎ、さてこれを何と命名しようか。「ピンクレディー」が父の名案ながら、その名をもったカクテルは残念ながら既に存在している。ドライ・ジンをベースに、卵白とグレナデン・シロップをシェイクするのだそうな。なるほどモダンでハイカラだ。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/ピンクレディー(カクテル))

 とすると、こちらはやはり和の風雅か、ぴったりの名が見つかるまでさしあたり「紫蘇栗毛」とでも呼んでおこう。

Ω

 

 

 


点描③ ~ 梨の大馬鹿/トカゲのお宿/ミカン畑が脆弱な理由

2018-08-22 10:03:06 | 日記

2018年8月22日(水)

 草刈りも相当ほったらかした後なので、草の海の中から立木を掘り出すありさまである。

 敷地の西北隅で、ここは竹をも切り払いながらまた一本掘り出すと、鵞卵大から手拳大(今どき通じない?)の緑の果実が枝先に3つ4つ、「木は実によって知られる」とはよく言った、これまさしく梨ではないか。

 敷地内に多くの果実が実るが、住人の切なる願いをよそにいっこう実をつけぬ木もあり、その一つが梨だった。梨がまともな実をつけたのは近来記憶にない。やってきた次男が横で呟いた。

  桃栗三年柿八年 蜜柑は九年で生りはじめ 梅は酸いので十二年 梨の大バカ十八年 ♪

 僕は知らない、祖父から孫へ飛ばしパスで伝わった戯歌だが、何ほどかの真実を伝えるものかどうか。18年はともかく、梨が結果まで特に多年を要するという記事は見あたらないようである。そもそも戯歌そのものにバリエが多いらしい。曰く、「梅は酸いとて十三年む」「柚子は九年でなりかかる」「柚子は九年の花盛り」「柚子の大馬鹿十八年」「枇杷は九年でなりかねる」・・・

 『時をかける少女』(1983年公開、原田知世主演)の挿入歌では「柚子は九年でなりさがる」「梨の馬鹿めが十八年」とあったそうな。

 何でもいいや、ミカン類は別格として桃と梨に目がないのね。さっそく食べてみたら、これがなかなか旨い。市販のものほど甘みがなくて、いくらか青臭いが、庭生りと思えばまず上の部である。折しも千葉から届いた幸水と並べ存分に味わった。何という幸せ!

***

 写真に撮らせてくれないとボヤいたちびトカゲ、撮れた!

 尻尾が長い。これほど長くては不自由だろうと案じられるぐらい長い。切り離した際の効果を高める意味があるのだろうか。小昆虫などを餌とする捕食獣の端くれなのに、至って臆病で繊細な存在である。写真の右側に草刈り機の置き場があり、そこいらがねぐららしい。毎朝飛び上がらせているが、尻尾を切らせることがなくてよかった。

***

 帰省中には珍しく知人と会食することがあり、道後温泉の超有名な老舗に招待してくれた。この店のことは別として、かねがね豫州人はサービス業に向いていないのではないかと疑うところがある。残念だがエビデンスなら売るほどあるんだな。この夏も痛感、苦笑した。

 それはさておき、このコーナーは楽しい。何だか分かりますか?

 

 人形は額田王、その右は「塾田津に船乗りせむと月待てば・・・」の歌を散らしたものである。お人形の拡大像がこちら。

 ふっくらした古代美人である。塾田津(にきたつ)の所在に関する面白い争論について、当ブログに書いたのはもう5年前。こんな話になるとマニアックな豫州人の特性が生きそうだ。

 ⇒「秋/しまなみ海道/チャーチルと石原慎太郎」
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/8af3c0ba1dd5ff957f61053f9e14b5c4

***

 会食の帰途、これまた珍しくタクシーを使った。道後温泉から祝谷の山間を通り、前道後とも称される権現温泉への裏道をとってくれたので思いのほか速く、その間、年配の運転手さんは誘い水に乗りに乗って語り続けた。主としては7月の豪雨災害のことで、ミカンの木は根が浅いからミカン畑が土砂崩れに弱いのは理の当然だという。

 中予出身の運転手さん、若い頃に一年だけ熊本で仕事をし、その一年間に洪水を二度経験したとのこと。「九州災害履歴情報データベース http://saigairireki.qscpua2.com/kumamoto/」で探してみるが、ぴったりはまる年は見つからない。ただはっきりしているのは、震災も水害も昔から相当の頻度で起き続けているということである。

 温暖化や異常気象を嘆く前に、すべきことがたんとあるのだ。

Ω

 


点描② ~ 済美の健闘を喜びつつ甲子園に若干の懸念あり

2018-08-21 12:01:30 | 日記

2018年8月21日(火)

 中央学院(千葉)5-4  (109)

 星稜(石川)13-11    (184)

 高知商(高知)3-1   (121)

 報徳学園(兵庫)3-2  (57)・・・先発池内

 大阪桐蔭(大阪)2-5  (136)

 望外の大活躍、被災地含め愛媛全県が喝采しているに違いない。本当によくやった。星稜・竹谷、高知商・北代、報徳の小園や木村など、相手チームの選手らの顔も思い浮かべ拍手を送る。

 済美のエース山口直哉は準々決勝で池内の先発をあおいだ他は予選から全イニングをひとりで投げ抜き、甲子園での投球が計607球に及んだ。カッコ内が各試合の投球数で、星稜戦後には「投球過多」が問題になった。2013年のセンバツで先輩の安樂智大が772球を投げて準優勝に貢献したものの、その後に故障したことが引き合いに出されている。確かにあの年、決勝で大敗を喫した安樂はおよそ本来の出来ではなかった。

 愛媛野球の根性論なども話題になったが、1969年(51回大会)松山商 vs 三沢高校の延長18回再試合では、三沢が太田幸司の連投だったのに対して松商は第二エースの中村が投げており、別段愛媛野球の伝統の問題ではない。あたら好投手を故障に追い込みたくはなくファンとしては工夫を望みたいが、山口直哉はたぶん故障しない。投げ方は柔軟、精神が強靭なのである。淡路島出身だそうだが実に大した球児である。

 大阪桐蔭戦では明らかに限界に達しながら粘り強く投げ、連打を許さず失点を5で食い止めた。超・強打の大阪桐蔭相手に5点なら御の字で、勝てなかったのは攻撃側の問題である。1番矢野、6番山口、9番政吉と脇役が活躍するものの主砲に快音が聞かれず、監督采配も珍しくちぐはぐだった。前半のチャンスで強攻失敗を繰り返し、8回に3点のビハインドで4番が送りバントでは何をやってるのか分からない。

 ・・・などと、エアコンかけて気楽に眺めてる方は何とでも言える。ほんとによく頑張った、ありがとう。嘗て松山商は、地方予選では頼りないのに甲子園に出ると負けないと言われた。済美がその後を継いだかのようで、出れば必ず何かしら話題を作ってくれる。proud of YOU!

 (写真は https://n2-ch.com/sports/yamaguchinaoya/ より拝借)

 済美が決勝進出を逸して、実は安堵している自分がある。決勝の相手は金足農業、「東北悲願の大旗」「秋田県勢、第一回大会以来103年ぶりの決勝進出」で、済美は完全なアウェイ状況に置かれることになっただろう。春夏連覇を逸した2004年86回大会決勝の再現である。あの時、エース福井(現・広島カープ)、主砲鵜久森(現・ヤクルトスワローズ)ら済美のナインは、強力な駒大苫小牧打線に加え、後押しする5万観衆を相手につらい戦いを強いられた。東北を飛び越え北海道に初の優勝をと、にわかファンが無責任な肩入れできわめて不公平な状況を作り出していた。10対13、史上に残る打撃戦の公然たる裏事情である。今度はあの時よりもさらにひどいことになっただろう。

 秋田県人や東北の人々を難ずるのではない。この人々が金足農業を応援するのは、僕が済美に声援を送るのと同様に当然のことである。問題はどちらにも属さない「中立」な立場で、かつ球場まで足を運ぶ人々だ。この人々には実は重要な役割があり、両チームの選手に等しく声援を送ることによって、愛媛県人や秋田県人の一方的な思い入れを希釈緩和し、球場に和やかな見守りの空気を作り出すことが求められている。今回のように強いセンチメントが働く時こそ「中立」者の役割は重い。

 そのように「中立」なはずの観客が一方に肩入れしたらどうなるか。相手チームの一挙手一投足に温かい歓声が沸くいっぽう、自分たちのそれには小さな拍手と沈黙しか与えられないことが、球児らをどれだけ意気阻喪させ傷つけることか。判官贔屓などと言えばきれいに聞こえるが、実態は願望を無反省に投影した集団エゴイズムに他ならない。コロセウムで殺戮劇に熱狂した古代ローマの「市民」らと基本的に変わらぬ図式で、郷土の球児らがそんな場に立つのは二度と見たくない。

 「大阪桐蔭ならいいのか」と言われそうだが、こちらは地元関西のファンもあり、「史上初、二度目の春夏連覇」への期待もありで、さほど極端に傾くこともないはずだ。球場が両派に二分される危険はあるだろうけれど。

 もうひとつ、仮に決勝が「済美 vs 金足農業」ならば接戦は必至、それこそ決定的な場面で「9対5万」の構図が出現した公算大である。吉田は超・好投手だが、済美の山口、高知商の北代と並んで予選からただ一人で投げ抜き、疲れていないはずがない。大阪桐蔭相手では2013年センバツの安樂同様、思いがけず差が開く可能性もあり、その場合は集団エゴイズムも発散の機会を失うだろう。

 まもなくプレイボール、甲子園に平安あれ。

Ω


インターミッション 〜 星先生のブログがカッコいい

2018-08-21 09:41:37 | 日記

2018年8月21日(火)

 点描開始早々のインターミッション。

 モンゴルから戻った知人、今度は佐渡へ転戦している。その滞在中に、曽我ひとみさんらが拉致問題解決を訴えて佐渡で署名活動を行うということがあり、知人も署名してきたという。

 天の川荒海越えて結べよや

 ちょっと驚いたのは、知人からの便りに星元紀先生が登場したことである。組み合わせには特に不思議もないが、この日その場所におられることは予測の他だった。

 星先生は動物学者、元放送大学教授、業績等について僕は語る立場にないが、そのお人柄というか居住まいというか、存在の大きくおおらかで真っ直ぐなことについては、いささか知るところがある。

 ふと思いついて検索したら、下記ブログに行き当たった。当方のような漫然とした日記ではない、テーマに沿って深く掘り下げていく力技の稽古場である。ただちに理解できるような安直なものではない、しばらくはこれで勉強してみようと思う。

 「書き逃げアンドロイド」(https://blog.goo.ne.jp/static-foo)、お人柄の温順と対照的なズバリバッサリの書きっぷりがまたカッコいい。

Ω

 


点描① モンゴル便り

2018-08-19 10:44:17 | 日記

2018年8月19日(日)

 あっという間に一週間経過した。いろんなことが起きるほど書くことにあてられる時間は少ないから、過ごした時間が豊かであればあるほど記載は薄少になる理屈である。人生の基本的なジレンマと言いたいようなもので、比べては申し訳ないがマルクス・アウレリウスをはじめ多忙の中で多くを書き残した人々の、才能と意志と体力には驚くばかりである。

 及びも何もつかないが、せめていくつか点描しておこう。

***

 知人の中に、最近頻繁にモンゴルへ往復している人がある。観光ではない研究が目的・・・には違いないが、その頻度と熱意が尋常ではない。彼の地で調査や講演などしているうちに、向こうの人々からすっかり気に入られたというのが実情らしく、明敏な知性と共感性が国境に限定されないことを示している。求婚されることなどもあったらしいが、これは丁重に謝絶したとのことであった。

 この人が今年何度目かの訪蒙から帰り、こんなメールを送ってくれた。読んだのが8月15日の未明、終/敗戦と特段の関連もないようでいて、そうは言い切れないものを何かどこかに感じている。許可を得て転載。

***

 モンゴル出張から戻りました。モンゴルでは気が張っていましたが、戻ったとたんに体調を崩しました。激しい頭痛とめまいで寝込んでいました。

 おかげさまでだいぶ復活したようです。返信が遅くなり失礼しました。

 今回は(も)携帯の電波も入らないようなところで、ゲルで寝泊まりする等、かなりハードなフィールドワークでした。洪水被災地の調査のほか、バグ長(自治会長のようなものです)達と防災推進についての意見交換もでき、とても有意義な出張となりました。

 ゲル泊では、トイレなし、水道なし、洗面なし、風呂なし、プライバシーなし、清潔感なし、乳搾りあり、羊解体あり、昼間からウォッカ飲みあり、といった日本ではありえないことが日常です。

 夜は周りに明かりも人工物も一切なく、標高がたかいため、地平線まで無数の星が煌めいていました。あんなにリッチな天の川をみたのは生まれて初めてです。星に手が届きそうな、星をこの手ですくい取れそうな、それくらいの星空でした。あまりの美しさに日本人が大いに感動していると、それを現地のひとは不思議がるのです。

 太陽が上ると、真っ青な、どこまでも真っ青な空!その下にやはりどこまでも続く緑の草原には、ゆったりと草を食む羊や山羊たち。

 便利さとひきかえに失ったものはあまりにも大きいと、つくづく思いました。

***

 空の青さ、海の青さの分、郷里の山野はほんの少しモンゴルに近い。松山市内から訪ねて来た人が、わずか20kmで空気がこれほど清澄になるかと驚くほどである。慣れるにつれ、つい上下水道の不備をはじめとする不便の方を意識しがちになるが、それを抜本的に変えようとすれば必ず別のものを失うことになる。我に返る思いがした。

 不便さと引き換えに与えられているものに感謝して、魂を養うようこころがけます、と返信。2018年8月15日の感慨。

Ω