プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

インド最南端・コモリン岬

2009-04-02 17:15:47 | インド編(南アジア&アラビア半島カヤック

※インド編(南アジア、アラビア半島カヤックトリップ)の続き記事。

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 インド最南端・コモリン岬。 

 ベンガル湾、インド洋、アラビア海と、3つの海が出会う岬。ベンガル湾をはるか東に向かうと、マレー半島やインドネシアの島嶼群に行き着く。アラビア海をはるか西に向かうと、アラビア半島やアフリカ大陸にたどりつく。そしてインド洋をはるか南に向かうと、南極までひたすら海が続いてゆく。  

 太陽光線に照らされてきらきら光るここの海面を見つめてると、なぜか心の中がシュワーっと泡立ってきて、いてもたってもいられなくなってきました。

 インド亜大陸最南端・コモリン岬はいつか行かなきゃなと思っていた場所です。アイランドストリームのホームフィールドとしている紀伊半島や熊野に関する本を読んでいると必ず「補陀落渡海(ふだらくとかい)」って風習の話が出てきます。熊野の大海原の向こう、海上遥かかなたには観音浄土の理想郷があると大昔から信じられていて、古来より那智勝浦近くの補陀落山寺の住職などがそこへ向かって死の船出を行うという風習がありました。で、その奇妙な風習の説明のときに必ずこのコモリン岬が出てくるわけです。  

 補陀落(ふだらく)の語源は古代インド・サンスクリット語の「ポータカラ」から来ていて、南インド最南端のコモリン岬のはるか向こうの南方海上に観音浄土「ポータカラ」が存在するという信仰があり、それと熊野の補陀落渡海との関連があるとされています(ちなみにチベットのダライラマが住むポタラ宮というのも語源が同じです)。また南方の水平線の向こうに理想郷があるという概念は世界中いたるところにあり、沖縄ではニライカナイ、ケルト民族ではティル・ナ・ノグ タヒチではハワイキ、などと名前や表出の形は違うけれど、水平線の向こうのr理想郷というかポジティヴなフロンティアみたいなものののヴィジョンは共通していて、それらすべてにすごく普遍性が感じられるわけです。  

 で、ぼくもシーカヤックとかやってて水平線をずーっと見つめる機会がたくさんあるので、それらは簡単には口で言い表せないけれどなんとなくわかるところがあるというか、ピンと来るものがあるなあという想いや感覚を、ずっと持っていました。ほんと、感覚の世界で、言葉に言い表せないんだけどね。  

 で、念願かなってここコモリン岬に立って、大海原のはるか向こうの人間とか魚とか動物とか昆虫とか歴史とか未来とかカルチャーとかほかいろんなことに想いを巡らせていると、心の中で色んな想いがシュワーっと炭酸みたいに泡立って、やばいくらい胸がキューンとなってしまいました。

 ・・・・・って、なんか意味分かるようで分からん感じだけど こういうのもひとつのプラネット感覚ってやつかもしれません。

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↑ 結構風が強かったですね。ベンガル湾方面から来る風。ちなみにこの近くにやたら大量に風力発電の風車が回っている場所がある。

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↑ 岬の沖合にこんな小島があるけれど、そこはヒンドゥーの教えと社会正義の概念を融合させた偉い思想家、スワーミー・ヴィヴェーカナンダ(1863~1902年)が瞑想した場所だということで有名な聖地となっている。もちろんそれ以前、はるか古代から様々な行者が瞑想を行った場所でもあります。なお右のほうの小島に巨大な像がそびえているけれど、それはヴィヴェーカナンダのものではなく、詩人のティルヴァルヴァルという人のもの。

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↑ 沐浴する人々。

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↑ インド全土からやってきた、おびただしい人々。

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↑ 聖なる沐浴場だけど、実はものすごく臭い。そこらに糞小便をdoingしちゃう人たちがたくさんいてそれがそこらに残っていて、また海水もあんまりきれいではなく、異教徒であるぼくは海に入る気がしない。こういうのがヒンドゥーの聖と俗ってやつなのだろうか。

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↑ なかなか凄みのある景色ではある。

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↑ このアニキたちは全員手にポップコーンを持っていておかしかった。

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↑ 一種の観光地的ににぎわうカニャークマリ町。

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↑ そこらで店を広げてるおばちゃんも多かった。

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↑ 香辛料とかの露店はしぶかったな。

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↑ センスがよく分からん、かなりでかい像。

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↑ 奈良の大仏みたいなものか。

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↑ アラビア海に沈んでいく夕陽はすごかった。

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↑ みんな夕陽を見つめ、沈んだらさっさと帰っちゃうけれど実は夕日が沈んでからしばらくの薄暮の時間帯が最も美しいのである。刻一刻と色彩が変わって素晴らしい。

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↑ 朝日はベンガル湾の向こうから昇ってくる。雲の合間からビームのように広がる太陽光線がよかった。


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南インドの風

2009-04-02 12:17:59 | インド編(南アジア&アラビア半島カヤック

※インド編(南アジア、アラビア半島カヤックトリップ)の続き記事。

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 南インドはバスの交通網が比較的発達していて、町から町へはバスで移動しました。と言ってもどこもかしこも穴ぼこだらけの道で、ガンガン揺れまくります。窓はあけっぱなし、ばかでかい音のボリウッド系音楽(インド映画でかかってるポップス)が朝も夜も車内で炸裂している、運転手は絶えずクラクションを鳴らしながらのめちゃくちゃアグレッシブなヤクザ運転・・・、ということでなかなかハードでした。なんとフロントガラスのないバスにも乗りました。事故でフロントガラスに亀裂が入ったので「しゃらくせえ」と、ハンマーで叩き割った後だったのでしょう。車内通路にガラスの破片が散らかってました。しかし誰もあまりそんなこと気にしません。同じように自分たちの食べたヒマワリの種とかをそこらに撒き散らしてらっしゃいました。また、ぼくはフォールディングカヤックという重い荷物を背負っていますので、バスに乗ろうとすると必ず、「車内に置くのは無理だから屋根に乗せろ」と言われました。屋根なんかにのせるのは面倒だし落っこちちゃっても無視してそのまま走っていくお国柄なので、「おれは荷物を屋根に載せるカーストじゃねえ、やるならお前がやれ、落ちないようにきちんと縛り付けておくんだぞ」とかうそぶいて結局強引に車内に置いてました(インドではカーストによって職業が細かくかつ厳然と分かれている)。運転席の横あるいは最後尾座席のちょっとした場所にのみ置けるスペースがあるのですが、運転席の横はとかくドライバーがめちゃくちゃ無謀な運転するのでこわすぎ、一方最後尾座席は揺れすぎ、という究極の選択でした(荷物から目を離して違う場所に座ると、盗まれる恐れがある)。そんな中でたとえば300キロ程の距離を10時間くらいかけて移動するのですが、慣れてくると全然苦痛じゃなくなりました。車内で庶民のおっさんとかとしゃべるのは面白かったし、砂煙をもうもうとたてながら途中の田舎町のバススタンドに入っていき、周囲にガイジンはおれ一人という中で奇異の目をあびせかけられながら(インド人は人を死ぬほどジロジロ見る癖がある)屋台で甘いコーヒーをすすったりするのは味わい深かったし、そして何よりも開け放った窓から入ってくる風が最高に心地よかったのです。

 大陸の風というよりも、島の風というか、海洋性の湿り気と爽やかさを帯びた風のように感じました。南に下っていけばいくほどそれを感じました。ベンガル湾から吹き、インド洋を通って、アラビア海に吹き抜けてゆく風。朝も、昼も、夜も、ぼくは南インドの風が大好きになりました。だからバスの移動はほんとに楽しかったです。どうでもいいことに思えるかもしれませんが、やはりぼくはカヤッカーですね。そこんところにものすごく敏感なんです。

 一方、ある区間では高級寝台列車なんかに乗ったりしましたが、ダメでしたね。エアコンを効かせるために窓を完全密封することにより、どこかで誰かが食ってるカレーのにおいとかおっさんの足のにおいとかが充満しどこにも流れてゆかず、すごく気持ち悪くなってしまいました。ぼくはどうやら猥雑な庶民文化と、自然のナチュラルさが好きなようです。

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↑ 日本円にして500円~1000くらいの宿に泊まってました。

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↑ 南インド最大の都市・チェンナイ近郊の海。海水浴してるけどみんなあんまり泳ぎが得意じゃなさそう。

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↑ 7世紀半ばころに建てられたマハーバリプラムの有名な海岸寺院。風波にさらされ続けひなびた感じがすごくよかった。

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↑ マハーバリプラムは海岸線にレストランや安宿が林立していましたが、2004年のスマトラ島沖地震の際に津波の被害が大きかったところです。このタミルナードゥ州では8000人が亡くなっている。この写真のように津波前と遺族の写真を飾ってある海辺のレストランも目につきました。

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↑ 海岸寺院に観光にきてるアニキたち。

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↑ 一番津波の被害を受けたのは漁師ですが、彼らの救済施設がところどころに見受けられました。

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↑ 道端で繰り広げられるヒンドゥー教の庶民的儀式。耳に残るコール&レスポンスの歌声と原色の色彩感覚に強烈な土俗性を感じました。こういうノリもまだ生きてるんだな、と。

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↑ そこらに売っている油ギトギトの魚。何を食ってもカレー味。

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↑ マハーバリプラムは岩面彫刻が有名ですが、他の場所のように神様像や女神像を精緻にうやうやしく刻んだ感じではなく、民衆の生活臭と神話性が同時に感じられるタッチで面白かった。

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↑ クリシュナのバターボールといわれる岩。ゾウが引っ張っても落ちないそうです。

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↑ 大みそかは地元の孤児50人と一緒に過ごしました。この日のために練習した歌や踊りを披露してくれました。

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↑ コブラ使いのおっさんの右横でカメラを構えてるアレックス君というアメリカ人のアニキと友だちになり、このあと飲みながら色々話をした。オバマ大統領の話とかパキスタンとインドの関係とか、なかなかのインテリ大学院生だった。結局みんなシーカヤックして平和な気持ちになればええねんというところに落ち着いた後、2008年が終わり2009年の幕があけた。

 2009年があけると、アレックス君は先祖のルーツをたどってアフリカのナミビアに向かい、ぼくは南インドをさらに南下していきました。


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