プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

ポータカラ

2010-01-18 22:01:34 | アート・文化
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 前回、前々回の記事の続きで話させていただきますが、まあそういうわけで、想像力の問題で、シーカヤックを漕いでて、もしここで海が荒れてきたりしたら怖いだろうな、なんて意識も心の片隅で常に働かせていたりもします。またおかげさまで世界のあちこちへカヤックトリップする機会にも恵まれているわけですが、もしかしたらいつか行くことになるかもしれないし、あるいは何らかの拍子に自分がその場にいたかもしれないということで、ハイチの地震のことがかなり気になっている次第です。シーカヤッカーとして、荒れた海に身を置くとほんとに怖いっていうのの延長線上で、地震で家とかが倒れてきたらとんでもなく怖いし痛いだろうなと考えてしまいます。気の毒でなりません。

 今日の朝日新聞朝刊を見ていると、15年前の神戸の震災関連の記事が「忘れないで語り継いでゆこう」という論旨で何面にも渡って掲載されていたけれど、一方ハイチ地震の記事はほんの少々といった具合だった。
 現時点で起こってる地震災害だぜ。
 誤解しないでもらいたいのは神戸のことを取り上げることをうんぬん言ってるんじゃなくて、その文脈でなぜハイチへの想像力に繋げた紙面にならないのか、ということだ。そのバラバラ感に、とりあえず感が匂った。
 冗談きついというか、一種のブラックジョークかと思った。

 ※写真は、インド最南端コモリン岬に行ったときのものです(前々回の夕日の写真も同じです)。ここでは海上はるか彼方に観音浄土の地「ポータカラ」があるという信仰が古代からあり、数多くの人たちが平和への祈りをささげたという場所。これにちなんで海のはるか彼方で起こったハイチ地震の犠牲者の冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興を願ってやみません。


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リアリティ

2010-01-18 21:31:24 | インポート
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  シーカヤックであちこちをトリップしてるとふと「ここは以前訪れたあの場所にそっくりだなあ~」という、いわゆるデジャヴ的感覚に陥ることがある。見た目からしてそっくりな場合もあるし、見た目だけではなく、空気全体の質感、色彩、音、におい、湿度、地形の丸みの帯び具合、あるいはゴツゴツした岩々の心に迫りくる臨場感などなど、フィーリング・体感的記憶が喚起され、ハっとさせられることも非常に多い。まあそういうデジャヴ感って普通に旅してるとよくあることだろうけど、やはりカヤックという乗り物は感覚を研ぎ澄まさなければ危険が伴う野性の遊びだという側面があるからか、その体感的リアルさがより生々しく心に響いてくる印象がある。CDと生演奏の違いみたいなもので、シーカヤッキングは最もライブ感の強いスポーツだと思う。で、その感覚を意識しているとただ美しいだけですぐに忘れてしまいがちな景色も、「ここは5年前に訪れたあそこに良く似てるな」といった感じで心のフックに引っかかり、なかなか忘れがたいものとなる。またさらに「ここに似たあそこは2年前に訪れたあそこにも何となく似てるな」とか色々想像し、そういうのを延々繰り返していると、理屈とすれば、可能な限り世界中のフィールドが自分の感性の中で繋がり、広がっていくこととなる。
 実際こういう意識を持ってるとなかなか忘れず覚えているし、というか経験値のストックが金持ちの預金通帳のようにどんどん増えていくし、今ここの一瞬一瞬が過去の記憶と未来のトリップを変革していくわけだから毎回毎回アンテナがビンビン感応するようになるんだよ。おまけに金やモノ、あるいはコモディティ化(陳腐化)した知識やアイデアは誰かにパクられる危険性があるが、この経験知は絶対に盗まれない。己のオリジナルな財産だ。
 だからできるだけフィールドに出たほうがよい。
 いわゆるひとつのプラネット感覚。
 感性の世界地図。
 (ちょっと理屈っぽくて分かりにくいかな・・・。より分かりやすい例として、去年行ったアラビア半島マシーラ島南部の記事でもそのことに触れていたことを思い出しましたので、リンクしておきます。http://blog.goo.ne.jp/islandstream/d/20090425

 さて上の2枚の写真ですが、上のやつは和歌山湯浅湾・やびつ海岸の「やびつの宝石」と呼ばれている浜の写真。で、そいつと見た目も、そして感覚的にも非常によく似た趣がある場所が下の写真で、これはこの前初漕ぎで行った高知のとある海岸のやつ(写真ではあんまり似てねーかな)。似ている中にももちろん違う部分があって、一番の違いは、上が砂浜なのに対し、下が小石の浜になっているところだけど、これは波の強弱による。波が弱いところでは細かい砂まで流出せず残り、一方比較的波の強いところでは微細な砂は奪い去られ、比較的重みのある小石ばかりが残るようになる、さらにめちゃ波の高いところではもっとでかい石しか残っていない浜になるのだ。
 こういう目線がシーカヤックの面白さと同時に、ふとした危険を回避するときの洞察力にも繋がる。


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