先日ちょっと熊野本宮大社に行ってきたのですが、
熊野三山(本宮、新宮、那智)の中でも最も中核、コアの聖地に当たるのが、
本宮大社そばの大斎原(おおゆのはら)。
今でこそここではなく、北西部の高台に本宮大社があるのですが、
明治時代までは熊野川・音無川・岩田川の合流する川の中州である、
この大斎原こそが本宮大社なのでした。
ちょうどこの上の絵がそうなのですが、
参詣者は川を渡って、必然的に水垢離をして参拝する格好になっていました。
それが明治22年の大水害で全てが流され、
ちょっとこの場所ではまずいだろうということで、
現在の高台に移動したというわけです。
だけどこっちの方がだんぜん聖地って感じだよなあ。
そのことはいろんな人が言っているのですが、
たとえば、かの岡本太郎は「神秘日本」という著書で、
「時々大水で洗われてこそ野性たる熊野の聖地の真髄、凄味が出る。大斎原に比べて、高台にある現在の大社は、いくら居住まいを正そうともその官僚主義的虚しさはぬぐえない」
と見事なまでにぶった切っていました。
中上健次は、大斎原では磁気が異様で、電子機器が狂う、
時空の歪んだ場所だと言っていました。
そもそもは、神代の時代に3つの月が降りたった場所とも言われています。
いずれにせよ、世界遺産にもなっている熊野の聖地のラスボス、
根源、中核たる場所がこの大斎原なのですが、
この絵の形、誰が見てももろに女性器の形をしている。
もちろんスケベエな、卑猥な意味ではなく、
地母神的な、すべてを生み出す源という意味で、
そのように見立てられ、聖地としてまつられているのだ。
このそばに「産田神社」というのがあって、
イザナミノミコトがまつられているのですが、
イザナミはそもそも日本神話において、
日本列島の島々を生み、
またアマテラス、スサノオ、ツクヨミといった神々を生み出していった母神的存在ですね。
それを祀っているというのも興味深い。
黄泉(よみ)とか常世(とこよ)とか死者の国とか言われる熊野ですが、
「生命を生み出す根源」。
それが熊野という聖地の大元の性質で、
中世から近世にかけての熊野詣とは、
象徴的に古い自分を捨てて新しい自分に生まれ変わるとか、
黄泉(よみ)の国に帰って再び蘇る(よみがえる)とか、
そういう復活、再生の意味が付与されていたトリップだったわけですね。
(湯峰温泉の小栗判官のストーリーなんてまさにそう)
それを支えるのがやはりこの熊野の自然、野生力。
それは感覚的なものだから、
行ってみないとわからない。
逆に時代を越えて存在するものだから、
その場所に行くことによって誰でもわかる。
あえていうと、車でサーっと聖地に乗り付けるよりも、
山を歩き、川を渡り、海を漕ぎ、
全身を使って体感することによってこそ実感できるものだ。
自然力、野生力を感じることによって、いや同調することによって
忘れかかっていた自らの生命力を取り戻し、再び日常へと帰ってゆく。
それが日本の原郷たる熊野信仰のエッセンスなのだ。
で、ちょっと余談になるけれど、
下の写真は串本の潮岬灯台下の黒潮がぶち当たる場所。
日本神話上で、オオクニヌシノミコトと一緒に国造りをしたスクナビコナノミコトが帰っていった常世がこの海の中にあると言われています。ぼくはここが実際の熊野の野性力、自然力のクライマックスの場所だと思っているのですが、ここは大斎原の女性性に比して、「大倉島」という岩の連なりが男性器に見え、その先からエネルギー(潮)がほとばしっているように見える。岬のことを英語でペニンシュラとはよく言ったもので、本州最南端のペニンシュラの先から黒潮がほとばしっている。
そこが黄泉、常世の国。
大斎原と潮岬。
産み出すということのメタファー。
日本神話の想像力ってスケール大きくて、面白いなと思う。
一言でいうと、大いなる生命讃歌なんだな。
熊野でアウトドアすることって、そういう世界観に如実に触れるってことでもあるんだ。