プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

熊野のエッセンス

2015-09-04 23:05:17 | 熊野

 先日ちょっと熊野本宮大社に行ってきたのですが、
 熊野三山(本宮、新宮、那智)の中でも最も中核、コアの聖地に当たるのが、
 本宮大社そばの大斎原(おおゆのはら)。

 今でこそここではなく、北西部の高台に本宮大社があるのですが、
 明治時代までは熊野川・音無川・岩田川の合流する川の中州である、
 この大斎原こそが本宮大社なのでした。

 ちょうどこの上の絵がそうなのですが、
 参詣者は川を渡って、必然的に水垢離をして参拝する格好になっていました。
 それが明治22年の大水害で全てが流され、
 ちょっとこの場所ではまずいだろうということで、
 現在の高台に移動したというわけです。

 だけどこっちの方がだんぜん聖地って感じだよなあ。
 そのことはいろんな人が言っているのですが、
 たとえば、かの岡本太郎は「神秘日本」という著書で、
 「時々大水で洗われてこそ野性たる熊野の聖地の真髄、凄味が出る。大斎原に比べて、高台にある現在の大社は、いくら居住まいを正そうともその官僚主義的虚しさはぬぐえない」
 と見事なまでにぶった切っていました。
 中上健次は、大斎原では磁気が異様で、電子機器が狂う、
 時空の歪んだ場所だと言っていました。
 そもそもは、神代の時代に3つの月が降りたった場所とも言われています。 

 いずれにせよ、世界遺産にもなっている熊野の聖地のラスボス、
 根源、中核たる場所がこの大斎原なのですが、
 この絵の形、誰が見てももろに女性器の形をしている。
 もちろんスケベエな、卑猥な意味ではなく、
 地母神的な、すべてを生み出す源という意味で、
 そのように見立てられ、聖地としてまつられているのだ。
 
 このそばに「産田神社」というのがあって、
 イザナミノミコトがまつられているのですが、
 イザナミはそもそも日本神話において、
 日本列島の島々を生み、
 またアマテラス、スサノオ、ツクヨミといった神々を生み出していった母神的存在ですね。
 それを祀っているというのも興味深い。
 
 黄泉(よみ)とか常世(とこよ)とか死者の国とか言われる熊野ですが、
 「生命を生み出す根源」。
 それが熊野という聖地の大元の性質で、
 中世から近世にかけての熊野詣とは、
 象徴的に古い自分を捨てて新しい自分に生まれ変わるとか、
 黄泉(よみ)の国に帰って再び蘇る(よみがえる)とか、
 そういう復活、再生の意味が付与されていたトリップだったわけですね。
 (湯峰温泉の小栗判官のストーリーなんてまさにそう)

 それを支えるのがやはりこの熊野の自然、野生力。
 それは感覚的なものだから、
 行ってみないとわからない。
 逆に時代を越えて存在するものだから、
 その場所に行くことによって誰でもわかる。
 あえていうと、車でサーっと聖地に乗り付けるよりも、
 山を歩き、川を渡り、海を漕ぎ、
 全身を使って体感することによってこそ実感できるものだ。
 自然力、野生力を感じることによって、いや同調することによって
 忘れかかっていた自らの生命力を取り戻し、再び日常へと帰ってゆく。
 それが日本の原郷たる熊野信仰のエッセンスなのだ。

 で、ちょっと余談になるけれど、
 下の写真は串本の潮岬灯台下の黒潮がぶち当たる場所。
 日本神話上で、オオクニヌシノミコトと一緒に国造りをしたスクナビコナノミコトが帰っていった常世がこの海の中にあると言われています。ぼくはここが実際の熊野の野性力、自然力のクライマックスの場所だと思っているのですが、ここは大斎原の女性性に比して、「大倉島」という岩の連なりが男性器に見え、その先からエネルギー(潮)がほとばしっているように見える。岬のことを英語でペニンシュラとはよく言ったもので、本州最南端のペニンシュラの先から黒潮がほとばしっている。
 そこが黄泉、常世の国。
 大斎原と潮岬。
 産み出すということのメタファー。
 日本神話の想像力ってスケール大きくて、面白いなと思う。
 一言でいうと、大いなる生命讃歌なんだな。
 熊野でアウトドアすることって、そういう世界観に如実に触れるってことでもあるんだ。 

 


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最高の季節

2015-09-04 22:41:53 | イベント

  さて、9月に入りましたが、ぼくは個人的に真夏よりも断然好きで、
 やっと落ち着いて海や自然を楽しめる季節に入ってきたなという感じです。

 ただ海水浴するだけならば、気温、水温共に高い梅雨明け~お盆にかけてがピークとなりますが、アウトドアを楽しむ、自然を味わうという意味においては真夏はいかんせん暑すぎ、太陽光線がギラギラしすぎて風情がなさすぎる。そして何より海辺に人が多すぎる(シーカヤックでサーっと行くと人のいないところに行けるけどね)。

 やっぱり静かに、メローに、じっくり自然と対話しながら遊ぶのが何より素晴らしい。ということが改めて実感できる季節です。なにも枯れたジイサン的趣味ではなく、ガンガン遊び倒すという観点からも、ガヤガヤ・ゴミゴミしているより静かな方がいいんだ。

 海そのものはまだまだ水温が高く(海は比べて1〜2か月ほど遅れて季節が推移する)、気温は落ち着いてくるこの時期。
 夏の終わりから秋口にかけての、どこか透明性を帯びた空気感。 
 いいよなあ。

 ただ台風シーズンでもあるのと、あと、秋雨前線も発生しやすい季節。
 雨の海ってのも、これまた風情あるのだけれど、
 濡れると一気に体温が下がってしまう恐れもあるので、
 フィールドに出るときはパドリングジャケットやレインウェアの携行は忘れずに。

 晴れていたら暑いし、雨が降ると寒い。
 数十分のうちに体感気温が30度くらい一気に変化する時期でもあるのでね。 


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東条雅之「祝福の海」上映会無事終了

2015-09-04 22:04:37 | 湯浅湾ツアー

 先日行いました、東条雅之監督の映画「祝福(いのり)の海」野外上映会は、
好評をもって終えました。

 自然、生命と共生する生き方を実践する人々の
 暮らしぶりや言葉から紡ぎだされたドキュメンタリー映画。

 心地よい夏の終わりの海辺の夜。
 コオロギや鈴虫といった虫の鳴き声、
 そして潮騒と雨音を聴きながら、
 味わい深いひと時を過ごせました。

 上映後の東条監督を交えた座談会でも、
 参加した皆さんの感想なども聞けて面白かったです。 

 閉塞感に満ちた3.11後の日本。
 だけど新しい発想、新しい方法、
 新しい生き方、新しい世代も、今この瞬間に生まれていて、
 それはマスメディアなどで取り上げられることはないけれど、
 やがてそれらが少しずつ世の中を変えていくんだろうなという
 予感みたいなものを、この映画を見て感じる。

 そして21世紀は自然の時代。
 特に自然とのかかわりの中で、
 そして小回りの利く 「個人」という単位で
 New way, New life が次々と生まれくるのだろう。 
 その中にこの時代を生きる自分もいる。
 だから閉塞感に押しつぶされている暇はない。 


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