辺野古の土砂投入強行もそうだけど、それに限らず世の中全体を見渡しても、いよいよ日本もヤバイ状況に突入したなあという感じが、皮膚感覚的にする。
21世紀ももう5分の1がすぎようとしてるけど、振り返るとますます新自由主義という仮称を被った強欲非情資本主義の猛威に拍車が掛かっている。
21世紀に入る直前、「21世紀は環境の世紀、自然との共生が尊ばれる世紀になるだろう」なんて言説をよくメディアなんかで耳にして、ぼくもてっきりそういう時代になっていくだろうなんて思っていた(シーカヤックを始めたのもちょうどその頃)。なぜなら、人類史をひもとくまでもなく、そうじゃないと人類も地球も破滅していくのは明らかだから。地球は有限で、一方人間が増えても変わらず大量消費・大量廃棄を続けていくとどうなるかは、別にインテリじゃなくても小学生でも、考えれば分かる。そういうわけで21世紀には20世紀の反省を踏まえて、経済なんかも「環境」「自然」を中心的キーワードにしての発展、技術革新が図られて新しい豊かさが生み出されていく非常に面白い世紀になるんだろうな、と思っていた。
でも実際21世紀に入って、5分の1過ぎてみると、この有様。環境の世紀や自然との共生なんて価値観は、マスメディアではほとんど見ることがなくなった。逆に悪い意味での「地球の有限性」が強調されることになった。つまり、完膚なきまでに富が強者に集中するという世界。
世界の富の8割は1%のスーパーリッチが保有している現実。
今の日本市場も、縮小した有限パイの分け前をいかに自分の所に持ってくるか、というところで回っている。
実際目にすることがないだけで、貧困層というのもとんでもなく増えている。
日本の20代の人らに聞くと「安倍政権の何が悪いねん」と支持派が6割を越えると言うけど、ほんとはもっときちんとしたヴィジョンを持ったリーダーならば、もっと豊かで生きやすい世の中、明るい未来になっていたといえる。また、水道民営化にしろ種子法廃止にしろ、結局強欲非情グローバル企業に金庫の鍵を渡すようなもの。過去の南米なんかをみればよく分かる。ま、安倍どうこうというより、安倍は単なる傀儡だからといってしまえばそれまでだけど。
ミルトン・フリードマンというシカゴ学派の経済学者を祖とする新自由主義という名の強欲非情資本主義の正体って、洒落にならんくらい、常識では考えられんくらいえげつないもんやと思って丁度だろう(ほんとは自由ってそんなもんじゃないが、自由という言葉に汚名が着せつけられている。ちなみにグローバリズムというのも、言葉の意味としてはおかしい)。
ほんとはきちんとしたヴィジョンで政治経済が回ってれば、もっと豊かで、暮らしやすい世の中になってたはず。
ということを意識しながら、個人としての有意義な道を探っていきたいものだ。