昨日、和歌浦をカヤッキング。
和歌川の河口部に砂が溜まって砂嘴状になった場所で、今はコンクリートが多いですが、人工物のない大昔には風光明媚な景勝地として万葉集にも詠まれています。
「若の浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴きわたる」山部赤人
河口の干潟に潮が満ち込んできて、水辺の芦原でエサをついばんでいる鶴(おそらくシラサギかアオサギ)が鳴いている、という超なにげない、なんの変哲もない情景が詠まれています。ですが、実は日本全国、この干潟というものがどこもかしこも埋め立てられてしまっていて、その超なにげない、なんの変哲もない、だけど風情ある情景が稀有なものになってしまっています。
ここ和歌浦では、それが辛うじて残っていますが、いかんせん水質がよくなく、健全な干潟とはいいがたいものがあります。しかし干潟とは生き物のゆりかごであり、生物多様性の源泉でもある、また水質を浄化する空間でもあってなくてはならないものです。海という自然にとって、干潟に棲む微生物の働きが大事なんですね。
戦後の経済発展最優先の社会状況では、なんの意味もないものとして軒並み埋めたてられてしまったわけですが、時代がかわり、生物多様性と水質浄化に寄与する干潟の重要性が取り沙汰されるようになってきました。そしこれからその価値はますます高まっていくと思われます。
ぼくらカヤッカーとしては、万葉集の時代、いったいどれほど美しかったのかと想像してしまいます。奈良時代には、ときの聖武天皇がここの景観をいたく気に入り、何が何でもこの景観を守れと命じたと言われます。
河口の奥に玉津島という小島があって、今は周囲が埋め立てられ、一つだけ島として残っているのですが、いにしえには何個も島が並んでいたようです。そしてこんな歌が詠まれました。
「玉津島 見れどもあかず いかにして 包み持ち行かむ 見ぬ人のため」
玉津島の美しい景色はいくら見ても飽きることがなく、いっそこの景色を包んて都に持ち帰りたいものだ、都で待つ家人に見せてやりたいから、という意味です。
その片鱗みたいなものは漕いでいて、なんとなく感じますが、でも、ほど遠い世界です。高台から遠目でみたらいいんですが。