一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1791   世を眺む冬三日月に腰かけて   海人

2017年01月31日 | 

 「俳句は何でもあり」が正しい考え方。フィクションでもノンフィクションでも良い。字余り、字足らず大いに結構。有季、無季でも構わない。川柳だって立派な俳句の一つだ。

 さて、この句のように、ホラもここまで来れば立派。竹取物語の向こうを張っているではないか。何でも見えてしまうらしい作者は、月から地球を眺めて、何を思っているのだろう。その答えは、読者の自由。

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ    実朝

実朝は余程目が良かったらしい。

それとも、ものすごい荒波が立っていたのだろうか。

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1790   まるまると柚子の種飛ぶ迸る   薪

2017年01月31日 | 

(まるまると ゆずのたねとぶ ほとばしる)

  柚子には、沢山の種があって、一番単純なレモン絞り器で、半切りにした柚子を搾ると、よく種が飛び散る。我が家には、ハナユズという小粒で早熟性の品種があるが、この句の柚子も、ハナユズではないかと思う。

 本柚子は、「桃栗3年柿8年、柚子の大馬鹿18年」と言われているそうである。従って、結実までの期間を短縮するため、カラタチに接ぎ木して、数年で収穫可能にする、という。

「まるまると」が、柚子とその種両方に掛かっていて、よく利いていますね。

ヒアシンス(風信子、飛信子)

 ヒアシンスの名は、ギリシャ神話の美青年ヒュアキントスに由来する。同性愛者であった彼は、愛する医学の神アポロン(彼は両性愛者であった)と一緒に円盤投げに興じていた(古代ギリシャでは同性愛は普通に行われ、むしろ美徳とされていた)。しかし、その楽しそうな様子を見ていた西風の神ゼピュロス(彼もヒュアキントスを愛していた)は、やきもちを焼いて、意地悪な風を起こした。その風によってアポロンが投げた円盤の軌道が変わり、ヒュアキントスの額を直撃してしまった。アポロンは医学の神の力をもって懸命に治療するが、その甲斐なくヒュアキントスは大量の血を流して死んでしまった。ヒアシンスはこの時に流れた大量の血から生まれたとされる。このエピソードから、花言葉は「悲しみを超えた愛」となっている。(Wikipediaより)

 

 

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