この句は、野分(台風)の過ぎた後の荒れた畑に、真っ赤に色づいた唐辛子がいつもより美しく見えた、という意味であるが、安永五年(一七七六年)蕪村が六十才の頃の句である。蕪村は、還暦を過ぎてからどんどん詩情が豊かになり、絵画や俳句にみずみずしさが増していったという。江戸時代の傑出した俳人と言えば、芭蕉、蕪村、一茶がいるが、彼らの個性の相違は、江戸時代の豊かさを象徴している。
森本哲郎の「月は東に―蕪村の夢 漱石の幻」によると、「草枕」は、蕪村の絵画と俳句に惹かれた漱石が、それを小説化したものだ、と言っている。主人公の画家は蕪村自身に違いない、と断定している。
漱石は草枕の中で、非人情の世界、つまり自然界の山川草木に感動する興趣、感興を美として絵画や俳句に表現したのが、蕪村だった、と言っているのである。
これと同じ意味が、「花鳥諷詠」で、歳時記は時候、天文、生活、植物、動物などに分類されているが、多くの感動が言葉になり季語となったと言えるのではないだろうか。
カラスウリ(烏瓜)