一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

3059   金風や弥勒菩薩のお顔立ち    コトリ 

2024年11月02日 | 

 作者は先日、三井記念美術館で行われている特別展 「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」を観て来たそうである。

 アフガニスタン・バーミヤン遺跡には、イスラム原理主義組織タリバンによって破壊された、高さ五十五メートルの東の太陽神と西の弥勒菩薩の二体 の大仏がそびえていた。展覧会では、バーミヤンの石仏とインド・ガンダーラの仏像、そして日本の法隆寺な ど奈良の古寺をはじめ各所に伝わる仏像や仏画等で、そのお顔立ちの違いなどを辿ることができるそうだ。

 古代中国の五行説で金は秋にあたることから、秋風を「金風」と呼ぶ。やはり、五行思想で、「春」は「青春」、夏は「朱夏」、秋は「白秋」、冬を「玄冬」と言ったので、秋は白とも言われる。

 さて、この句は、作者が展観してきた「弥勒菩薩」に「金風」を採り合わせただけである。私情を挟まず、見たもの聞こえたものに季語を斡旋する。俳句の原点のような句と言えるだろう。

ヨメナ(嫁菜)

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3058   第507回 令和六年九月 多留男会 

2024年11月02日 | 多留男会

金風や弥勒菩薩のお顔立ち     コトリ  

色の無き能登に吹く風声も出ず   〃        

    

雲の峰万次郎越す編隊機      豊狂

コスモスや鎮守の森の道案内    〃           

 

群青の海すべりゆく望の月     凛

灯さずにいましばらくは月の友   〃

    

寿ぎや儀式の接吻天高し      心

秋の雲行くあてあるか問われけり  〃

 

青柿もゆるり色づく秋分かな    流水

湯河原をやや遠ざけて秋夜かな   〃

 

夏過ぎて待ちわびし風ほほ流    信天翁 

川波の白きを岩へ秋はじめ     〃

 

稲光まだまだ序章かも知れず    紅

店頭の眼鏡洗い機秋日影      〃

   

燕去る辿り着けよと声欠ける    淡白 

思うように摘んで役満秋の空    〃

   

朝涼や目覚めて五体確かむる    釣舟

バカの壁また読み返す夜長かな   〃

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