一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

3062  これをしにこの世へ来たか窯始   雲水

2024年11月15日 | 新年

 40代のころ、あるお坊さんがNHK「こころの時代」で「人間は、この世へ何をしに来たのか、皆忘れて生れてくる。そして、ほとんどの人は、思い出さずに死んで行く。だから、思い出した人は幸せだ。」と言っていた。当時の私は、「何をしにこの世へ来たか」全く考えたことがなかった。しかし、天下の孔子様さえ論語で、「五十にして天命を知る」と言っているのだから、私などの凡人は、ゆっくり時間をかけて考えたら良かろう、と思った。そして、しばらくして作った俳句が、掲句である。しかし、この句は「焼き物を作るために来たか?」という疑問文の句であって、「来たのだ」と断定しているわけではない。

 さて、今年、車椅子テニスの小田凱人君(十八才)が、パリ五輪で金メダルを取ったが、その時のインタビューに応え、「俺はこのために生まれてきた!この金メダルを獲るために生まれてきました俺は!」と喜びを伝えた、という。私は、小田君のインタビューを見た時、本当に驚いた。

 そこで思い出したのが、二十五年前のやはり十八才の西武の松坂大輔投手が、初対戦でオリックスのイチローを3打席3三振に取った時のインタビューに「自信が確信に変わりました!」と言ったのである。スポーツに秀でると、若くても言葉の世界も豊かで、名句が衝いて出るようである。いやはや、恐れ入りまする。

シュウメイギク(秋明菊)

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