この句、「テラスで新聞/昇りくる尺取り虫」と/で分けるが自然。そこで第一に、尺取虫の登っているのが、新聞か近くのテーブルか椅子か、それとも植木鉢の枝や葉かどうかも分からない。尺取虫は、天敵の野鳥やカマキリなどの昆虫から身を守るため、木の枝とそっくりに擬態したり、襲われた時に糸を出して蜘蛛のようにぶら下がり、難を逃れることが知られている。
第二に、新聞を読んでいるのが本人か第三者か分からない。つまり、状況としての背景が曖昧なのである。ということは、我々読者は、それぞれ自由に解釈する余地を残してくれている、と解釈すべきであろう。この余地が多いほど解釈や共感も多くなるのではないだろうか。
何でもかんでも説明したくなるのが私たちの常ではあるが、この句のように何かを省略することによって、俳句に深みや奥行を持たせることができるのではないかと思う。俳句は短詩「省略の文学」と言われる所以である。
ミソハギ(禊萩)