一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

102  碧空へ自在に唄ふ冬木立  雲水

2010年12月22日 | 

(へきくうへ じざいにうたう ふゆこだち)

 

 

この句は、どう見ても「冬木立が唄っている」と解釈するのが自然。これを擬人化というわけだが、さて、良いかどうか?

 

欅などの大木の最先端の枝は、裸木となってよく見ると、実に無駄なくバランス良く均等に伸びているのが分かる。そういう状況を想定して、唄わない木が「唄う」と言い切っているのだが、こういう擬人化は、果たして良いのだろうか?

 

「唄う」には、作者の精神的な高揚感も感じられるし良いのではと思い、その時の私は、この句における擬人化を100%「可」としたのだが・・・・ 

 


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