(へきくうへ じざいにうたう ふゆこだち)
この句は、どう見ても「冬木立が唄っている」と解釈するのが自然。これを擬人化というわけだが、さて、良いかどうか?
欅などの大木の最先端の枝は、裸木となってよく見ると、実に無駄なくバランス良く均等に伸びているのが分かる。そういう状況を想定して、唄わない木が「唄う」と言い切っているのだが、こういう擬人化は、果たして良いのだろうか?
「唄う」には、作者の精神的な高揚感も感じられるし良いのではと思い、その時の私は、この句における擬人化を100%「可」としたのだが・・・・