シラスは、カタクチイワシの子供でスーパーには一年中あるから、歳時記で調べないと・・・・・確かに春の季語のようである。ちなみにイワシは秋の季語。
さてこの句、しらす丼を半分食べて悲しくなったそうだ。その心は如何。
「このドンブリには、たぶん百~数百匹の茹で上げシラスが乗っている。こんな小さな生まれたてのような子供たちを私は食べている。
生きるためとはいえ、私はなんて残酷なことをしているんだろう。半分食べてから気が付いたのでは遅すぎるのかもしれないけれど、もう喉を通らなくなったのだ」
「ちょっと待って、ちょっと違うんじゃない?そんな解釈は理屈っぽくて陳腐よ。あの白いシラスは、見ただけでなんか悲しい感じがするじゃない。理由はそれだけで十分よ」
「だったら、どうして半分食べてから気付いたんだい。最初から気付いても良さそうじゃないか」
「私はねえ、もっと別の個人的な理由だと思うわ。例えば一緒に食べたかった人がいなかったから、とかじゃないかしら。その人のことを思って胸が詰まったんだと思うわ」
「つまり、シラス丼が原因ではなく、半分食べた時に偶然ある個人的なことを思い出して悲しくなった、という訳だね。これは意外と説得力があるなあ。但し、それでは季語であるシラスの存在が軽くなってしまうけどね」