一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

226   妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る

2011年04月23日 | 

 「俳句は、非定型・無季俳句・川柳などあらゆる短詩を含む」とする私の解釈が出来上がったのは、様々な分野の様々な俳句に出会ったからだ。(但し、短歌は含まない)

 

十人十色というが、自他の人生に対する、社会に対する、俳句に対する考え方は、人によって様々だ。これが優秀でこれが駄目で、などと選別する必要はない。こうでなければならない、というような決め付けをせず、幅広く容認する姿勢が大事だと思う。

 

さてこの句、初めて見た時「こんな句も作っていいんだ、俳句も随分いろいろできるんだ」と,視野を広げてもらった。

 

800度


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 224   窯焚きの炎柱春... | トップ | 226   花吹雪窯場談義... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事