(はつまごの いのちのがぞう せいごがつ)
この句は、海人さんのお嬢さんが送ってくれたお孫さんの写真でしょうか。「生命(いのち)」という言葉に、彼の喜びがあふれています。
彼は、愛妻家で子煩悩でした。長生きしていたらきっと孫煩悩であったことでしょう。いつも奥さんやお嬢さんの話をしていたし、家族旅行の話も良くしていました。
海人さんと私は、俳句とテニスの仲間でした。彼は、話題が豊富で、よく冗談を言い、いつも明るく、酒が大好きで、周りを楽しませ、和ませてくれる人でした。趣味が広く、真鶴の海辺育ちですから、釣りや素潜りはお手の物、将棋も熱心でした。
彼は、「引退したら、芭蕉を偲んで、奥の細道を旅したい。一緒に行かないか」と言うので、「そうだなあ、海人さんが芭蕉で、僕が曽良なら一緒に行っても良いよ」と私が言うと、彼は笑いながら「是非一緒に行きましょう」と言ってくれました。
そんな彼が、若くして癌に倒れ帰らぬ人になってしまいました。本当に残念です。
母と娘の泣いて抱き合う冬一日 海人
「奥の細道」の珍道中も叶わぬ夢になってしまいました。
(合同句集「天岩戸」より 釣舟記)