西行は、
「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ」
という歌を残している。「花」は桜のこと。「望月」は満月のこと。
そして、この歌の通り、元冶元年(1190年)、2月16日に入寂した。そこで、「西行は、お釈迦さまと同じ日、2月15日に死ぬように計画して、食を断って望みを叶えた」という推論が生まれたのである。
当時としては高齢の73歳であれば、ありそうな話ではある。西行の歌や生き様が、芭蕉など後世の人々に与えた影響は甚大。
800年前と今と何が違うか、その第一は科学技術である。そろそろ私達は、科学は止めて、江戸時代あたりの良いところを、暮しに取り入れる方法を研究した方が良いのではないか?