一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

54     火の恋し写経の筆を洗いけり   正太

2010年11月03日 | 

古来、本は書き写すことが普通だった。源氏物語なども写本によって1千年の時を経て、現代までつながっている。

それが木版・石版・金属版から凸版・オフセットまで進み、戦後になって大量印刷時代になり、ベストセラーが100万部というような時代になった。

大量消費、大量廃棄時代の到来である。


更に現在では、紙のいらない電子書籍の時代が始まった。紫式部や清少納言が聞いたら、なんと言うだろう。
電子書籍は、大量の木材を使わなくて済むから、自然にとっては良いことなのかもしれない。

 

そんな中、逆行するように、古来の経を筆で書き写す「写経」が、ブームという。特に般若心経が多いようだが、亡くなった方の供養になり、精神統一にもいいし、功徳を積むとも言われている。

 

写経を終わり、筆を洗う時になって、作者は初めて肌寒さを覚える。精神集中していた証しなのだ。




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「火恋し」 (akiko)
2010-11-04 08:44:16
「火恋し」は、私の好きな季語の一つである。今度の句会には、この季語で作ろうと思ったが、どうしてもできなかった。
 
そぞろ寒くなり、火が恋しくなるちょうど今頃の季語である。
夏の暑さから解放され、大気は澄み切り、月は美しい。
けれど、何となく頼りなく淋しい、人が恋しい、火が恋しい。

そんな秋にふさわしい気持ちを表す句を作りたいと思っていたが、正太さんが正に作句されていたのだ。「火の恋し」と「写経」が、とてもよい組み合わせだ。

 私の亡母は、「写経をする時は、無心になること、又ならねば書けません」と常に云っていた。

作者は、無心になるための写経だったか、或いは、奥様との思い出に浸りながらの、鎮魂の想いで筆を持たれたのか、心惹かれる句である。       
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